第144話 その美味さ。
「はい。ディア‥‥出来たよ。」
「やっとか。」
水瀬がそう言って差し出したのは、先ほど討伐したヘビークラブの身を使ったカニしゃぶだった。
カニしゃぶとはいえ、ダンジョンの中では使える食材も調理器具も限られているため、それほど手の込んだ料理ではない。
鍋に張った湯へ塩を加えて砕いたカニの殻を入れてじっくりと煮出すことで出汁を取り、そこへ殻から取り出した身を潜らせ、最後は持ってきていた調味料につけて食べるという簡単なものだった。
本来の水瀬であれば、ここからさらに二手間ほど加えて味を整えてカニの旨味を活かした別の料理まで用意していただろう。
だが、今いるのは設備の整った厨房ではなくダンジョンの中であり、持ち込める食材や調味料にも限りがある以上は、これが限界であった。
しかし、それでも使っている素材そのものが一級品なので味まで悪くなるはずがない。
火を通された白い身を箸で摘まみ上げれば、湯気と共にカニ特有の濃厚な香りが鼻を抜ける。
余計な味付けをしていないからこそ素材本来の甘味と旨味が強く感じられ、噛めば柔らかな身がほぐれながら口の中いっぱいに味を広げていった。
「うん、美味いな。」
ディアブロは一口食べるなり素直に感想を口にすると、すぐさま次の身へと箸を伸ばした。その隣では雫も湯気の立つカニの身を口へ運んでいたのだが、噛んだ瞬間、その想像以上の味に目を見開く。
「‥‥!!確かに美味いな。」
普段なら料理を食べてもここまで分かりやすい反応を見せない雫だったが、これには思わず声が漏れてしまうほどだった。
そんな二人の反応を確認した水瀬は、自分達だけで食べるのではなく、少し離れた場所にいる暁の面々にも出来上がったカニしゃぶを取り分けて持っていった。
「本当にもらっていいのか?俺達は何もしてないぞ?」
差し出された器を前にして成瀬はすぐには受け取らず、困ったように水瀬へ視線を向けた。
ヘビークラブの変異体との戦闘で自分達は何もしていないどころか、むしろ助けられた側なのだから、そのうえ貴重な素材を使った料理まで振る舞ってもらうことには、さすがに抵抗があったのだろう。
「全然、気にしないでください。暁の人達には情報をもらったので、そのお返しだと思ってください。」
「‥‥そうか。なら、遠慮なく頂くとする。」
そこまで言われて断り続ける方が失礼だと判断したのか、成瀬は小さく頷いて器を受け取った。それを合図に他の暁のメンバー達もカニしゃぶを受け取り、まだ湯気の立っている身を口へと運んでいく。
すると、最初こそ遠慮がちに食べていた彼らの表情もすぐに変わり、想像以上の美味さに驚きながら自然と笑みを浮かべていた。
つい先ほどまで命を懸けた戦闘が行われていたとは思えないほど穏やかな空気がその場に流れていたが、その中でただ一人だけ、カニしゃぶを前にしても笑顔を浮かべることなく、別のものへ視線を向け続けている人物がいた。
――楓だった。
楓の視線の先にいるのは、先ほどから何事もなかったかのようにカニを食べ続けているディアブロだった。
今の楓には、目の前にあるカニしゃぶを楽しむ余裕など一切ない。先ほど目の前で繰り広げられた戦闘があまりにも衝撃的すぎて、その光景が焼き付いたように脳裏から離れてくれないのだ。
あれほどの巨体と硬さを誇り、自分達ではどうすることも出来なかったヘビークラブの変異体。
それを目の前の男は追い詰められるどころか、まるで子供と遊んでいるかのような余裕を見せながら圧倒していた。
彼は一体何者なのか。そして、どうやってあれほどの強さを手に入れたのか。
聞きたいことを挙げればキリがなく、頭の中には次から次へと疑問が浮かんでくる。しかし、それほどの秘密に初対面に近い自分が踏み込んでいいものなのか、それ以前にどうやって話を切り出せばいいのかすら楓には分からなかった。
だからこそ、楓はただディアブロを見ることしか出来ずにいたのだが、そうしている間にも時間は過ぎていく。このまま何も聞けずに別れてしまえば間違いなく後悔すると思った楓は、意を決して口を開こうとした。
だが、その直前――横から別の声が割って入った。
「で、結局‥‥お前たちは何なんだ?」
楓が聞こうとしていたことを先に口にしたのは、日向 治だった。
その一言によって、それまでカニしゃぶを楽しんでいた暁の面々の手が止まり、その視線が一斉に一人の人物へと向けられる。
当然、その先にいるのはディアブロなのだが、当の本人はそんな視線などまるで気にすることなく、黙々とカニを食べ続けていた。
質問が聞こえていないわけではない。ただ、今のディアブロにとっては彼らの疑問よりも目の前の料理を食べることの方が優先順位が高く、わざわざ手を止めてまで答えるつもりがないのだ。
そんなディアブロの性格を理解している水瀬は小さく息を吐くと、仕方がないとばかりに代わって質問へ答えた。
「私達は普通の探索者ですよ。」
「普通の探索者だって?お前、普通の探索者がヘビークラブの変異体を一人で倒せるわけがないだろ!?そんなことが可能な奴は世界で見ても一人もいないぞ?」
日向が思わず声を荒らげるのも無理はなかった。
あの変異体は、暁の面々がまともに相手をすることすら出来なかった化け物なのだ。それをたった一人で圧倒しておきながら『普通の探索者』などと言われても、素直に納得出来るはずがない。
しかし、水瀬は日向の反応を前にしても表情を変えることなく、淡々と言葉を返した。
「たとえ世界に出来る人がいないとしても、私達が探索者として活動しているのは事実ですけど?」
「‥‥‥‥」
その言葉を聞いた日向は何かを言い返そうとして口を開いたものの、結局何も言えずに閉じた。
水瀬の言っていることは間違っていない。どれほど常識外れの強大な力を持っていようとも、このパーティーが日本で正式に探索者として活動している以上は彼女達が探索者であることは紛れもない事実なのだ。
そして、それ以上のことを話すつもりがないという意思も、水瀬の態度から十分に伝わっていた。
「そうだな。」
日向もそれを理解したのか、それ以上深く追及することはなく、小さく息を吐きながら水瀬の言葉を受け入れた。
すると、今度は成瀬が持っていた器を静かに置き、暁のリーダーとしてディアブロ達へと向き直った。
「まぁ、パーティー 一つ一つに秘密があるのは当然だ。そして、それを他のパーティーに言えないのも当然だ。だから、これだけは言わせてくれ。」
そこで一度言葉を切った成瀬は、真剣な表情を浮かべながら深く頭を下げた。
「うちのメンバーを助けてくれてありがとう。」
先ほどまでの疑問や警戒とは違う、純粋な感謝だけが込められた言葉だった。
どれだけ正体が分からず、どれほど常識外れの力を持っている相手だとしても、ディアブロ達が自分達を助けてくれたという事実だけは変わらない。
だからこそ成瀬は、それ以上彼らの秘密へ踏み込むことはせず、ただ助けてもらったことへの感謝だけを伝えた。
そうして、ヘビークラブの変異体との遭遇から始まった一つのイベントは、ようやく終わりを迎えるのであった。




