第30話 二人の幼馴染。
――時は遡り。
ディアブロが春宮として初めて登校したその日、春宮という人間の在り方に決定的な亀裂を入れた、二人の幼馴染と出会う場面まで時間を巻き戻す。
あの日は土日の休み明けで、本来であれば三人が当たり前のように並んで登校するはずの朝だった。長い時間を共にしてきた彼らにとって、それは習慣というよりも“形”として固定された関係であり、誰も疑問を抱くことのない日常だった。
だが、その日だけは違った。
待ち合わせ場所に現れるはずの春宮の姿が、いくら待っても現れなかったのだ。
これまで春宮が無断で約束を破ったことは一度もなく、常に相手の顔色を窺い、時間よりも早く来て待っているような人間だった。それだけに、何かあったのではないかという考えが一瞬だけ二人の頭を過ぎる。
だが――その思考は長くは続かなかった。
ほんの僅かな沈黙の後、二人の意識は自然と“二人だけの時間”へと移り変わり、気付けば春宮の存在そのものが意識の外へと押し出されていく。
そう。結局のところ、二人にとって春宮という人間は“その程度”の存在でしかなかった。
友達でも親友でもない、ただ幼い頃から同じ時間を過ごしてきたというだけの幼馴染に過ぎず、それ以上でも以下でもない代替の利く関係である彼らが、なおその関係を続けている理由は極めて単純であり、同時に歪んだものであった。
それは――“評価”のためである。
探索者としての才能を持ち、容姿にも恵まれ、互いに並び立つに相応しいパートナーとして周囲から認識される二人にとって、春宮という存在は“優位性を証明するための材料”として非常に都合が良かった。自分たちより劣る存在を傍に置き、なおかつそれに対して手を差し伸べる姿を見せることで、「実力も人格も優れた人間」という評価を自然と得ることが出来る。
つまり春宮は――“演出のための装置”だった。
だからこそ、表では親しげな幼馴染として振る舞い、周囲には仲の良い関係を見せつける一方で、その実態は自分たちの価値を引き上げるための道具として扱っていた。
その歪んだ関係性は、長い時間をかけて当たり前のものとして固定されていた。
だからこそ――春宮が自分たちとの約束を破り、一人で登校している姿を目にした時、二人は表には出さずとも確かな衝撃を受けていた。それは単なる遅刻やすれ違いではなく、“道具が勝手に動いた”という事実に対する明確な違和感だった。
そして、声を掛けた時の反応が、その違和感を決定的なものへと変えていく。
いつもであれば、目を逸らし、言葉を詰まらせ、どこか怯えたように振る舞うはずの春宮が、その日は違った。視線は逸れず、態度にも揺らぎがなく、まるで自分たちの存在そのものを意識していないかのように、堂々とした振る舞いを見せていたのだ。
――あり得ない。
その一言が、二人の胸中に同時に浮かぶ。
自分たちより劣るはずの存在が、自分たちに対して“無関心”であるという事実は、何よりも許し難かった。お前のような存在が、探索者としての才能もなく容姿も平凡で、何一つ誇れるものを持たない分際で、俺達との約束を平然と破り、その上で何事もなかったかのように振る舞うなど許されるはずがない。
自分がどの位置にいるのかを理解しろ――お前は“道具”であり、それ以上でも以下でもない。
そんな歪んだ怒りを内に抱えながらも、二人はその場では表情一つ変えなかった。
何故なら、この学校における春宮の立場は明らかに弱く、いずれ自分から頭を下げてくると確信していたからだ。多少の逸脱があったとしても、最終的には元の関係に戻る――そう疑う余地もなく信じていた。
だが、その予想は裏切られることになる。
数日が経過しても、春宮から謝罪の言葉が発せられることは一度もなかった。
登校も、下校も、これまでのように三人で並ぶことはなくなり、会話すらもほとんど交わされないまま、まるで最初から関係など存在しなかったかのように、距離だけが明確に切り離されていく。
その現実が、じわじわと二人の神経を逆撫でしていった。
「‥‥大和。これはどういうことなの?何で、あのグズが私達なしで普通に生活しているのよ?」
苛立ちを抑えきれないまま吐き出された陽菜の言葉には、明確な困惑と不快感が混じっていた。ただ無視されていることが気に食わないのではない。“自分たちがいなくても成立している”という事実そのものが、彼女の自尊心を削っていた。
「陽菜。それは僕も知りたいよ。」
大和はそう返しながらも、視線の奥には冷たい光が宿っている。
「あの何も出来ないグズが、俺達との関わりなしで普通に生活できるなんて思ってもなかったし、何より――」
言葉を一度区切り、わずかに口元を歪める。
「俺達との約束を平気な顔で破っているっていうのが、正直一番ムカつく。」
それは怒りというよりも、“前提が崩されたことへの不快感”に近かった。
「そうね‥‥」
陽菜も小さく頷きながら、わずかに視線を伏せる。
「もしかしてだけど、私達の関係がバレたとかはない?」
その問いには、ほんの僅かな警戒が含まれていた。
だが――
「ふん。そんなのあるわけないだろう。」
その声音には確信があり、疑う余地すら存在しなかった。春宮は変わらない――あの弱者が自分たちの本質に気付くなどあり得ないと断じており、その思い込みが思考の全てを支配していた。
そして、もう一人――朝比奈も同様だった。
「そうね。そんなわけあるわけがないわね。」
迷いなく言い切るその姿は、もはや思考することを放棄した肯定に近い。
二人は揃って、“変化”という可能性そのものを切り捨てていた。だからこそ――この時点で既に見えない落とし穴へと足を踏み入れていることに、気付くことが出来なかった。
その歪みがどのような形で表面化するのかは、まだ先の話である。




