第31話 完璧まで遠い。
闇金との取り引きの電話から三日が経過した。その間もディアブロたちは例の穴へと籠り続け、ひたすらに魔法の精度を磨き上げる訓練を繰り返していたが、自らの適性に明確に気付き始めた水瀬と、ブラックフェンリルとして既に魔獣の最強格に名を連ねていたベガの成長速度は、常識の範囲を軽く逸脱していた。
魔力の制御、発動速度、連携の精度――その全てが短期間で跳ね上がり、単純な反復訓練ではこれ以上の伸びが期待出来ない領域にまで到達している。
つまり、自己訓練では限界だった。
本来であれば、この段階からは外へ出て実際の魔物を相手に経験を積ませるべきだが、現状では水瀬の装備が整っていない以上、実戦投入はリスクが高すぎる。わずかな判断ミスが即座に致命傷へと繋がる以上、準備不足のまま放り出すわけにはいかなかった。
そのため、ディアブロは訓練内容を切り替える。
――自分が相手になる。
キングとして、自らの配下の完成度を引き上げるのもまた役割の一つであると割り切ったディアブロは二人の前に立ち、攻撃は一切行わず、防ぎ、捌き、読み切ることのみに徹しながら“届かせる”ための課題を突きつけ続けるという条件のもと、静まり返った空間にわずかな緊張を張り巡らせていく。
次の瞬間――
ベガが地面を蹴り、爆発的な初速でディアブロへと突っ込んだ。四肢に宿る筋力が地面を抉るように踏み込み、低い体勢から一直線に喉元を狙うその一撃は、単純ながらも速度と威力を兼ね備えた鋭い攻撃だった。
だが――ディアブロは動かない。
踏み込んでくる軌道を一瞥しただけで、身体をわずかに傾けるだけでその牙を外し、すれ違いざまに背後へと回り込む。反撃はしない。ただ、“そこにいる”という事実だけで、攻撃が成立しない状況を作り出していた。
「‥‥ベガ。攻撃が単調になっているぞ?」
振り返ることなく、静かに言葉を落とす。
「相手の次の行動を読んで動け。今のお前は、自分の身体能力に頼っているだけだ。それじゃあすぐに限界が来る。」
「ワン!!」
その指摘に反応するようにベガは即座に方向転換し、フェイントを交えながら左右に揺れる動きで間合いを詰めていくが、直線的だった先程とは違い軌道をずらして死角を突こうとしても、その全ては既に読まれており、一手遅れる形で処理されていくため決定打には至らない。
そして、その攻防の最中――ベガの踏み込みがわずかに鈍り、明確に速度が落ちたことで流れが崩れ、その原因が水瀬のバフが切れたことにあると誰の目にも明らかだった。
短く名を呼んだその一言だけで、場の空気が一気に張り詰める。
「水瀬。ベガのバフを維持しろ。お前の支援が切れれば、それだけで戦力は落ちる。絶対に切らすな。」
間髪入れず、さらに言葉を重ねる。
「それとバフの数を増やせ。速度、力、動体視力――今、掛けられるものは全て重ねて維持しろ。」
「‥‥う"っ‥‥」
水瀬の喉から苦しげな声が漏れる。
分かっているが、出来ない。複数のバフを同時に維持するためには魔力の制御と集中力を極限まで保ち続ける必要があり、一つに意識を割けばもう一つが崩れる以上、現在の水瀬が安定して維持出来るのは三つまでで、それ以上を重ねようとすれば必ずどこかに歪みが生じてしまう。
一つが切れるか、あるいは全体の効果が落ちるか、どちらにせよ中途半端になる。
「言い訳はいらない。ただ、やれ。それだけだ。」
容赦のない一言が落ちるが、そこに情けはなくとも同時に絶対的な信頼が込められており、出来るからこそ言っているのだと、そして届かせるために突きつけられているのだと理解しているからこそ、ディアブロが求めているのは努力ではなく完成であるという事実を受け止めた水瀬もベガも、決して止まることはなかった。
その瞬間、ベガの動きが再び加速し、地面を蹴る音が鋭く響くと同時に軌道が大きく変わる。
水瀬は歯を食いしばり、乱れかける魔力の流れを強引に繋ぎ直しながら、途切れかけたバフを再構築し続ける。視界が揺れ、意識が散りそうになるのを押さえ込み、それでも支援を切らさないように維持し続ける。
だが――それでも、届かない。
時間だけが過ぎていく中で、魔力は削られ、体力は奪われ、呼吸は荒くなり、やがて動きそのものが鈍っていくが、それでも二人は止まらない。止まれば終わると理解しているからこそ踏み続けていたが――やがて限界は訪れる。
水瀬の魔力が底をつき支援が完全に途切れた瞬間、ベガの動きも明確に落ち、足がもつれ、踏み込みが浅くなったまま最後の一撃を放とうとしたところで、そのまま力尽きるようにその場に崩れ落ち、空間には再び静寂だけが戻っていった。
「‥‥はぁ。」
小さく息を吐きながら、ディアブロは二人を見下ろす。
「今日はここまでだな。」
その言葉は、終わりの宣告だった。
「二人とも、まだ完璧には程遠い。もっと――」
言葉を続けようとしたその瞬間、ポケットの中でスマートフォンが――プルプル、と震えた。
視線を落として画面を確認したディアブロは、そのまま通話を取り、短いやり取りで要件だけを素早く確認すると、無駄な言葉を挟むことなく通話を切り、そのままゆっくりと顔を上げて倒れ込んでいる二人へと視線を向ける。
「今から出かけるぞ。」
その一言は、次の展開を告げる合図だった。




