第6話 ダンジョン。
「ここが、ダンジョンか。」
ディアブロの視界に広がるのは、果てが見えないほどに続く草原であり、一見すれば外界と何ら変わらぬ穏やかな風景でありながら、この空間そのものが“層”によって構成された異質な領域であることを、彼は瞬時に理解していた。
ダンジョンは複数のエリアで構成されており、1層から10層までは草原、11層から20層までは森、21層から30層までは洞窟といった具合に階層ごとに環境が変化し、現在は38層まで攻略が進んでいるという情報を、春宮湊の記憶から既に把握している。
すなわちこの世界においてダンジョンとは、上層へと進むほど難易度が上昇していく構造を持つ場所である――だが、ディアブロの視線はその常識とは逆方向、すなわち“下”へと向けられていた。
その力の大半を封印している状態であっても、長年の戦いで研ぎ澄まされた五感は一切鈍ることなく機能しており、はっきりとこの地下深くから異質かつ強大な気配を感じ取っている。
しかし本来、ダンジョンには上層へと続く階段は存在しても、下層へと直接降りるための道などは用意されていない。
唯一の例外があるとすれば、それは約一年前、ダンジョン内部に突如として出現した巨大な縦穴であり、半年前には調査が試みられたものの、その深さが常識外れであったために降下は危険と判断され、現在では立入禁止のテープで囲われるのみの“未踏領域”として扱われている。
その情報もまた春宮の記憶に刻まれており、そして今、ディアブロはその穴の先に存在する“何か”を確信をもって捉えていた。
「ならば、降りる他ない。一刻も早く我の力を解放するには、少しでも強いモンスターを狩る必要があるのだからな。」
そう結論づけたディアブロは、一切の躊躇なくその穴へと身を投じる。
落下を始めた身体は重力に従って加速度的に速度を増していくが、いくら時間が経過しても地面へと到達する気配はなく、人が空から地上へ落下するまでに要する時間が約1.5秒であるとされる中、既に五分以上落下し続けているという事実は、このダンジョンの深度が常識を遥かに逸脱していることを示していた。
それほどの異常な状況でありながら、ディアブロの表情に焦りは一切なく、むしろその口元には愉悦を含んだ笑みすら浮かんでいる。
やがて長い落下の末にようやく地面が視界に入り、ディアブロは着地の瞬間に魔力を足へと集中させることで衝撃を完全に殺し、何事もなかったかのように静かに着地を果たした。
「やはり、お前であったか‥‥ブラックドラゴン。」
そこに存在していたのは、モンスターの中でも最強種とされるドラゴン、そしてその中でも頂点に君臨する存在――ブラックドラゴンであった。
かつてのディアブロであれば、この程度の存在は道端のトカゲと大差ない相手に過ぎなかったが、現在はその力のほとんどを封印しており、なおかつ人間の肉体である以上、その攻撃をまともに受ければ一撃で肉体は四散する。
それほどまでに圧倒的な格上を前にしても、ディアブロの余裕は微塵も揺らぐことなく、ポケットに手を入れたまま悠然と歩みを進める。
ここで命が尽きてもおかしくない状況であったが、奇跡か必然か、ブラックドラゴンは大きないびきを立てながら深い眠りについていた。
このままならば発見されることなく離脱することが望ましいが、そもそもここまで落下してきた以上、元の場所へ戻る手段は現実的ではなく、この時点で既に“退路は断たれている”に等しい。
つまり、この場に足を踏み入れた時点で、戦う以外の選択肢は存在しない。
その絶望的な状況においても、ディアブロの内に恐怖や焦燥といった感情は一切生まれず、むしろ真っ直ぐにドラゴンへとどんどん歩み寄っていく。
「本来の我の力があれば、お前など敵ではないのだが、今のこの身と力では倒すどころか傷をつけることすら出来ん――ならば、力を解放する。」
その言葉が意味するのは、すなわち“器の崩壊”である。
封印を解けば肉体は確実に耐えきれず崩壊するが、それでもなお、崩壊しきる前に相手を殺せばいいという極めて単純かつ狂気的な理屈に基づいた選択であった。
しかしそこには、もう一つの問題が存在する。
――魔力である。
ディアブロの力を行使するには春宮湊の魔力量では到底足りず、ゆえに彼は自らの生命力、すなわち寿命そのものを魔力として代替するという手段を選択する。
それは自らの命を削る行為であり、常人であれば躊躇するはずの選択であったが、ディアブロは一切の迷いなく自身の寿命の99.99%を魔力へと変換し、ディアブロの内では最弱に分類される魔法を発動させる。
「グハッ!!」
口から大量の血が溢れ出し、器は限界を迎えつつあるが、既に魔法は発動段階へと入っており、もはや止めることは出来ない。
ブラックドラゴンが先に死ぬか、それともディアブロの器が崩壊するか――そのどちらかに帰結する、純粋な“死の競争”が始まった。
だがその最中、ディアブロの放つ魔力の波動を感じ取ったブラックドラゴンが覚醒し、自らの眠りを妨げた存在に対する怒りのまま、即座に最大出力のブレスを放とうとする。
しかしディアブロは、その行動を見てもなお微動だにせず、冷静に言葉を紡ぐ。
「だから、お前は龍にはなれんのだ。ドラゴンはその知性の低さこそが最大の欠点であり、我の存在を察知したのであれば、ブレスではなく即座に肉弾による攻撃を選択するべきであった。」
わずかに間を置き、続ける。
「ブレスは確かに威力には優れるが、その分発動までに時間がかかる――その一瞬こそが致命的だ。お前のブレスなど、我の魔法の前では無意味である。」
そして、静かに宣言する。
「全てを飲み込め――黒点。」
ディアブロの言葉と同時に、彼とブラックドラゴンの間に極小の黒い点が出現し、直後に放たれたブレスはその全てがその一点へと吸い込まれ、さらにその強大な引力に抗うことが出来なかったブラックドラゴン自身もまた、そのまま飲み込まれていく。
やがてその存在は、何一つ残すことなく“無”へと消失した。
そして同時に、ディアブロの肉体も限界を迎え、その場に崩れ落ちると、瓦礫のように崩壊を始める。
この戦いは、双方の死という形で幕を閉じたかのように見えた――だが。
『ブラックドラゴンの討伐を確認しました。その身の進化と力の解放を10パーセント行います。並びに解放された力をスキル・称号として具現化を開始します――』
機械的な声が脳内に響く。
『具現化率‥‥10%‥‥25%‥‥40%‥‥50%‥‥75%‥‥100%
――全ての力の具現化に成功しました。
スキルの取得によって――スキル“不死”が発動されます。器の再生ならびに生命力の再生――完了しました。――以上で進化を終了します。』
そして、最後に告げられる。
『お目覚めの時間です――ディアブロ。』




