第62話 説得。
全ての授業が終わり、普段であればFクラスの生徒たちは誰とも会話を交わすことなく、まるで最初からそこに存在していなかったかのように静かに教室を後にしていく。
教室内で騒ぐ者も、誰かと寄り道の約束をする者もおらず、ただ淡々と鞄を持って帰路につく――そんな光景が当たり前となっていたが、今日だけは違った。
――バン!!
突如として教室に響いた激しい音に、帰ろうとしていた生徒たちの身体がビクリと反応し、一斉に音のした方向へと視線を向ける。
そこには机に手を叩きつけたまま、真っ直ぐ前を見据える水瀬の姿があった。
「みんな、帰る前に‥‥中間テストについて話し合いがしたいんだけど、いいかな?」
普段の水瀬からは想像も出来ないほど強い声音に、クラスメイトたちは驚いたように目を見開き、その場で足を止めた。
昼休みの時、ディアブロに対して「何とかする」と自信満々に言い切った以上、ここで失敗すればディアブロからの信頼を大きく失うことになる。だが逆に、結果を出すことが出来れば信頼を得ることも出来る為、水瀬としても絶対に逃げるわけにはいかなかった。
それに、これはディアブロの為だけではない。
水瀬自身、このFクラスの空気を変えたいと思っていた。何かを始める前から諦め、周囲から見下されることを当然のように受け入れてしまっているこの現状を、どうにか壊したいと心の奥底でずっと思っていたのだ。だからこそ、今回の中間テストは全てを変える為の絶好の機会だった。
教室中の視線が水瀬へと集まる中、水瀬はその視線に怯えることなく教壇の前へと歩み出ると、ゆっくりとクラス全体を見渡しながら口を開いた。
「正直に教えて欲しい。みんなは今回のテストをどうするつもり?」
その問いかけに、誰一人としてすぐには答えなかった。
先ほどまで帰る準備をしていた生徒たちは気まずそうに視線を逸らし、やがて静かに俯いていく。その姿から感じ取れるのは怒りでも反抗でもなく、長い時間をかけて積み重ねられた“諦め”だった。
どれだけ努力しても自分たちは上へは行けない。どれだけ足掻いても、才能のある連中には勝てない。そんな現実を嫌というほど突き付けられ続けた結果、挑戦する前から心が折れてしまっているのだ。
その空気を感じ取った水瀬は、小さく息を吐きながら呟く。
「そう。みんなは‥‥もう諦めてるんだ。」
かつての自分も同じだった。
ディアブロと出会う前の水瀬もまた、今のクラスメイトたちと同じように下を向き、どうせ無理だと決めつけ、何かを始める前に諦めていた――だが、今は違う。
『みんなを勝利に導ける力がある。』
本来、その力はディアブロの為に使うものだ。クラスの為に振るうような力ではない。だがディアブロは今回、“そこそこの勝利”を望んでいる。ならば、その期待に応えるのが駒である自分の役目だと、水瀬は迷うことなく決めていた。
「みんなは‥‥この学校に満足してる?」
静まり返った教室の中で、水瀬の声だけが真っ直ぐに響く。
「私は全然してない。少し周りより才能がないだけで、少し成長が遅いだけで、才能を開花させられないだけで‥‥まるで“生まれてきたこと自体が間違い”みたいな目で見られて、扱いをされて‥‥みんなは満足なの?」
それは、水瀬自身がこれまで浴びせられてきた言葉だった。
無能。落ちこぼれ。役立たず。
そんな言葉を向けられてきたのは、水瀬だけではない。この教室にいる全員が同じように蔑まれ、笑われ、見下され続けてきた。だからこそ、皆の胸の奥底には今も消えない怒りが燻っている。
「‥‥満足してるわけ、ないだろ。」
誰かがボソリと吐き捨てるように呟いた。
すると、それを切っ掛けに堰を切ったように不満の声が次々と上がり始める。
「いつも俺たちだけゴミ扱いしやがって‥‥!」
「才能がないだけで全部否定しやがって‥‥!」
「上のクラスの連中だって好き放題言いやがってよ!!」
怒号にも近い感情が教室中に飛び交い、重苦しい空気に支配されていたFクラスは、いつの間にか不満と怒りで満ちた空間へと変わっていた。
そんなクラスメイトたちの本音を聞きながら、水瀬は静かに――パチン、と手を叩く。
その音だけで、騒がしかった教室がピタリと静まり返った。
「私も同じだよ。」
水瀬は真っ直ぐ前を見据えながら、力強く言葉を続ける。
「だからさ‥‥みんなで、私達の全部を否定してきたこの学校に証明してあげようよ。私達は弱くなんかないって。」
その瞬間、俯いていた生徒たちの目に熱が灯る。
「あぁ!! いいぜ!!」
「やってやる!!」
「あの陰気な連中に目にもの見せてやる!!」
先ほどまで死んだ魚のようだった目は、今では明確な意思を宿した人間の目へと変わっていた。水瀬は、自分でも気付かぬうちにFクラス全員の心へ火を点けていたのである。
こうして学校設立以来、初めてFクラスは本気で中間テストへ挑むこととなった。




