第18話 覇王の歴史。
水瀬とディアブロが再び会う日を迎えた。
二人の約束の時間は朝の10時と、水瀬が学校へ行くために起きる時間よりも遅く、本来であれば余裕を持って起床し、ゆっくりと準備を整えてから出発出来るはずの時間だったが、水瀬は落ち着かない胸の内を抱えたまま眠りが浅く、気付けば朝7時には待ち合わせ場所である喫茶店の前に立っていた。
本来なら、時間に余裕があるのなら家で待つか、せめて10分前に到着する程度で十分なはずだが、今回の待ち合わせは水瀬にとって自分の人生を大きく左右するものだったため、“まだ時間がある”という発想そのものが頭に浮かばず、ただ早くこの場に来ておかなければならないという焦燥だけが彼女を突き動かしていた。
自分が持っている中で最もお洒落な服を選び、母に頼んで慣れないメイクも施してもらい、出来る限りの準備は整えたが、普段からそういったことに気を使ってこなかった分、付け焼き刃であることは否めず、それでも何もしないよりはましだと自分に言い聞かせながら席に着いていた。
店内にはコーヒーの香りが静かに漂い、時折カップの触れ合う音が響くだけの穏やかな空間が広がっているが、水瀬の内面とはあまりにもかけ離れた空気だった。
そうして一人、落ち着かないまま時間を過ごしていると、店内の鳩時計がポッポ~と鳴き、視線を向ければ時刻は9時30分を指していた。
その直後、扉のベルが軽やかな音を立てる。
反射的に視線を向けた先で――ディアブロと目が合った。
「何だ、もう来てたのか。俺も早めに来るつもりだったけど、既に来てるとは思ってなかった。マスター、アイスコーヒーを一つくれ。あと、彼女のグラスが空だったらお代わりもくれ。」
自然体だった。まるで昨日の出来事など何もなかったかのように、いつも通りの調子で言葉を発する。
「かしこまりました。」
そのままディアブロは迷いなく水瀬の向かいの席に腰を下ろした。
「どうだ?昨日はじっくり眠れたか?」
軽く投げられたその問いに、水瀬は一瞬言葉を詰まらせる。
「‥‥眠れるわけがないでしょ?私にそんな余裕があると思う?」
抑えたつもりの声だったが、僅かに棘が混じっていた。
水瀬の顔には隠しきれない隈が浮かび、鏡を見ずとも自分の状態がどうなっているか分かるほどだった。
「そうだろうな。あれだけのことがあったんだし、借金を抱える君の立場じゃあ眠りたくても眠れないよな。」
まるで他人事のように、しかし的確に状況をなぞるその言葉に、水瀬は一瞬だけ視線を逸らした。
そのタイミングで、マスターがコーヒーを運んでくる。
グラスに注がれる黒い液体、氷が触れ合う乾いた音、その一つ一つがやけに鮮明に耳に残る。
「どうだ?ここのコーヒーは美味くないか?毎朝、学校に行く前に必ず一杯飲んでから向かってるんだ。ゴクゴク‥‥はぁ、美味い。」
目の前で無防備にコーヒーを飲むその姿に、水瀬の中で張り詰めていたものが一気に溢れ出した。
「‥‥コーヒーの感想を話に来たわけじゃないわ。昨日、言ったわよね?明日になったら全て話すって。なら、ちゃんと全て話しなさいよ。何で、私なんかとパーティーを組みたいのか、そしてあなたが何者で何を目的にしているかを。」
その言葉には、押し殺していた不安と苛立ちが滲んでいた。
そう――水瀬はもう気付いてしまっている。
目の前にいる“春宮 湊”という存在が、ただのクラスメイトではないということに。
昨日見せられた一連の出来事――闇金を前にして一切揺るがなかった態度、あの場の空気そのものを支配するような殺気、そして当たり前のように取り出されたドラゴンの魔石。
あれら全てが、“普通”では説明出来ない。
それにも関わらず、その理由が「パーティーを組みたいから」などという言葉で済まされるはずがなかった。
むしろ、それならば対価としてもっと分かりやすい要求を突きつけられた方が納得出来るとすら思えるほどに、この状況は歪んでいる。
そんな水瀬の焦りを見透かしたように、ディアブロはふっと小さく笑った。
「随分と俺について気になるようだな。まぁ、いいだろう。だが、本当に覚悟はいいんだな?全てを知ればもう戻ることなど出来ないぞ?まぁ、嫌だと言ってもお前に逃げる術などはないけどな。」
軽い口調だったが、その内容は冗談とは思えない重さを持っていた。
「えぇ‥‥その通りよ。それに、借金が無くても私は全て知るわ。今のこの状況が変えられる可能性があるかも知れないのだから。」
震えはあった。それでも、その言葉には確かな意思が宿っていた。
ディアブロはその目を一瞬だけ見つめ、やがて小さく頷く。
「分かった。なら、話を始めよう。まずは、俺の正体からだな――パチン!!」
指が鳴らされた瞬間だった。
その音は、ただの指鳴らしに過ぎないはずだった。
だが次の瞬間、水瀬の視界が歪む。
椅子に座っているはずなのに地面そのものが消え失せたかのような不安定な感覚に襲われ、水瀬は反射的にテーブルへと手をつきながら必死に体勢を保とうとする。
その間にも視界の端から現実が崩れ落ちるように剥がれていき、壁も天井も光も音さえもが、まるで最初から存在していなかったかのように静かに消失していく。
それは到底“魔法”などという言葉で説明できるものではなく、理解しようとした瞬間に思考そのものを拒絶されるような異質さを孕んでいた。
まるで触れてはいけない領域へと踏み込んでしまったかのような感覚が、水瀬の全身を一気に駆け抜ける。
呼吸は自然と浅くなり、心臓の鼓動だけがやけに大きく、耳の奥で反響するように響き続ける中で、目の前にいるはずのディアブロだけが一切の影響を受けていないかのようにその場に存在し続けていた。
だがそれは“そこにいる”というよりも、この崩壊の中で“そこだけが取り残されている”かのような、言葉に出来ない違和感を伴っていた。
「これから見せるのは、春宮としての歴史じゃない。」
その声は、先程までとはどこか質が違っていた。
「ディアブロとしての歴史だ。」




