第57話 急展開。
唐突に飛び出した“お泊まり”という言葉に、ディアブロは思わず目を見開いていた。しかし、その場で最も大きな衝撃を受けていたのは、間違いなく娘である結奈本人だった。
「ちょっ!! お母さん!? 急に何を言ってるの!? 泊まりなんて出来るわけがないでしょ!!」
テーブルを叩かんばかりの勢いで身を乗り出し、結奈は顔を真っ赤に染めながら叫ぶ。晩御飯を一緒に食べるところまでは、なんとか自分の中で受け入れていた。だが、“泊まり”という一線だけは話がまるで違う。
いくら相手が命の恩人のディアブロだからといって、流石にそこまで一気に距離を詰められるほど、結奈の心は整理出来ていなかった。
しかし、そんな娘の全力の拒絶に対して、水瀬母は呆れるほど落ち着いた声音で――
「結奈は黙ってなさい。」
と、たった一言だけ告げる。
それだけで、先程まで激しく反論していた結奈の身体がピタリと止まり、言葉を失ってしまう辺り、この家における母親の立場の強さがよく分かる光景だった。
水瀬母がここまで強引にディアブロを泊めようとしているのには、当然ながら明確な理由があった。
母として、長女である結奈には今まであまりにも多くの苦労を背負わせてきた。幼い頃から弟妹たちの面倒を見させ、好きなことを我慢させ、自分の時間すら満足に与えてやれなかった。
本来なら、友達と遊び、恋をして、年相応に笑って過ごしていてもおかしくない年齢だ。だが現実の結奈は、そんな“普通の女の子”としての時間をほとんど持てないまま今日まで生きてきた。
そのことを、水瀬母はずっと後悔していた。
だからこそ、ディアブロという存在が現れた時、彼女は心の底から思ったのだ。
――この子は、ようやく幸せになれるかもしれない。
ディアブロと出会ってからの結奈は、明らかに変わっていた。表情は柔らかくなり、以前より感情を表に出すようになり、何より、楽しそうに笑う瞬間が増えた。
それを一番近くで見ていた母親だからこそ、この縁を絶対に逃したくなかった。
母として娘の幸せを願うのは当然だった。だが今の水瀬母は、それだけではない。半ばキューピットのような気持ちすら抱きながら、結奈に少しでも幸せな未来を掴んでほしいと本気で願っていたのだ。
だからこそ、娘の幸せの為になるのなら、使えるものは全て使う。多少強引だろうが、恥を捨てようが関係ない。それほどまでに、水瀬母は本気だった。
もっとも、それはあくまで母親としての願望に過ぎない。もし結奈本人が心の底から拒絶するのであれば、流石の彼女も無理矢理押し通すつもりまではなかった。
だが、長年娘を見てきた母親には分かる。
結奈は確かに慌てている。だが、本当に嫌がっているわけではない。むしろ、どう接していいのか分からず、自分自身の感情に戸惑っているだけなのだ。
だからこそ、水瀬母は一切遠慮しなかった。
「いい? 結奈。これは全部あなたの為なの。今のあなたは、自分の気持ちにまだ気付けてないだけ。だから戸惑ってるのよ。でも、その気持ちに気付いた時――あなたは絶対に私へ感謝するんだから。」
そう言いながら、水瀬母はビシッと娘へ指を向ける。
「だから今は、黙って私に任せなさい。」
完全に主導権を握る母親に、結奈は「うぅ‥‥」と小さく呻きながら肩を縮こませるしかなかった。
そして、この異様な流れについていけていない人物が、もう一人だけ存在していた。
――何を隠そう、ディアブロ本人である。
突然飛び出したお泊まり宣言。しかも、自分はまだ「はい」とも「うん」とも返事をしていないにも関わらず、気付けば話は完全に“泊まる前提”で進み始めている。
このままでは流石にまずい。
そう判断したディアブロは、なんとかこの状況を穏便に収めるべく、水瀬母へ恐る恐る口を開いた。
「あの~~すいません。本当に、そのお誘いは嬉しいんですけど‥‥泊まるのは、その、やっぱり良くないと思うんです。ほら、自分たちって男女ですし‥‥万が一にもそういう行為をするつもりはないんですが、それでも何があるか分からないと思うので‥‥やめておいた方がいいと、自分は思うのですが‥‥」
普段の覇王としての威圧感など微塵もなく、ディアブロはまるで叱られないよう必死に言葉を選ぶ少年のように、出来る限り丁寧な口調で水瀬母を説得しようとしていた。
しかし、その必死な説明を聞いた水瀬母の反応は、何故か予想とは真逆だった。困るどころか、むしろその表情は見る見るうちに明るくなっていき、まるで待ち望んでいた答えを聞けたかのように目を輝かせる。
そして次の瞬間、彼女は椅子を引く音を鳴らしながら勢いよく立ち上がると、そのままディアブロの方へ身を乗り出し、逃がすまいと言わんばかりの勢いで両手をガシッと掴み――
「喜んで!! やってあげてください!!」
と、実の娘を持つ母親とは思えない爆弾発言を全力で言い放った。
流石のディアブロも完全に言葉を失い、隣では結奈が「お、お母さぁぁぁん!!」と羞恥で顔を真っ赤にしながら悲鳴を上げている。
そんなカオス極まりない空間の中、ディアブロの人生初となる“女の子の家へのお泊まり”が、半ば強制的に決定してしまうのであった。




