第10話 春宮の大事な存在。
ディアブロは人生で初めて制服に袖を通した。
鏡に映る自分の姿は、かつての覇王とは似ても似つかない“学生”という存在でありながら、不思議と違和感はなかった。
「どうだベガ、似合っているか?」
「ワン!!」
元気よく返事をするベガの頭を軽く撫でてから、ほんの僅かな間を置いて口を開く。
「行ってくる。」
その一言は、ディアブロにとって初めて口にする“人としての挨拶”であった。
人間という種族は『挨拶に始まり挨拶に終わる』――その文化が根付いている以上、この世界で生きるのであれば、それに従うのもまた合理的である。
「我が挨拶とはなぁ‥‥妙な感覚だ。」
小さく呟きながら、ディアブロは家を後にした。
◇
ディアブロが通う学校は、探索者を育成するために設立された国家直属の教育機関であり、一般的な学園とは比較にならないほどの規模と設備を誇っている。
そのため在籍する生徒の大半は、エルフ、魔族、龍族といった高い戦闘能力の血を引くハーフで占められており、純粋な人族は極めて少数――というより、この学園においてはディアブロただ一人であった。
当然ながら基礎能力の時点で大きな差が存在するため、入学時の適性試験によってクラス分けが行われた結果、彼が所属するのは最下層に位置するFクラスとなっている。
この学園では実力主義が徹底されており、クラスはAからFまでのランクで明確に分けられ、上位クラスほど教育内容・設備・任務の質すべてにおいて優遇される仕組みになっていた。
だが、そんな序列などディアブロにとっては何の意味も持たない。
ここが我の通う学校か‥‥悪くない。
視界に広がるのは、都市一つに匹敵するほどの広大な敷地と、複数のドーム型演習場、そして用途ごとに分けられた校舎群であり、その数は軽く十を超えている。
魔法実習用、近接戦闘用、シミュレーション戦闘用といった専用施設が並び、国家が直轄するだけあって資金も潤沢であり、その設備の充実度は明らかに“戦う者を育てる場所”として特化していた。
ディアブロはそれらを一つ一つ観察するように視線を巡らせ、静かに満足の色を浮かべる。
そして校舎へと足を踏み入れた瞬間――空気が変わった。
廊下を行き交う生徒たちの視線が、ディアブロへと集まった。
その理由は春宮にある。
Fクラスの生徒である春宮はAクラスに所属する有名な二人と特別な関係を持っているからだ。その関係は周りから見れば歪でしかなく、そんな注目を集めるなか、背後から軽く肩を叩かれた。
振り向くと、そこに立っていたのは記憶にある顔――
「おはよう、ハル。今日もいい天気だね。」
「ハル、昨日学校に来なかったけど、何かあったの?」
明るく自然な口調で話しかけてくるその二人は、先程の話に出ていた例の幼馴染で、長い時間を共にしてきた春宮にとって特別な存在だった。
神崎 大和――龍族と人族のハーフであり、圧倒的な身体能力を誇るAクラスの中心人物。
朝比奈 陽菜――エルフと人族のハーフであり、高い魔法適性と整った容姿で周囲からの人気も高い同じくAクラスの生徒。
二人が並ぶだけで周囲の視線が自然と集まり、その輪の中にFクラスである春宮がいるという構図は、常に“場違いな存在”として春宮の意識を強制させるものであり、そしてこの二人こそが、春宮湊という人間の心を決定的に折った存在でもある。
春宮は自分とは違う特別な二人のことを信じていた。弱い自分とは違っても心は共にあり、支え合えていると思っていたが、だが現実は違った。
二人は裏で関係を持ち、その現場を偶然目撃してしまったあの日、春宮は“真実”を知ることになった。
自分は必要とされていなかったこと。ただの都合のいい存在でしかなかったこと。そして――無能だと陰で笑われていたことを。
その記憶は、今も確かにこの身体の中に残っている。
ディアブロのものでありながら、同時に“春宮の感情”でもあるそれが、わずかに胸の奥をざわつかせる。
この二人を力に任せて全てをねじ伏せるのは簡単だが、それをしてしまったらかつての自分と何も変わらず、それでは意味がない。
だからこそ、その感情を押し殺して選んだのは“言葉”だった。
「何でもない。少し体の調子が悪かっただけだ。」
普段の春宮とは明らかに異なる落ち着いた口調に、二人の表情がわずかに崩れる。
「え?ハル‥‥何か話し方が変じゃない?いつものハルじゃないけど、まだ体調悪いの?」
「あぁ、そうか。これは我だな‥‥いや、何でもない。少し体調が優れんだけだ。我は先に行く。」
ディアブロはそれ以上踏み込ませる前に、会話を無理やり断ち切った。
これ以上関われば、余計なボロが出ることを恐れたディアブロは二人から視線を外し、そのまま逃げるようにして校舎の中に入って行った。




