第68話 変化を察知する。
水瀬が感情を爆発させている頃、ディアブロはベガを連れてダンジョンへと足を運んでいた。
本来なら今日は探索を休み、現代という世界の娯楽でも適当に堪能するつもりだった。しかし、ベガが「ダンジョンに行きたい」と子供のように駄々を捏ね始め、耳元で何度も吠えながら尻尾を激しく振るものだから、結局は根負けする形でこうしてダンジョンへと来ていた。
薄暗い通路の奥からは、湿った空気と血生臭い獣の匂いが漂って来る。石壁には淡く青白い光を放つ鉱石が埋め込まれており、その光を浴びながらベガは楽しそうにモンスターを蹂躙していた。
漆黒の雷を纏った巨躯が一歩踏み込む度に床が砕け、魔物の肉体が紙切れのように吹き飛ぶ。牙が喉を食い千切り、鋭い爪が肉を裂き、血飛沫が辺り一帯へと撒き散らされていく光景は凄惨そのものだったが、ベガ自身はまるで遊びの延長のように楽しげだった。
そんな戦いを少し離れた場所から眺めていたディアブロは、不意に腰を上げると「ふふふっ」と喉を鳴らすように笑みを漏らした。
その笑みは、何か愉快な出来事があったからではない。
水瀬の変化を感じ取ったからだ。
水瀬とディアブロを繋ぐ“駒”は、単純に位置情報や信頼関係を共有するだけの代物ではない。力を与え、感覚を繋ぎ、そして長い時間を掛けて宿主の精神にも少しずつ影響を与えていく。
それだけを聞けば洗脳にも思えるが、実際はまるで違う。
洗脳とは、相手の精神を無理矢理捻じ曲げ、自我すら奪い去って支配する行為だ。だが駒がもたらす変化は強制ではない。宿主の内側に存在していた願望、怒り、欲望、諦め、そういった感情を切っ掛けとして、その人間自身が望む方向へ自然と変化していくのである。
だからこそ、これまでの水瀬は他人にまで優しさを向けていた。
自分だけではなく、大切な人だけでもなく、見ず知らずの誰かであっても救いたいと願い、必死に手を伸ばしていた。それはつまり、駒が示していた方向が“誰かを守りたい”という感情だったということだ。
だが、その流れも今ので完全に変わった。
ディアブロは目を細めながら、小さく息を吐く。
今の水瀬から感じ取れる変化は、他人に向けていた優しさを切り捨てるものだった。
別にディアブロ自身がそう変われと望んだ訳ではない。水瀬がどう変化しようが、それは水瀬自身の自由であり、自分の好きなように生き、好きなように変わればいいと思っている。
だが、それでもほんの僅かに残念だという感情はあった。
「そうか。水瀬はこういう変化を遂げるのか‥‥まぁ、これはこれで面白くはあるが、少し残念でもある。この道の先にあるのは人間に対する拒絶で、それは既に経験した道だからな。あいつには別の道を行ってもらいたかったという気持ちもあったが‥‥まぁ、それはそれでいい。道はあくまでも当人が決めることだからな。」
誰に聞かせる訳でもなく呟いたその言葉は、静かなダンジョンの通路へ溶けるように消えていった。
すると、奥で戦っていたベガがこちらへ戻って来る。
全身には返り血が飛び散っていたが、本人は気にした様子もなく、尻尾を大きく振りながらディアブロの元へ駆け寄って来た。その姿は魔獣というより忠実な犬そのものだった。
「お前もだぞ。お前ももう少し大きくなれば、自分の道を決めることになる。お前がどんな道を選び、どんな成長を遂げるのか‥‥俺は凄く楽しみだ。」
ディアブロがベガの頭を乱暴にわしゃわしゃと撫で回すと、ベガは気持ち良さそうに目を細め、その大きな顔をディアブロの手へ擦り付けて来る。
その姿は今までモンスターを無慈悲に蹂躙していたとは思えないほど可愛く甘える仕草に、ディアブロは小さく笑みを零した。
それからもしばらく二人はダンジョン探索を続けていたが、不意にディアブロの端末へ連絡が入る。
送られて来た短い文面は、水瀬からのものだった。
『ダンジョンに行きたい。』
その文字を見たディアブロは、一瞬だけ目を細めると小さく笑うと、水瀬がいる場所にテレポートをして水瀬をダンジョンへと移動させて、結局、この日も三人で探索を行うことになるのだった。




