第79話 黒盤の箱舟
「へぇ‥‥ここが、私達が所属するギルドなのね」
水瀬は磨き上げられた床と整然と並ぶデスクを見渡しながら、感情を抑えた声でそう呟いた。だが、その口調とは裏腹に瞳の奥は好奇心で輝き、まるで宝箱を見つけた子供のように落ち着きなく周囲へ視線を巡らせている。
それも無理はない。
ほんの二週間前まで、この組織は古びた雑居ビルの一室に身を潜めるように構えていたが、今では高層オフィスビルの一角を堂々と借り切り、受付も設備も一流企業と見紛うほど整えられている。
初めて足を踏み入れた人間が、ここを裏社会の金貸しの拠点だと見抜くことなどまず不可能だろう。
「いつまで見てるんだ?俺達はこっちだ」
ディアブロに声をかけられ、水瀬は慌てて視線を戻した。そのままベガと共に後を追い、オフィスの最奥へと続く通路を進んでいく。
案内された先にあったのは、一際重厚な木製扉で、その中央には金色の文字で『社長室』と刻まれており、扉を開けた先では闇金の社長の「林 清道」が大きな革椅子に深々と腰掛けていた。
その姿は相変わらず堂々としていて、この空間の主が誰なのかを無言で示しているようだった。
「おぉ~~よう来たな。待ってたぞ!!ほれ、座れ座れ!!」
豪快に笑いながら立ち上がった林は、三人を新調したばかりのソファへと案内し、自ら湯呑みに茶を注ぎ始める。その手際の良さからも、この場所に相当気合いを入れていることが伝わってきた。
「うわ!!」
勢いよく腰を落とした瞬間、水瀬の体は予想以上の柔らかさに沈み込み、思わず声を漏らした。弾力の強いクッションが身体を包み込み、慣れない感触に体勢を崩しかける。
一方のベガはそんな反応を見せることもなく、まるで高級家具に慣れきっているかのように優雅に腰を下ろすと、そのまま丸くなり、数秒もしないうちに寝息を立て始めた。
そんな二人を横目に見たディアブロは、もはや何を言っても無駄だと悟ったように小さく息を吐き、そのまま無言で腰を下ろす。そしてすぐに視線を林へ向け、本題へと入った。
「‥‥準備の方はどうなんだ?完璧なのか?」
その問いが意味するのは、単なる引っ越しの話ではない。この場所そのものの運営体制についてだった。
表向き、この拠点は私設ギルド『黒盤の箱舟』として活動する。探索者の支援、依頼仲介、素材の買取とそういった合法的な看板を掲げる一方で、その裏ではディアブロが持ち込む市場に流せない高級素材や宝石、魔石を独自ルートで捌き、莫大な利益を生む裏事業も並行して動かす。
表と裏、その二つの顔を持つ組織として動かす予定だった。
「会社の方は完璧だな。ほら、お茶だ。ただ、問題があるとするなら従業員の管理と選抜だな」
林は湯気の立つ茶を差し出しながら、自分も向かいに腰を下ろす。湯呑みから立ち上る香りが室内に広がり、静かな空気の中でその声だけが低く響いた。
「お前さんとの取り引きは一切外に漏れてはいけない。表の人間に悟られずに運営していく以上、雇う人間の選別は慎重にやる必要がある。まぁ、それでも最低限動かせる人員は既に確保してあるが‥‥見るか?」
「あぁ、見せてくれ」
林は机の上に置いていたタブレットを手渡した。
画面には採用候補者達の詳細な情報が並んでいた。名前、年齢、性別、出生地、経歴、学生時代の交友関係、SNSでの発言履歴、借金の有無、現在の生活状況まで一つ漏れれば人生そのものが丸裸になるほどの情報量だ。
「スズ‥‥気になる奴はいるか?」
ディアブロは一人ずつ目を通していく。その視線は淡々としていたが、内容はしっかりと確認して行くと、その中に見覚えのある名前を見つけた。
火神 紅夜。
以前、水瀬の装備作成のために受けた依頼で顔を合わせた女剣士だ。妙に距離感が近く、何かと話しかけてきたせいで印象にも強く残っている。
「‥‥こいつは確定なのか?」
画面を見せながら問うと、林は少しだけ眉を寄せた。
「あーそいつは‥‥」
珍しく歯切れが悪い。
「正直、俺としてはかなり優秀な人材だと思ってる。経歴に問題はないし、SNSの素行も綺麗だ。口も堅い。それに何より‥‥金に困ってる」
その一言にディアブロの視線が鋭くなる。
「この職場の給料は他と比べ物にならねぇくらい高い。金に困ってる奴ほど、多少裏が見えても黙って働く可能性が高い。最悪、金を積めば口止めも出来る。」
ディアブロは火神の情報欄をさらに深く読み込む。
そこに記されていた内容に、目が止まった。
『妹が一人いるが、ダンジョンで重度の呪いを受け、現在植物状態。解呪に必要なエリクサー購入資金を得る為、高額報酬の依頼を優先して受けている』
「‥‥なるほどな」
小さく漏らした声には、興味が混じっていた。
「で、どうだ?嫌なら切るが」
「いや、問題ない。少し興味が湧いた。採用してくれ」
「そうか!!そりゃ助かる。他の連中は?」
「あぁ、問題ない。お前に任せる」
話が一段落したその時だった。
今まで黙っていた水瀬が、ようやく状況についていけない顔のまま口を開いた。
「‥‥結局、私達が所属するギルドの名前って何なの?」
水瀬はギルドを国営から個人管理へ移すことだけは聞かされていた。だが、その先の具体的な話は何一つ知らされていない。今交わされていた会話も半分以上理解が追いつかず、頭の中には疑問符が渦巻いていた。
そんな彼女を見て、林は目を丸くしながらディアブロへ顔を向けた。
「‥‥嬢ちゃんに説明してないのか?」
呆れと驚きが混じった声に、ディアブロは僅かに視線を逸らす。
その反応だけで全てを察した林は深々とため息を吐き、仕方ないと言わんばかりに椅子へ深く座り直した。
そしてディアブロの代わりに、この組織の全貌を一から説明し始めるのであった。




