第107話 超高級ホテル。
ダンジョン攻略を終えて地上へ戻ると、西の空は茜色に染まり始めていた。傾いた夕日が街並みを赤く照らし、昼の喧騒が少しずつ静けさへと移り変わっていく。あと数時間もすれば夜の帳が降り、この街も昼とは違う表情を見せるだろう。
「もぅ、数時間で夜ね。そろそろ泊まる場所を見つけないと」
「あぁ、分かっている。既に林に話を通してホテルを用意してもらってる。今日は、そこに泊まる」
「へぇ~~用意周到ね。で、ホテルの名前は?」
「確か、名前は『ロイヤルクラウン・ベイホテル』って言う名前だったと思う。」
その名前を耳にした瞬間、水瀬の思考は完全に停止していた。
目を大きく見開いたまま口を半開きにし、まるで時間だけが止まってしまったかのように身体が固まる。その反応を見たディアブロですら、何事かと眉をひそめるほどだった。
「え‥‥今、何ホテルって言った?」
「だから、ロイヤルクラウン・ベイホテルだ」
「‥‥う、う‥‥う‥‥噓でしょ!!!!」
水瀬の絶叫が夕暮れの空へ突き抜けるように響き渡る。
ダンジョンから戻った探索者たちが周囲に大勢いたこともあり、その声は一瞬で注目を集めた。何事かと足を止める者、驚いたように振り返る者まで現れ、一斉にディアブロたちへ視線が集まる。
「おい、いきなり叫ぶな!!注目されるだろう」
「いやいや、こんなこと聞かされて大人しく出来るわけがないじゃん!!だって『ロイヤルクラウン・ベイホテル』だよ!?あの一泊するだけで何百万も掛かる超高級ホテルだよ!?そんな高級な場所に、こんな格好で行けるわけがないじゃん!!
ってか、そんなホテルに泊まるなら最初に言ってよ!!ダンジョンなんか行ってる場合じゃなかったでしょ!?普通に考えて!!」
「そんなの知らん。俺が用意した訳じゃない。それにホテルはホテルで泊まる場所だ。何でホテルに泊まるだけで恰好へ拘る必要がある?それに、お前が着ている装備は確かに私服ではないが、別に場違いな格好ではないだろ?」
ディアブロの言葉は至って真面目だった。
実際、水瀬が身に着けている装備は、どれも一流の職人が最高級素材を使って作り上げた逸品ばかりである。その価値は一般探索者が一生掛けても揃えられないほど高く、一泊百万円、二百万円という宿泊費ですら比較にならないほどの金額になる。
「‥‥それは、そうかもだけどさぁ。でも、それはダンジョンでの話でしょ?ホテルはダンジョンじゃないんですけど!!」
「ホテルでも変わらないだろう。探索者がダンジョンから戻って来たと分かるだけだ。ほら、行くぞ。」
そう言ってディアブロは、それ以上この話を続ける気はないと言わんばかりに踵を返し、迷いなく歩き始めた。
「ちょっ、ディア!!置いて行かないでよ!!」
慌てて声を上げた水瀬は、周囲の視線を気にしながらも小走りでその背中を追い掛けるのだった。
◇
そんなこんなで、二人は今夜宿泊する『ロイヤルクラウン・ベイホテル』へ到着した。
一泊百万円という破格の宿泊費は伊達ではなく、ホテルは遠目からでも別格と分かるほどの存在感を放っていた。
重厚感のある外壁には間接照明が美しく映え、広々としたエントランスには高級車が次々と横付けされる。制服姿のドアマンが優雅な所作で乗客を迎え入れ、その先に広がるロビーからは、豪奢でありながら決して嫌味にならない気品が漂っていた。
館内へ足を踏み入れれば、大理石の床は鏡のように磨き上げられ、巨大なシャンデリアが柔らかな光を降り注ぐ。その空間を歩く宿泊客たちは、一流ブランドのスーツやドレスに身を包み、誰もが富裕層や著名人にしか見えない。
そんな華やかな空間へ、ダンジョン帰りで戦闘装備のまま現れた二人の姿は、どう見ても異質だった。
当然ながら周囲の視線は二人へ集まり、中には露骨に眉をひそめる者や、不思議そうに見つめ続ける者までいる。
水瀬は、自分たちが場違いな格好であることを痛いほど理解していた。
ダンジョンでは誇らしい装備も、この空間ではまるで泥だらけの作業着を着て高級レストランへ入ったような気分になる。居心地の悪さに肩を小さくすぼめ、なるべく人と目を合わせないよう俯きながら歩いていた。
対照的にディアブロは、周囲から向けられる視線など最初から存在しないものと言わんばかりだった。
背筋を真っ直ぐ伸ばし、堂々とした足取りでロビーを横切る姿には、一切の気後れも迷いもない。その姿を見ていると、場違いなのは服装ではなく、むしろ周囲の人間の方ではないかと錯覚してしまうほどの威圧感すら漂わせていた。
そのままディアブロはフロントへ歩み寄り、静かに声を掛ける。
「今日の十九時に二名で予約をしている春宮です。」
「春宮様でございますね。少々お待ちください。確認いたします」
フロントスタッフは二人の姿を一瞥したものの、その表情は微塵も変わらなかった。
さすがは国内最高級ホテルというべきか、服装だけで客を判断するようなことは一切なく、終始穏やかな笑みを浮かべたまま、洗練された所作で手続きを進めていく。その対応には無駄がなく、一つ一つの動きから一流の教育を受けていることが伝わってきた。
やがて確認を終えたスタッフは、ルームカードを両手で丁寧に差し出す。
「確認が取れました。こちらがルームカードになります。他にお荷物はありますでしょうか?もし、おありでしたらこちらでお部屋までお運びいたしますが、いかがなさいますか?」
「いや、荷物はない。ありがとう。」
「かしこまりました。それでは、ごゆっくりおくつろぎくださいませ。」
スタッフは最後まで完璧な笑顔を崩すことなく深々と頭を下げ、二人の姿がエレベーターへ向かって歩き去るまで、丁重な一礼で見送り続けるのだった。




