第139話 変異体。
ディアブロは休憩していた場所から離れると、先程から感知していた例のモンスターがいる方向へと真っすぐ歩みを進めていた。
足取りに迷いはなく、まるで最初から目的地が見えているかのように薄暗いダンジョンの奥へ進んでいると、その背中を追い掛ける慌ただしい足音と共に、後ろから大きな声が飛んでくる。
「ねぇ!!どこに行くのよ!?こっからはモンスターもいるのよ!?一人じゃあ危ないわよ!!」
どうやら楓は、一人で勝手に行動を始めたディアブロを放っておけず、そのまま後を追って来てしまったらしい。
追いついてからというもの、少し後ろを歩きながら何度も文句と忠告を投げ掛けてくるが、ディアブロは振り返る素振りすら見せず、その全てを聞き流しながら淡々と足を進めていた。
そして、いくら言葉を掛けても止まる気配がないと悟った楓は、ついに痺れを切らしたのか早足で距離を詰めると、ディアブロの手を掴んで強引にその歩みを止めた。
「待ちなさいって言っているでしょ!?これ以上は本当に危ないって!!モンスターと出会ったらどうするつもりなの!?パーティーメンバーも無しで死ぬわよ!?」
「‥‥」
「何で何も言わないのよ。」
「‥‥手を放せ。」
低く発せられたその一言には、先程まで楓と話していた時の柔らかな敬語など欠片も残っていなかった。
それは他者から命令されることなど許さぬ覇王としての威厳と重圧を含んだ声であり、真正面から浴びせられた楓は息を呑み、身体が危険を察知したかのように無意識のうちに掴んでいた手を離してしまう。
「‥‥うぐっ!!あなた‥‥一体何者?」
「何者?ただの人間だが?それより、お前‥‥ここに居ていいのか?」
「へぇ?」
「まぁ、今さら逃げても遅いがな。」
「どういう――」
楓がその言葉の意味を問い返そうとした瞬間、その声は最後まで続くことなく喉の奥で止まった。
背後から肌を刺すような異様な気配が膨れ上がり、それまで何も感じ取れていなかった楓にすら分かるほどの濃密なマナが空気を震わせていたからだ。
反射的に振り返った楓の表情から余裕が消え、額には冷たい汗が滲み始める。
「ま、まさか‥‥この気配‥‥変異体!?」
そう。二十五層から上の階層では極稀に、通常のモンスターが周囲のマナによる影響を受けて突然変異を起こすことがあり、そうして生まれた個体は『変異体』と呼ばれている。
変異体は通常個体とは比較にならないほど強大な力を持ち、身体能力だけでなく獰猛性までもが極端に上昇する危険な存在である。
その発生が確認されればギルドから討伐要請が出され、複数のパーティーが協力して討伐に当たるほどであり、間違ってもたった二人で戦うような相手ではなかった。
「な、何してるの!?早く逃げるわよ!!」
迫り来る気配に顔を強張らせた楓が焦った声を上げるが、それとは対照的にディアブロの表情には焦りどころか恐怖の色すら浮かんでおらず、それどころか、ようやく目的の相手が姿を現すとでも言いたげに口元を僅かに吊り上げていた。
「逃げる?何でだ?」
「何でってあいつは変異体なのよ!?二人で戦って勝てるわけがないでしょ!?」
「ハハッ‥‥二人で戦うなんて一言も言っていない。俺は一人で戦う為にこの場所に来たんだ。逃げたければお前一人で逃げろ。さぁ、始めようか。」
ディアブロがそう告げた直後、奥から迫ってくる気配がさらに膨れ上がり、重い足音が一定の間隔でダンジョン内に響き始める。
変異体は、ディアブロという強大な存在を本能で敵と認識し、それを殺す為だけに一直線にこちらへ向かってきている。
そしてディアブロもまた、通常個体より遥かに強い変異体を倒し、その力を喰らうことで少しでも自身の力の解放に当てるつもりで、この場所までわざわざ足を運んだのだ。
つまり、互いが互いを求めてこの場へと集まった以上、どちらかが背を向けない限り戦いは避けられない。いや、最初から逃げるつもりなどない両者にとって、戦うという選択以外は存在していなかった。
そして――ドンッ!!
腹の底まで震わせるような巨大な足音が響き、床に積もっていた細かな砂埃が僅かに跳ね上がる。
さらにもう一歩、ドンッ!!と地面を踏み締める轟音が響いた次の瞬間、通路の奥に満ちていた暗闇の中から巨大な影がゆっくりと姿を現し、ディアブロの前へと立ちはだかった。
ついに、変異体がその姿を現した。




