第1話 始まり。《中編》
魔王と聖女――本来決して交わることのない二つの存在による禁断の恋、その果てに生まれたのがディアブロという存在であった。
だがその誕生は祝福とは程遠く、世界にとっての“異物”として扱われるものであり、この世に生を受けた瞬間に父と母を同時に失い、天涯孤独という過酷な運命を背負うことになる。
その血は呪いであり、その存在そのものが罪と断じられたがゆえに、誰かに救いを求めることすら許されず、気付けば“世界の裏切り者”として追われる身となり、進む先にあるのは安寧ではなく果てのない地獄だけであった。
しかし、その地獄の中にあってなお、ディアブロは絶望に沈むことはなく、むしろその環境すら受け入れ、血と死に塗れた世界を己の遊び場であるかのように歩き続けていた。
自らを討たんと迫る者は例外なく斬り伏せ、その命すらも奪い尽くして糧とし、そうして積み重ねられた殺戮の果てに、ついには単独で一国を容易く滅ぼせるほどの力を手に入れたことで、やがてその圧倒的な力に恐れをなした者たちは追撃そのものを断念するようになる。
本来であればそれは安息を意味するはずであったが、ディアブロにとってそれは“退屈”という名の新たな苦痛でしかなく、なぜなら彼は生まれてから一度たりとも“戦い以外”を知らなかったからである。
本来、子供とは親から言葉や礼儀、人との関わり方や世界の常識を学び、生きていくための知識と教養を身につけていくものだが、ディアブロにはそのすべてが存在しない。
何故なら生まれてすぐに親を失い、人を殺し、奪い続けることでしか生きる術を持たなかった彼にとって、“他者と共に在る”という概念そのものが欠落していた。
戦うことしか知らず、奪うことでしか関わることができない――それこそがディアブロという存在の在り方であり、ゆえにその思考は常人とは決定的に異なっていた。
だが、それで断念するディアブロではない。
『自分を追う者がいないのならば、自ら戦場へ赴けばいい。』
というイカレタ発想に至るまでに躊躇も理性も機能せず、それは狂気という名の“当然”でしかなかった。
それからのディアブロは、災厄そのものとして世界を巡る存在へとなった。
魔族が住まう“魔族領”、人族が暮らす“街”、エルフが息づく“森”、龍族が棲む“龍の山”といったあらゆる地へと赴いては、そのすべてを蹂躙していく。
理由も意味もなく、ただ戦いを求める本能のままに殺して、殺して、殺し尽くし、その足跡の先に残るのは崩壊した街と焼け落ちた森、そして命の気配すら消え失せた死の大地だけであった。
その中には父を殺した魔族も、母を殺した騎士も含まれていたが、ディアブロにとってそれらは復讐の対象ですらなく、親の仇という概念を持たぬ彼にとっては、すべてが等しく“狩るべき対象”に過ぎなかった。
そうして世界は、ただ一つの存在によって塗り替えられていくことになり、どれほどの強者を差し向けようと帰還する者はおらず、国家の軍勢を動かそうともそのすべてが消え去るという現実を前にして、人々はやがて悟ることになる。
抗うことすら許されない“絶対”が――この世に存在しているという事実を。
そして、その存在に名が与えられた。
世界を支配する王――『覇王』。
それがディアブロに与えられた呼び名であった。
もちろん、その存在は世界にとって災厄以外の何物でもなかったが、皮肉にもディアブロという“共通の敵”が現れたことで、それまで絶え間なく続いていた種族間の争いは完全に終息を迎えることになる。
戦争を止めるためには何が必要なのかという問いに対し、ディアブロは“共通の敵”という一つの答えへと導きだしたのである。
こうして世界から戦争は消え去ったが、それはあくまで表面上の平穏に過ぎず、問題の根源である覇王が存在し続ける限り、真の意味での平和が訪れることは決してない。
ゆえに世界は決断する。
すべての種族が手を取り合い、覇王を討つための力を結集するという選択を。
人族は“民の平和”という願いを背負った勇者を生み出し、魔族はかつてディアブロの父すら凌駕する新たな魔王を擁立し、エルフは長き年月の叡智を結晶させた至高の魔法を完成させ、ドワーフはその技術の粋を尽くして最強の武具を創り上げ、龍族は圧倒的な力と高い知性を兼ね備えた巫女を世に送り出した。
あらゆる種族の特性、知識、技術、そして願いが一つに束ねられ、覇王に抗うための“世界最強”の討伐パーティーがここに誕生する。
そして、ディアブロが覇王として君臨してから二千年――その長き支配の歴史に終止符を打つべく、世界は今、最後の戦いへと動き出したのであった。




