第22話 変化の始まり。
そうして迎えた月曜日。
週の始まりであるはずのその朝は、これまでと何一つ変わらないはずだった。だが、ディアブロがいつも通りに登校し、教室へと近づくにつれて、その“変化”は嫌でも耳に入ってくる。
ガヤガヤと騒がしい声が、廊下にまで溢れ出ていた。
普段であれば、授業前の教室はもう少し落ち着いているものだが、この日は違う。誰かが声を張り上げ、誰かが笑い、普段なら関わりのないはずの人間同士が入り乱れるように会話を交わしている。
その原因は考えるまでもなく一つしかなく、教室の扉を開けると、人だかりの中心にいたのは水瀬 結奈だった。
週末のわずかな時間で見違えるほどの変貌を遂げた彼女の周りには、普段なら関わりを持たないようなクラスメイトまでもが集まり、興味本位とも純粋な驚きともつかない視線と言葉を次々と向けていた。
「え、マジで水瀬?」「雰囲気変わりすぎじゃね?」「ちょっと待って、普通に可愛くない?」
そんな声があちこちから飛び交い、まるで一種の“見世物”のように扱われている状況の中で、水瀬は必死に応対していたが、その表情には明らかに余裕がなく、完全に周囲のペースに飲まれていた。
そんな中で、ふとディアブロの姿を視界に捉えると、助けを求めるように、あるいはようやく見つけた逃げ場へと向かうかのように、その場を抜けて彼の元へと歩み寄ろうとするが、ディアブロは軽く手を振ってそれを止めた。
言葉を発することなく、「来るな」と伝えた。
その意図を理解した水瀬は、一瞬だけ足を止め、わずかに戸惑いを滲ませながらも、再びその場に留まるしかなかった。
一方でディアブロは何事もなかったかのように自分の席へと向かい、周囲の騒がしさとは無関係に腰を下ろすと、そのまま授業が始まるのをただ茫然と待ち続ける。
そうして時間は流れ、教室のざわめきも徐々に落ち着きを取り戻し、やがて昼休みを迎えた。
ディアブロは静かに席を立ち、教室を出る間際に誰にも気付かれないようごくわずかな動きで水瀬へと合図を送り、それに気付いた水瀬も少し遅れて人の流れに紛れながら教室を抜け出す。
後ろからついて来ている気配を感じ取りながら、ディアブロはそのまま人けのない屋上へと足を向けた。
「‥‥随分と人気者になったな。」
屋上の扉が閉まるのを待って、そう声を掛けた。
だが、その言葉に対する水瀬の反応は、一般的な“人気者”のそれとは程遠かった。
「‥‥人気者ね。正直、疲れるわ。私は人と話すのがあまり得意じゃないから、急にあんな風に話しかけられると疲労しかないし、そもそも名前も知らない人からあれだけ距離を詰められても、どう反応すればいいのか分からないのよ。」
その表情には、嬉しさよりも明確な消耗が浮かんでいた。
「そうか。それでスマホはちゃんと買ったか?」
「うん、買ったわ。機種は何でも良かったのよね?」
「あぁ、種類は何でもいい。じゃあ、登録しておいてくれ。」
ディアブロは自分のスマホを差し出し、当然のように全てを任せる。
水瀬は一瞬だけ露骨に嫌そうな顔をしたが、これまでの流れを考えれば拒否出来るはずもなく、諦めたように受け取ると手早く操作を始めた。
「ほら、登録したわよ。」
「じゃあ、今日の放課後からダンジョンに入る。あと、お前の他の仲間も連れて行くから、そのつもりでいろ。」
「他の仲間って‥‥何人いるの?」
「何人‥‥まぁ、一人だな。仲間になった時期はお前とそう変わらん。それに現状の仲間の人数もお前とそいつだけだから、仲間同士ちょうどいいだろ?」
「‥‥分かった。」
短く返した言葉とは裏腹に、その胸中は決して穏やかではなかった。
自分はちゃんとついていけるのか、足を引っ張るだけにならないか、また置いていかれるのではないか――過去の経験が、理屈では否定出来ていても、どうしても不安として浮かび上がってくる。
だが、それでもここで逃げるという選択肢はもう存在せず、仲間になると決めた以上は向き合うしかないのだと、胸の奥で静かに覚悟を固めていた。
「なら、伝えることは伝えた。俺はもう行く。」
そう言って背を向けようとした、その瞬間――
ぐっと袖を掴まれる。
「ま、待って‥‥」
振り返ると、視線を泳がせながらもじもじとしている水瀬の姿があった。
「実は、渡したい物があるの。正直、家族以外に渡したことが無いから、どれが好きとかあんたの好みが分からなかったんだけど、一応、私の全てはあんたの物なわけだから‥‥その‥‥」
言葉は途切れがちで、どこか落ち着かない。
それでも意を決したように鞄から取り出した包みを、そっと差し出した。
「何だ‥‥これ?」
受け取って中を開けると――そこに入っていたのは、丁寧に詰められた手作りの弁当だった。
それは単なる食事ではなく、家族を守ってくれたことや借金を肩代わりしてくれたこと、そして自分に“選択肢”を与えてくれたこと、その全てに対する結奈なりの精一杯の感謝の形だった。
「まさか弁当を貰うとは思ってなかった。」
「もしかして迷惑だった?それだったら私が食べるけど‥‥」
「いや、もらう。」
即答だった。
「お前が俺の為に作った物なのだから、仲間の行為を無下にするわけにもいかないし、それに俺は料理が全く出来ないからな。正直、助かった。」
そう言って、ディアブロはその場で包みを広げる。
中に詰められていたのは、色鮮やかに整えられた数々のおかず。見た目だけでなく、一つ一つが丁寧に作られていることが分かる、手間の掛かった弁当だった。
ディアブロはその中から卵焼きを一つ取り、口に運び――
「美味い。」
短い一言だったが、それは嘘でも気遣いでもない本心からの言葉だった。生まれてから一度も誰かの手料理を口にしたことがなかったディアブロにとって、その味は単なる“美味しさ”だけで終わるものではなかった。
目にした時から感じていた彩りや整えられた配置、そこに掛けられた手間までもが、これまで触れてきた食事とはどこか違うものとして映っていた。整いすぎているわけではないが無駄がなく、不完全でありながら成立しているその見た目と味の一体感は、効率だけでは決して生まれないものだった。
はっきりと理解出来るわけではない。だが確かにそこには“誰かの為に作られた”という意志のようなものが宿っていることだけは感じ取ることが出来た。
そしてそれは、これまで一度も触れたことのなかった微かな温もりとして、静かにディアブロの内側に残っていく。気付けば、手は止まらず、あっという間に弁当は空になっていた。
「あぁ、美味かったぞ。」
「本当?嫌いな物とかなかった?」
「あぁ、無かった。」
その言葉に、水瀬はほっとしたように小さく息を吐く。
「なら、また作ってこようか?」
どこか遠慮がちに、それでも少しだけ期待を含ませた声に、ディアブロは一瞥を向けて――
「頼んだ。」
とだけ返した。




