五章 悪魔契約 ①
新人賞の応募原稿を、最初から最後まで、毎日少しずつ上げていきます。
「シンクレアの先輩の〈グロリア〉の人――クロエさん?」
アーニャはまだ状況が飲み込めていないが、ビアスとミオはもう正しく理解している。
クロエが穏やかな微笑を湛えながら、屋上にいる三人に視線を向ける。
「君たちは頑張ったよ。大変良く出来ました。だけど、ここまでだ」
疾風が吹き荒れ、屋上を満たす冷気と融合していく。
ビアスは何とか立ち上がり、
「シンクレアはどうした?」
ショコラは今日パトロールのはずで、その活動でクロエとはコンビを組んでいると聞いている。
クロエは故意に挑発するように小首を傾げ、
「どうだろう。……まだ生きてるかな?」
「てめぇッ!」
ビアスが語気を荒げると同時、クロエが〈ポータブル〉を操作し、
「〈クロエ・スペシャル〉」
三人に暴風が押し寄せ、ビアスとミオにのみ刃のように尖った氷の礫が襲いかかる。
ビアスたちは知るすべもないが、ショコラに致命傷を与えた術式――〈アイス・ダスト・ストリーム〉を発動した。
ジャッカルとの激戦で、立っているのがやっとのビアスとミオに、クロエの術式に対応する力は残っていない。
二人は為すすべなく、氷の刃の嵐に巻き込まれてしまう。
魔術が収まるとアーニャだけが無傷で立っており、後の二人は倒れ伏せている。
「ビアス! ミオ!」
アーニャが二人の名前を叫ぶ声と、クロエが不敵に笑いながら、
「ゲームオーバーだよ。彼らの物語はこれで終わりだ。そして、これから君のストーリーがバッドエンドへ向かう。彼らではなく、私がそれを見届けよう」
アーニャがクロエを鋭い目つきで睨み付ける。
「絶対に許さない。私がアンタを倒してやる」
〈ポータブル〉を出そうとすると、見えない縄で縛られたように、身動きが取れなくなった。
見ると、クロエがアーニャに向かって手をかざしている。
身体的な動きを止める拘束魔術と、魔力を押さえ込む封殺魔術の複合術式だ。
「君には手を出さないように言われてるからね」
クロエが自由を奪われたアーニャを片腕で抱え上げる。
アーニャの体重は同年代の少女と比較すると極めて軽いが、だからといって通常の状態のクロエの細腕で持ち上げられはしない。
強化魔術で腕力を上げているようだ。
アーニャは抵抗しようとするが、体は一切動かない。
声だけは出るようで、
「放して! 嫌! ビアス! ミオ!」
「私がお姫様のために用意された舞台へお連れしますよ」
アーニャはクロエに担がれ、屋上を後にする。
しばらく移動する二人。
その最中、黙っているアーニャにクロエが尋ねる。
「ビアスくんたちが心配?」
「当たり前でしょう! アンタがそれを言うの?」
声を荒げるアーニャに、クロエは変わらず落ち着いた口調で、
「それもそうだね。ただ、彼らはおそらく大丈夫だよ。死にはしない。シンクレアもね」
「シンクレアはどこ?」
「〈アカデミー〉の近くの目抜き通りで寝転んでるはずだけど、もう通行人の通報で〈グロリア〉が駆けつけているかもね」
アーニャが棘棘しい語調で聞く。
「どこへ向かっているの?」
「ボスのところだよ。長距離の移動を憂いているのなら杞憂で済む。すぐ近くさ」
クロエの言う通り、間もなく二人はある場所に到着した。
クロエがアーニャを下ろすと、そこに五十絡みの屈強な体つきの大男がいた。
アナスタシア王女から見せてもらった写真に写っていた男――ワイズマン・ワルドラドだ。
写真よりも無骨で、恐ろしい人相だ。
ワイズマンは低く嗄れた声で、クロエに言う。
「ご苦労」
「ショコラ・シンクレアの相手をしてから第二王女の元へ向かったところ、ジャッカルがやられていました」
「王女付きの親衛隊の者のせいか?」
「ミオ・ミルドレイクも交戦していたようですが、例の黒魔術師が一役買ったようです」
「ビアス・ビルシュタインか」
「はい。もっとも、ミオ・ミルドレイク、ビアス・ビルシュタインはもう虫の息です」
「第二王女さえ手に入れば、他はどうでもよい。生き死にさえ些末なことだ」
ワイズマンはアーニャを見下ろし、満足そうに口端を緩ませる。
「貴様には私の計画の礎になってもらう。もう準備はできているぞ」
「黙りなさいよ」
アーニャがワイズマンを睨み付け、怒りに満ちた声を出した。
そして、間髪を容れず、
「アンタなんかの思い通りならないわ。きっとビアスが助けに来てくれるんだから」
「威勢の良いお姫様だ。随分黒魔術師を信頼しているのだな。だが、もうどうにもならない。奴はやって来ないし、例え現れたとしても、私の野望は決して頓挫しない」
余裕の表情を見せるワイズマンは、自身の計画の最終段階に着手し始めた。




