第17話 結びつかない違和感。
闇金との取り引きを無事に終えたディアブロと水瀬は、家の付近まで車で送ってもらい、その帰り道を並んで歩いていた。
夜の空気は冷たく、先程まで張り詰めていた緊張が嘘のように静かだったが、水瀬の胸の内だけはまるで落ち着く気配がなかった。
「そ、その‥‥一応、言っておくけど‥‥ありがとう。」
言葉を選ぶように、途切れ途切れに紡がれる声。その裏には感謝だけではない、恐れと戸惑いが混じっている。
「うん。」
返ってきたのは短い一言だけだった。だが、その淡々とした返答が逆に水瀬の不安を煽る。
沈黙が続き、靴音だけが一定のリズムで夜道に響く中、水瀬は何度も言葉を飲み込みかけては踏みとどまり、それでも押し寄せてくる不安に耐えきれなくなったのか、やがて小さく息を吐いてから口を開いた。
「それで、私に‥‥何をさせるつもりなの?タダで助けたわけじゃないんでしょ?何が目的なの?」
声は震えていない。それでも、言葉の端々に滲む緊張は隠しきれていなかった。
水瀬の借金は決して無くなったわけではない。先程流した涙は、家族と離れ離れにならずに済んだという安堵からこぼれたものであって、今もなお家族を縛り続けている現実が消えたわけではないのだ。
そして、その生殺与奪は今――ディアブロの手の中にある。
安心など出来るはずがなかった。金もなく、容姿も特別優れているわけではなく、探索者としての才能もない自分に対して2000万という大金を肩代わりするなど、どんな見返りを要求されるのか想像もつかない。
だが、その認識は根本から間違っていた。
「何、俺の要求は一つだ。俺とパーティーを組んで欲しい。ただ、それだけだ。」
あまりにもあっさりとした答えだった。
「え?」
思考が一瞬、止まる。
予想していたどの答えとも違う。むしろ、想像の外にあった言葉だった。
「な、何で、私なんかとパーティーを組みたいの?こんな才能もない自分と組んで、何のメリットがあるの?」
言葉は自然と早口になる。否定されたわけではないのに、自分で自分を否定するように問いを重ねていた。
ディアブロはその様子を一瞥するだけで、深くは追及しない。
「その話は、また明日にしよう。今日は色々とありすぎて時間が遅い。明日は学校が休みだから、朝の10時に学校近くの『ジューン』という喫茶店に一人で来れるか?そこで全てを話す。」
逃げるでも誤魔化すでもなく、ただ先延ばしにする。その余裕が、逆に確信のように感じられた。
「わ、分かった。」
水瀬は小さく頷くしかなかった。
「なら、また明日だ。」
それだけを告げると、ディアブロは水瀬を家の前まで送り届ける。
「じゃあ――」
別れの言葉を交わそうとした、その瞬間だった。
ディアブロの姿が、消えた。
何の前触れもなく、足音もなく、風も揺れず、ただそこにいたはずの存在が“いなくなった”。
「――え?」
思わず声が漏れた瞬間、水瀬は自分の視界を疑うように何度も見直し、わざと一度視線を逸らしてからもう一度確認するが、それでも先程まで確かに隣にいたはずの姿はどこにもなかった。
背筋をなぞるような冷たい感覚がゆっくりと広がっていく中で、今起きた現象を理解しようとする思考よりも先に、“理解が追いつかない”という感覚そのものが頭の中を支配していく。
先程まで隣に存在していたはずの人間が、何の前触れもなく一瞬で消えたという事実だけが、現実として容赦なく突きつけられ、水瀬の心を大きく揺さぶった。
水瀬と春宮は同じクラスに属するFクラス――最底辺の烙印を押された存在であり、本来であれば同じ“弱者”として認識されるはずの関係だった。
だが、今日目の前で見せられた一連の出来事は、その評価を根底から覆すにはあまりにも十分すぎるものだった。
闇金の前で一切動じることなく立ち続けた姿、向けられた殺意を真正面から受け止めた上でそれ以上の圧で押し返したあの瞬間、そして当たり前のように取り出されたドラゴンの魔石――それら一つ一つだけでも異常であるにもかかわらず、今この瞬間に起きた“存在そのものが消失したかのような現象”まで加わったことで、その全てが現実の枠から逸脱していることを否応なく理解させられる。
一瞬で人が消えるなど、常識で説明できるはずがなかった。
「‥‥なに、それ‥‥」
小さく呟いた声は、誰にも届かず夜に溶けた。
あれが同じクラスの春宮なのかと疑うように、水瀬はこれまで見てきた“春宮 湊”という存在と、今日目の前にいた存在を必死に結びつけようとするが、その違いはあまりにも大きく、どれだけ記憶を辿っても同一人物だと納得出来る要素が見つからない。
今まで力を隠していたのか――そんな考えが一瞬頭をよぎるものの、そもそも隠す理由が思い当たらず、その可能性すら現実味を持たないまま霧散していく。
結局のところ、目の前で起きた全てを説明できる答えは何一つ見つからず、理解が追いつかないまま疑問だけが次々と積み重なっていくのだった。
水瀬の頭の中から「なぜ?」という言葉が消えることはなかった。だが、それを解消する術は今はなく、結局は明日を待つしかないという結論に行き着く。
そうして、大人しく家の中に入った水瀬は、リビングで泣いている母の姿を見つけ、胸の奥に残っていた感情が再び揺れるのを感じながら、その傍に歩み寄った。
今日起きたことを、そして明日話すべきことを、ゆっくりと言葉にしていく。
夜はまだ終わらない。だが、確実に何かが動き始めていた。




