第43話 地下に広がる世界。
縦穴へ降り始めた一行は、その想像を遥かに超える深さに驚かされていた。
既に穴へ侵入してから五分以上が経過している。普通の洞窟や縦穴であれば、とっくに地面が見えて来てもおかしくない時間だ。
だが、どれだけ下へ降り続けても、視界に映るのは果ての見えない暗闇だけだった。周囲には湿った岩肌が広がり、空気はジメッと重く纏わり付くように肌へ張り付き、更に、下へ降りれば降りるほど気温は僅かに低下していく為、その冷気がまるで生き物のように足元から這い上がって来る。
ギシ‥‥ギシ‥‥。
ロープが軋む音だけが静まり返った空間に不気味に響き渡り、その異様な静けさこそが、護衛を務める三人の神経を大きく削っていた。
ディアブロを除いた池田、高田、火神の三人は、いつ何処から襲われてもおかしくないという極度の緊張感に晒され続けている。敵の姿は見えない。だが、だからこそ怖い。
暗闇の中に何かが潜んでいるのではないか。次の瞬間、突然襲い掛かって来るのではないか――そんな得体の知れない不安が、ゆっくりと精神を蝕んでいく。
その結果、まだ何も起きていないにも関わらず、三人の顔色には僅かな疲労の色が浮かび始めていた。特に火神は額に薄く汗を滲ませながら周囲へ視線を走らせ続けており、静か過ぎるこの空間に対して本能的な恐怖を感じ取っている。
モンスターの気配も鳴き声も何一つ存在していない――それが逆に、この空間の異常性を際立たせていた。
だが、そんな重苦しい空気の中でも、綾小路だけはまるで別世界にいるようだった。研究者である綾小路は、一切の緊張を感じていない。むしろ、未知の場所を研究出来るという喜びに、体も心も震わせていた。
その瞳には恐怖など欠片も存在しておらず、底知れない好奇心だけが異様な熱となって宿っている。ある意味では、この研究者はディアブロ以上に異常な存在だった。
普通の人間なら恐怖を感じる状況でも、綾小路にとっては“未知を知れる機会”でしかない。危険ですら、彼にとっては研究材料の一つなのだ。
そんな異様な空気の中、更に十分ほど降下を続けたことで、ようやく一行の視界に地面らしき影が映り込んだ。
「全員――警戒しろ。」
池田が低い声で全員へ指示を飛ばす。その声には、第一層にいた頃の余裕は既になく、護衛としての本能が最大限まで研ぎ澄まされているのが伝わって来た。
そして一行は、慎重に周囲を警戒しながらゆっくりと地面へ降り立つ。
その瞬間、湿った空気が一気に肌へ纏わり付き、地下特有の冷たい臭いが鼻を突いた。まるで、この空間そのものが侵入者を拒絶しているかのような感覚だった。
「D――周りの状況どうだ?」
池田に問われたディアブロは、周囲を軽く見渡しながら淡々と答える。
「問題ない。」
その返答を聞いた池田は、小さく頷きながら指をクイクイと動かした。
それは“静かに進む”という合図だ。
それを理解した全員が、綾小路を中心に囲むような陣形を取り、そのまま慎重に歩き始める。
ディアブロ以外の護衛者達の表情は真剣そのものだった。いつモンスターに襲われても即座に反応出来るよう、全員が極限まで神経を張り詰めている。
その警戒の濃さは、一層で見せていた護衛の空気とは比較にならない。一歩進む度に周囲を確認し、呼吸音すら抑えるように慎重に歩を進めていく。
そして、流石の綾小路も、この場所の異常性を研究者として理解したのだろう。先程までのように勝手に飛び出すことはなく、今は池田の指示に従いながら静かに進んでいた。
やがて、一行は周囲へ明かりを広げながらゆっくりと奥へ進んでいく。すると、暗闇の中に隠されていた空間の全貌が徐々に姿を現していった。
「何だ‥‥この広さと‥‥この魔力濃度の高さは‥‥。」
綾小路は目を見開きながら、震える声で呟く。
その視界に広がっていたのは、常識外れとしか言いようのない巨大空間だった。まるで地下世界そのものを丸ごと切り取ったかのような圧倒的な広さが広がっており、更に、その空間全体には濃密な魔力が霧のように充満している。普通のダンジョンでは絶対に有り得ない光景だった。
「全てが異常だ‥‥。」
綾小路はそう呟くと、安全を確認した瞬間には既に地面や壁へ触れながら調査を始めていた。
最初に目を奪われたのは、この空間そのものの異常な広さだったが、その理由をディアブロだけは知っている。
ここは、かつてディアブロ自身が倒したブラックドラゴンの住処。巨大な竜が棲み着いていたからこそ、これほどまでに広大な空間が形成されていたのである。
だが、今はそのブラックドラゴンも既に存在しない。残されているのは、広大過ぎる空間と、濃密な魔力だけだ。
しかし――その残滓だけでも、この場所がどれほど異常だったのかは十分過ぎるほど伝わって来る。まるで、かつてこの場所に君臨していた存在の気配だけが、今もなお空間へ焼き付いているかのようだった。
綾小路もまた、その異常性を肌で感じ取っていた。
「‥‥この場所はおかしい!!何故、この場所には‥‥何もいないんだ!!」
綾小路は半ば叫ぶように声を上げる。
「これだけの空間に、これだけの魔力濃度‥‥!!そして、この異常なまでの寒気!!絶対に、何か‥‥強大な何かが存在していたはずだ!!」
その声には、困惑と興奮が入り混じっていた。研究者としての本能が、この場所に存在していた“何か”を理解してしまっているのだ。
「なのに、何もいない。それは、つまり‥‥その強大な何かは倒されたということなのか‥‥?いや、そんな馬鹿なことがあっていいのか!?」
綾小路は大きく取り乱しながら、まるで答えを求めるように周囲を見渡し、興奮した様子のまま調査を続けるのであった。




