四章 アーニャの目標 ⑥
新人賞の応募原稿を、最初から最後まで、毎日少しずつ上げていきます。
屋上に出てから、アーニャは戦況を見守り続けるしかできなかった。
ミオが私のために戦ってくれている。
背の高い、怖くて、強い男の魔術師と。
ミオは私と同い年。
王室の親衛隊で、最年少だそうだ。
こうして近くで見ると、ミオが本当に強い魔術師だと分かる。
シンクレアのときもそうだった。
私と年の変わらない女の子が怯むことなく、大人の男たちと渡り合っている。
なんて凄いのだろう。
そして、私はなんて無力なのだろう。
無力な私のせいで、私以外の人が傷つかなければならないと思うと、胸が張り裂けそうになる。
日常生活では、まず接することのない高度で危険な術式が飛び交う。
〈グロリア〉に属するショコラ、王室王女付き親衛隊隊員のミオ、黒魔術師のビアスたちが異質なだけで、こんな魔術は普通の学生では遭遇し得ない。
敵の魔術師が迫ってきたとき、ビアスが現れた。
嬉しかったし、安心した。
緊急避難警報が鳴ってから、ずっとビアスのことは心配していた。
シンクレアもそうだが、出会ってからずっと行動を共にし、何度か敵の計画を阻止してきたビアスは、命を狙われる可能性が高いから。
不意を突かれ、ミオに危険が及ぶ。
それを防ぐため、ビアスが電雷魔術を受けてしまった。
すごく痛そう。
もう嫌だ。
こんなことなら、魔術なんて使えなくていい。
魔術なんて、この世界から消えてなくなればいい。
敵がビアスに、私を見捨てて逃げればいいと提案した。
そうしてほしかった。
そうすれば、もう誰も傷つかずに済む。
でも、ビアスは力強く、はっきりと言った。
――それはできねぇな。
そんなことしたら、俺が魔術を学んでいる意味がなくなる。
そうだ。
私が魔術を勉強しようと思ったのは――。
ビアスとミオがアイコンタクトをきっかけに、最後の連携に打って出る。
敵の魔術師も魔力を練り始めた。
そして、屋上に雷が落ちた。
そう錯覚するような雷電魔術の術式が発動した。
迅雷が去ると、ミオが倒れているのが見えた。
すぐに駆け寄って、抱き起こす。
辛うじて意識はあるけど、危ない状態だ。
悔しくて、情けないけど、もうくよくよしない。
ミオのおかげで、私達がいる場所だけ、雷撃の被害を受けずに済んだ。
だけど、まだビアスの魔法陣が出来上がっていない。
やっぱりさっきのダメージが大きいんだ。
魔力と生命力は密接な関係があるし、魔術の発動には体調や精神状態が強く影響する。
敵はまた百雷の術式を発動する動作に入った。
ビアスの方はまだ少し時間が掛かりそうだ。
このままじゃ、間に合わない。
私にできることはない?
今、私はどうなりたい?
自分が妾の子で、第二王女だと聞かされて、大きな動揺はあったけど、それでも日常生活を送れたのは、ビアスやシンクレア、ミオが、私の側にずっといてくれたから。
自分に力がないことは知っていたし、すぐにどうにかなることじゃないのも分かる。
今の私が皆のように戦うのは無理だ。
だからと言って、現状に納得しているわけじゃないし、満足しているわけでもない。
〈ポータブル〉を手に持ち、ルーンコードを入力する。
初等魔術の基礎的な過程すら、充分には扱えない。
成功したり、失敗したりの繰り返しだ。
シンクレアのようにビアスとタイミングを合わせる複合術式なんて、まだとてもできないが、敵の気を一瞬逸らせるくらいのことはできるはずだ。
意識を集中させ、精神を研ぎ澄ませる。
敵の姿を見据え、座標を決める。
〈アカデミー〉に入学した頃から、目標は少し変わった。
漠然としていたものが、ほんの少しだけはっきりとした輪郭を持つようになった。
〈ポータブル〉が光を帯び、魔術が発動する。
一番に覚えようと思った術式。
ビアスには内緒で特訓していた。
これを使えたら、あなたに一歩近づける気がしたの。
「――〈ロック・オン・エクスプロージョン〉!」
私は人を守れる魔術師になって、ビアスと肩を並べたい。
突然、ジャッカルの体が爆発に包まれる。
ビアスはその光景に、目を見張った。
魔法陣の練成の最中、ジャッカルが攻撃の準備に入った絶体絶命の状況で、誰かが魔術で助けてくれた。
まるで時間を稼ぐように。
ビアスはその誰かの正体にすぐに気づいた。
だから、慌てることなく、自分のやるべきことに専念する。
ジャッカルは完全に虚を衝かれたようだった。
アーニャは魔術を使えないという情報が生んだ、彼女が戦闘には参加できないという固定観念のせいだろう。
ビアスは魔法陣を完成させ、呪文の詠唱に移行する。
「我の行く手を阻む、あらゆる物体を破壊する」
魔導書と魔法陣に神秘的な光が満ちる。
「〈オブジェクト・ブレイク〉!」
ビアスからジャッカルに向かって、地鳴りにも似た轟音を響かせながら、一直線に爆発が起きていく。
大量の黒煙を撒き散らし、怒涛のように迫る爆発の連鎖は、あっという間にジャッカルを飲み込んだ。
ビアスの爆破魔術は屋上を蹂躙し、そのまま空へと伸びていった。
後に残ったのは、直線的に荒々しく削られた床と、完全に静止して佇むジャッカルだった。
やがて、ジャッカルの体がゆらりと傾き、
「……お前たちの勝ちだ。黒魔術師と、第二王女」
そう呟くと、膝から崩れ落ちた。
ビアスの攻撃が勝因のすべてではない。
それまでのミオの奮闘で、ジャッカルも疲労とダメージが蓄積されていたし、アーニャの術式も時間稼ぎ以上の効果があったはずだ。
ビアスは倒れたジャッカルを見下ろし、ニヤリと笑う。
「誰がお荷物だって? アーニャは今に俺たちなんかより、すげぇ魔術師になるぜ」
言い終わると同時に、その場に倒れた。
体力が著しく低下している状態での魔力の多大な消費は、生命の存続に関わる。
アーニャがビアスに駆け寄り、
「ビアス!」
「俺は大丈夫だから、ミオを見てやってくれ」
ミオが仰向けの体勢で、声だけで返事をする。
「私も何とか生きてる。大丈夫。勝って良かった。アーニャ、大活躍」
アーニャはミオの元へ小走りで向かい、
「ミオ、ありがとう。こんなになるまで戦ってくれて」
そのとき、階段室の重い扉がおもむろに開いた。
屋上全体に冷気が漂う。
ミオが最初にその気配を気取った。
ふらふらと時間をかけて立ち、
「アーニャ、逃げて」
ビアスも異変に気づいた。
この冷気の魔力には覚えがある。
ジャッカルと一緒にいた魔術師のものだ。
鋼鉄の扉の前に、一人の少女が立っている。
「まさかジャッカルがやられるなんて。雨でも降るんじゃないのかな。いや、雪でも降らせようか?」
それは、クロエ・クロイツェルだった。




