第66話 少女の変化。
『‥‥噓でしょ。これが戦いなの?』
水瀬は伊沢と西川の戦闘を見つめながら、心の底からそんな感想を抱いていた。
拳を振るい、魔力をぶつけ合い、必死に相手を打ち負かそうとしているのは理解できる。だが、その光景からは緊張感も、圧力も、命を懸けている者特有の息苦しさも一切感じられず、まるで台本通りに殴り合う子供の喧嘩を見せられているようで、水瀬の胸には失望だけが広がっていった。
二人はFクラスの中では頭一つ抜けた実力を持っている生徒であり、先程の訓練でも最低限の形にはなっていたことから、水瀬は少なからず期待していたし、多少はディアブロの興味を引ける程度の戦闘になると思っていたのだ。
だが、それは完全な勘違いだった。
水瀬が思い描いていた“戦闘”とは、ディアブロとベガが繰り広げる世界だった。
視線一つで空気が張り詰め、踏み込みだけで地面が砕け、殺気が肌を刺すような圧迫感を生み出し、攻撃を放つ前から死を連想させるほどの恐怖があり、互いの一挙手一投足が命取りになる。
そんな領域を、水瀬は無意識のうちに“戦い”の基準として認識してしまっていた。
だが、そんなものは強者だけが到達できる世界だ。
ディアブロもベガも、才能も成長速度も常識外れの怪物であり、Fクラスの中で少し力を持っている程度の生徒が同じ舞台に立てるはずがない。
その認識のズレは、水瀬自身が思っている以上に深刻だった。
伊沢と西川は、水瀬に少しでも良いところを見せようと必死で荒い呼吸を繰り返しながら攻撃を叩き込み、優勢を演出し、自分の強さを誇示しようとしているが、水瀬の瞳には既に二人の姿など映っていなかった。
その視線の先にいるのは、腕を組みながら退屈そうに戦闘を眺めるディアブロだけだった。
『これじゃあダメだ。こんなのじゃ、絶対に認めてもらえない』
その焦りが胸の中で膨れ上がった瞬間、水瀬は小さく息を吐き――
「そこまで」
冷め切った声で戦闘を止めた。
突然止められた二人は困惑した表情を浮かべたが、水瀬は構わず適当に“よく戦いました”とだけ言葉を投げ、そのまま訓練を終了させた。
そして、これ以上続けたところで何も得るものはないと水瀬は判断して、今日の訓練を終えた。
◇
解散後の教室には、水瀬だけが残っていた。
夕焼けが窓から差し込み、静まり返った教室を赤く染め上げる中、水瀬は机に肘をつきながら、どうすればディアブロに認めてもらえるのかを必死に考えていた。
どうすればディアブロを納得させることが、興味を引けるのか。
そんな答えない問題に頭を支配されていると、不意に教室の扉がガラリと乱暴に開かれた。
振り向いた先に立っていたのは、先程対人戦をしていた伊沢だった。
「なぁ、少しいいか?」
どこか馴れ馴れしく、妙な自信を滲ませた声音だった。
水瀬が無言で視線を向けると、伊沢は鼻を高くし、勝ち誇ったような笑みを浮かべながら口を開く。
「さっきの俺の戦い、カッコよかっただろ?」
その言葉を聞いた瞬間、水瀬の思考は一瞬止まった。
“は?”
心の中で、素直にそう思った。
カッコよかった?一体どこが?
いつもなら適当に流して終わらせる。相手を立てる程度の言葉を使って、その場を丸く収めていたはずだが、今の水瀬にはそんな余裕は一切なかった。
答えのない難題と時間だけが過ぎていくことに対する焦りと苛立ちに、そして全くもっての期待外れだった現実への失望が積み重なっていた水瀬は、思ったことをそのまま口にしてしまう。
「どこが?あなたのどこがカッコイイの?」
その声は、自分でも驚くほど冷たかった。
教室の空気が一瞬で凍り付くような声音でありながら、容赦なく相手の心を抉る鋭さを持っていた。
当然、伊沢の表情は固まった。
先程まで浮かべていた自信満々な笑みは消え失せ、代わりに困惑と動揺が顔に滲み出る。
「え?だって‥‥俺の戦ってる姿だぞ?あの陰キャオタクを圧倒してただろ?」
「‥‥本当に下らない」
水瀬は呆れたように小さく吐き捨てると、冷え切った瞳のまま伊沢を見つめた。
「君の戦ってる姿なんて心底どうでもいいし、伊沢くんが思ってるほど全然圧倒してなかったよ。寧ろかなり拮抗してた。それに、人のことを陰キャとかオタクみたいな言葉で見下して貶すのは、人として最低だと思う。もう私に話しかけて来ないで。」
一切の情けも遠慮もない拒絶だった。
そう言い切った水瀬は、そのまま鞄を持って教室を出ようとするが、完全に否定された伊沢は、その言葉を受け入れられなかった。
「待てよ!!」
苛立ち混じりに叫びながら、水瀬の腕を掴もうと手を伸ばす。
その瞬間――バシィッ!!と乾いた破裂音が教室に響いた。
水瀬は反射的に伊沢の手を全力で叩き払っていた。
水瀬自身はディアブロやベガほどの戦闘能力を持っているわけではない。だが、それでも今まで共に戦いや、ディアブロの訓練を受けた努力の積み重ねがあり、ベガとディアブロには大きく劣るが常人とは比べ物にならない力が、既にその身体には宿っていた。
だからこそ、感情のまま放たれた一撃は伊沢の耐久を軽く超えてしまう。
バキッ!!と嫌な音と共に、伊沢の手首が曲がってはいけない方向へと折れ曲がった。
「ああああああ!!!!お、俺の手があああぁぁぁ!!!」
激痛に顔を歪め、床を転げ回る伊沢を見下ろしながら、水瀬は冷え切った目を向ける。
そこには罪悪感も同情もなく水瀬はただ一言だけ吐き捨てる。
「ダサッ」
その言葉は、折れた骨よりも深く伊沢の心を抉った。
水瀬は最後まで振り返ることなく、そのまま教室を後にする。
夕焼けに照らされた水瀬の横顔には、かつての柔らかさは残っていなかった。
感情を押し潰したような冷徹な表情は、時折ディアブロが見せる“覇王”としての顔と酷似しており、ディアブロの駒として過ごしてきた時間が、水瀬という少女を確実に変え始めていた。




