第41話 前日。
そうして依頼を無事に受けることに成功したディアブロは、闇金へ必要最低限の報告だけを済ませると、その後は普段と変わらない日常へ戻っていた。
水瀬とベガを連れ、いつも通り訓練を行い、いつも通り力を磨き、いつも通り時間を過ごしていく。だが、その“いつも通り”も今日で終わりになる可能性が高く、いよいよ明日には巨大な縦穴の探索依頼が決行される以上、この訓練場も今までのように自由に使えなくなる可能性があった。
綾小路が異常だと断言した未知のダンジョンへ足を踏み入れれば、これまでの日常がそのまま続く保証などどこにもない。だからこそ、こうして誰にも邪魔されず気楽に訓練を続けられる時間も、今日が最後になるかもしれなかった。
夕暮れに染まり始めた訓練場の中、水瀬は静かに空を見上げながらぽつりと呟く。
「ねぇ、明日はこの場所を探索するのよね?」
「あぁ、そうなる。」
ディアブロは短く答えるが、その声音には特別な感情は存在しておらず、まるで既に決まり切った予定を確認するだけのような淡白さしか感じられなかった。
「その後って、あんたの予想では、もうこの場所は使えなくなるって考えているのよね?」
「そうなる可能性が高い。」
「だったら、その後は私達は何処で訓練をするの?場所の候補はあるの?」
水瀬は少しだけ不安そうな表情を浮かべながらそう尋ねる。
この場所は、水瀬にとって単なる訓練場ではない。家でも学校でもない、自分が安心して力を磨ける数少ない居場所であり、だからこそ、それを失う可能性があるという事実に少なからず不安を抱いていた。
しかし、そんな水瀬に対してディアブロは迷いなく言い切る。
「いや、訓練は今日で終わりだ。明日の依頼が終わって、その後にお前の装備を作ってもらったら、その後はモンスターとひたすらに実戦をしてもらう。」
「‥‥実戦。」
その言葉を聞いた瞬間、水瀬の表情が目に見えて曇っていく。
まだ、水瀬の心に刻まれた過去のトラウマは完全には消えておらず、新しいことへ挑戦する時、自分だけが置いて行かれるような状況になった時、あるいは失敗する未来を想像してしまった時、水瀬はこうして目に見えて不安を顔に出してしまうことがあった。
ディアブロとしても、水瀬の才能や努力については高く評価している。白魔法という希少な適性に加え、与えられた訓練を投げ出さずに食らいつき続ける根性もあり、その資質だけを見れば十分に優秀だと言えた。
だが、その一方で、こういった“精神的な脆さ”については、いずれ必ず克服しなければならないとも考えている。恐怖や不安に呑まれれば本来の力を発揮出来ず、それは実戦において致命的な弱点になるからだ。
しかし残念ながら、人の精神を強くする方法などディアブロが知るわけもなく、結局のところ最後は本人が乗り越えるしかないという結論に至っていた。
そして、もし最終的に水瀬が自分自身の弱さを克服出来ないと判断した時、それがこの関係の終わりになる。やはり完璧を求め続けるディアブロにとって、“欠点”を抱えたまま立ち止まり続ける存在を許容するつもりはなかった。
そんな不安そうな表情を浮かべたまま、水瀬はそっとディアブロの隣へ腰を下ろしていく。
先程まで賑やかだった訓練場には静かな風だけが流れており、その中で水瀬は少し迷うように視線を揺らした後、小さな声で問い掛けた。
「今の私の力で‥‥ちゃんとモンスターと戦えるかな?」
その言葉には、自信の無さと不安がはっきりと滲んでいた。今の水瀬が欲しかったのは、「大丈夫」や「きっとやれる」といった肯定の言葉であり、少しでも不安を打ち消して自信を持つ為の言葉を、彼女はディアブロに求めていたのである。
だが、そんな感情の機微を察して気遣うようなことを、ディアブロがするはずもない。
「知らない。」
返って来たのは、あまりにも淡白で容赦のない言葉だった。普通なら傷付き、自信を失ってもおかしくない返答であり、少し前の水瀬であれば、その一言だけで感情を大きく乱していただろう。
だが、水瀬はその言葉を聞いても怒ることなく、むしろ小さく笑みを浮かべていた。
「そうだよね、知らないよね。本当にあんたらしい言葉。」
そう言って、水瀬は苦笑するように肩を竦める。少し前の彼女であれば、「何でそんなことを言うの」と感情的になり、傷付いた顔を隠そうともしていなかったはずだ。だが、今の水瀬はディアブロがそういう人間なのだと理解した上で、その言葉を受け止められるようになっている。
それはつまり、ゆっくりではあるが、水瀬自身の精神も少しずつ変わり始めているということだった。トラウマが完全に消えたわけではない。それでも以前のように、不安だけに押し潰されることはなくなっている。
「じゃあ、明日の依頼ちゃんと頑張りなさいよ。あんたが成功してくれなかったら、私の装備は来ないんだからね。」
「分かっている。そもそも、この依頼に失敗はない。」
ディアブロは当然のようにそう言い切る。その言葉に慢心や虚勢は存在しておらず、本気で“失敗する可能性など存在しない”と考えているからこその発言だった。
そんなディアブロの様子を見た水瀬は、呆れ半分のように小さく笑う。
「そう。そろそろ私は下の子たちの面倒があるから家に帰るわ。いつも通り飛ばして頂戴。」
そう言われたディアブロは、隣に座っていた水瀬へ視線を向けると、何も言わないままテレポートを発動させて、そのまま家へまで飛ばした。
そして、その場にはディアブロとベガだけが残される。ベガは静かにディアブロの隣へ座り込み、ディアブロもまた何をするでもなく、その場でゆっくりと時間を過ごしていた。
明日になれば、再び未知へ足を踏み入れることになる。だが、ディアブロに焦りや不安は存在せず、ただ静かに明日訪れる依頼の時を待っていた。
そうして迎えた当日――。




