第81話 損失。
「どうだ?連絡は取れたか?」
薄暗い執務室の中、机の上に積み上げられた書類に目を落としたまま、男は低い声で問い掛けた。その声には苛立ちと焦燥が滲んでおり、ここ数日まともな成果が上がっていない現状が、そのまま言葉の重みに乗っていた。
「ダメですね。メールも電話もしていますが、全て応答がありません」
報告を受けた部下は肩を竦めながら答え、その表情にも困惑が色濃く浮かんでいる。
「ダンジョンの入場記録はあるんだよな?」
「はい。ですが、現場に張り込んでもまるで姿がないんですよね。確認出来たのはギルドへのパーティー登録をしに来た時の一回きりで、その後は換金にも来ていません。もしかしたら、ギルドとは別に取引相手を持っているのかも知れませんね。」
その言葉にギルド長は椅子の背もたれへ深く身体を預け、重く息を吐き出した。
「まぁ‥‥そうだな。ここ最近は強い探索者ほど国のギルドには所属せず、個人で活動する者が増えている。そっちの方が金の流れが圧倒的にいい以上‥‥それも仕方がない話だ。」
そこで一度言葉を切ると、天井を仰ぎながら眉間を押さえる。
「だが、このままじゃ公式ギルドの戦力は確実に落ちていく。戦力が落ちれば立場も下がる。現にこの間の会議でも、その件は議題として取り上げられた。このまま同じやり方を続けていても、いずれ限界が来るだろう。」
その声音には、現場を預かる者としての危機感が滲んでいた。ギルドという組織そのものが、ゆっくりと首を絞められているような感覚が日に日に強くなっていた。
「ですが、ギルド長。国からの支援はこれ以上無理ですよ。この間だって、あの政府のじじい共から資金についてもっと徴収しろって、小言を散々言われたばかりじゃないですか。そんな状況でさらに「資金を上げろ」なんて言ったら‥‥何をされるか分からないですよ?」
部下の言葉に、ギルド長は乾いた笑みを漏らした。その笑みには諦めが混じり、もはや怒る気力すら残っていないようだった。
「そうだな。国の上に立つ者が、国民の為じゃなく自分の財布を潤すことばかり考えてるんだ。俺達は、あいつらが遊ぶ金を稼ぐ為の道具に過ぎない‥‥本当に嫌になる。」
吐き捨てるように言いながらも、その瞳には消えない責任感が宿っていた。
「だが、それでも与えられた役割がある以上は、この状況を打開しなきゃならん。その為にも、少しでも強い探索者にはギルドに残ってもらわないと困る‥‥だから、頼んだ。」
「はい。分かりました。じゃあ、自分は引き続き‥‥黒盤の覇道に連絡を取ります。」
「あぁ‥‥そのパーティーと上手く契約出来れば、今抱えてる悩みの種も少しは解消されるだろう。」
そう言って立ち上がり、その場を離れようとした――まさに、その時だった。
「ギルド長!!大変です!!」
廊下の向こうから血相を変えた職員が駆け込み、息を切らしながら叫ぶ。その異様な慌てぶりに、部屋の空気が一瞬で張り詰めた。
「どうした?」
「例の黒盤の覇道から、ギルドへの除籍申請の連絡が来ました!!」
その報告を聞いた瞬間、ギルド長の視界が真っ暗になった気がした。
膝から力が抜けそうになるのを必死に堪えながら、その場で大きく息を吐き出し、片手で額を押さえる。
また一つ、有望な戦力がギルドから去る。
その事実だけでも頭が痛いというのに、これで政府からの小言混じりの電話が二、三日は続くことも確定した。容易に想像出来る地獄の光景に、胃の奥がきりきりと痛み出す。
死にたくなる気持ちを無理矢理押し殺しながら、ギルド長は絞り出すように指示を飛ばした。
「申請を受理しろ。そして、その報告をまとめて俺のパソコンに送ってくれ。上にはこっちで報告する。」
「は、はい‥‥本当に、お疲れ様です‥‥ギルド長」
部下からの労いの言葉に、ギルド長は力なく小さく笑った。
「あぁ、ありがとう」
その短い返事だけを残し、重い足取りで自分のデスクへ戻っていく。積み上がる書類、鳴り止まない電話、終わる気配のない仕事の山が‥‥その全てが、今の彼には巨大な壁のように見えていた。
「今日は、早く帰って愛しの息子たちの顔でも見て、少しは癒されるか‥‥」
ぽつりと漏らしたその呟きだけが、疲れ切った父親としての本音だった。
明日から始まるであろう地獄の日々に耐える為にも、今日くらいは少しだけ現実から逃げよう。そう決めたギルド長は、静かに仕事を切り上げることにした。




