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黒魔術師の隷属契約  作者: 小野寺 大河
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四章 アーニャの目標 ⑤

新人賞の応募原稿を、最初から最後まで、毎日少しずつ上げていきます。

 アーニャの表情が緩み、眉宇に安堵が漂う。

「……ビアス。無事だったのね」

「当たり前だろ。アーニャを助ける前に死ぬわけにはいかないからな」

 ビアスはアーニャのエメラルドブルーの瞳が、一瞬潤んだのを見た。

 やっぱり、苦手だ。

 アーニャの泣き顔は。ビアスはすぐに目を逸らした。

 童顔のアーニャが大きな双眸に涙を溜め、花びらのような唇をきつく結んでいると、余計に幼く見え、その彼女の悲しそうな顔を見ているこちらが居たたまれなくなるのだ。

 何故アーニャが今、こんな表情をしているのかは正直に言って、ビアスには分からない。

 俺の顔を見て、安心してくれたからだろうか?

 でも、それじゃ何でそんなに切ない顔をしているんだ。

 ――いや、今はそれよりも。

「この間のローブの魔術師だな」

 ジャッカルに向かって言うと、ビアスの登場に焦るでもなく、

「黒魔術師。よく生きてここまで来れたものだ」

「大変だったよ。校内に大挙してうろうろしてるお前らの仲間の相手するの」

 屋上に来るまでに少なからずローブの魔術師たちの相手をする羽目になったのだが、印象としては敵の個々の実力はピンからキリまであり、複数で行動している場合もあれば、単独で行動していることもあった。

 綿密なオペレーションが存在しないのだろう。

 ただ暴れまわっているだけ。

 しかし、ジャッカルは別格だ。

 校内の敵の最下層の魔術師とは、雲泥の差がある。

「毎回毎回図ったように邪魔するのだな」

 ジャッカルは迷惑そうに顔を曇らせた。

「お前らがアーニャを諦めてくれれば、邪魔することもないんだが」

「それは無理な話だ。というよりも、俺に決められることではない。俺は所詮金銭的な報酬を条件に雇われている傭兵にすぎない。手足の一部みたいなものだ。手足は脳からの命令で動くものだろう? 手足が思考し、判断し、独立して行動することはない」

「金銭的な報酬のために何かをすることは悪いことじゃないが、その何かが悪いことだっていうのは感心しないな」

「俺は仕事内で発生する善悪についていちいち考えない。そもそも俺の雇用主が何を画策しているか俺は知らない。任務のために知るべき必要な情報はあるが、すべてを知る必要はない。妙な話だが、例え俺がこの世に存在していなくても、俺ではない誰かが俺のやってるポジションを与えられ、俺と同じことをやるだろう。それだけのことだ」

 ジャッカルは持論を述べてから、

「お前はそこの女が帝国第二王女だと知っているのだろう?」

「王女様から聞いてる」

「だからずっと守っているというわけか。第一王女の心境もかなり逼迫しているようだな、民間人にまで助けを求めたということは。第二王女の命を守ったあかつきには、有難くも王女様から何か頂戴するのか? 俺と同じで金か?」

「そんな話もあったっけか。断ったけどな。っていうか、アーニャが王室の人間だって聞いたのは、この間お前らが〈アカデミー〉に侵入した日だ。それ以前はアーニャが第二王女だなんて夢にも思ってなかった」

 ビアスの発現に、ジャッカルは首を傾げる。

「訳の分からんやつだ。つまり二ヶ月前の段階では、お前は金にもならない女を命がけで助けたということになる。正気の沙汰とは思えん」

「傭兵の価値観じゃ分かんねぇだろうよ」

「おいおい。正義の味方ごっこなら他所でやってくれよ、黒魔術師」

 皮肉たっぷりに言うジャッカルは、小さくため息を吐き、

「お喋りはもうやめだ。俺はお姫様をエスコートしなければならない」

気だるそうに唇を動かしていたが、姿勢を低くし、臨戦態勢をとった。

「最近出会うやつは皆、アーニャのことを王女だ姫だと呼ぶんだが、俺の中で全然定着しないんだよな」

 ビアスの左手に収まっていた魔導書が、ひとりでに開く。

「他のやつにアーニャがどう映ってんのか知らねぇけど、俺からすればずっと飼い猫にしか見えてねぇんだよ」

 いつの間にかミオがビアスの隣に立っていた。

「ビアス。話がある」

「格好良いの着てるな」

「うん。でも、これでもあいつには勝てない。持久戦になればなるほど、こっちが消耗して、ジリ貧になる」

 そのとき、ジャッカルが突進してきた。

 ミオがジャッカルを迎撃し、ビアスは飛び退り、アーニャのところまで退避する。

 この連携は事前に相談していた。

 ビアスの戦闘様式を考えてのことだ。

 ミオには疲弊の色が見えるが、ジャッカルの猛攻を防ぐ。

 防ぐことで手一杯だ。

 それも長くは持たないだろう。

 ミオの動きは悪くなっていく。

 体力と魔力を摩耗していくからだ。

 躱せていた攻撃を防御し、防御していた攻撃を受けるようになる。

 だが時間を稼ぐことだけに専念すれば、少しの間でもこの釣り合いを保つことができる。

 ミオがジャッカルの相手をしている間に、ビアスは幾何学模様の魔法陣を錬成する。

 ミオは随分時間を作ってくれた。

 ビアスはいくつもの魔法陣を仕上げている。

「劇的な変化を以って、爆発を起こせ」

 詠唱に反応し、描いた魔法陣が次々に輝き出す。

 その直後、ミオの姿がジャッカルの前から消えた。

 幻影魔術による回避だ。

 ミオがジャッカルから離れたのを確認してから、

「〈ロック・オン・エクスプロージョン〉!」

 ジャッカルを取り囲むようにいつくもの爆発が起きた。

 実技室の交戦では、三倍の魔力を注いだ、ショコラとの複合術式でも倒せなかった。

 だから方法を変える。

 同一の術式の同時発動だ。

 爆発が爆発を誘発するように、ジャッカルの周囲で連続的に空間が弾けていく。

 気が付くとミオがビアスたちの隣に立っていた。

 極度の疲弊で、呼吸が大きく乱れている。

「これで終わると思う?」

「どうだろうな。それよりも、ミオ、大丈夫か?」

「まだ、大丈夫。でも、これ以上は本当に良くない」

 ミオが言いたいことを、ビアスはよく理解できる。

 戦闘において、ジャッカルほどの使い手に、古代魔術は分が悪すぎる。

 ミオはまだ大丈夫だと言うが、おそらくもうそんなに長くは戦えないだろう。

 魔法陣の錬成や呪文の詠唱のための時間を作ってくれるミオが戦闘不能になってしまうと、ビアスたちの勝機は一気に薄くなることは目に見えている。

 ミオが体を寄せ、耳打ちしてくる。

「これでダメなら、奥の手を使う。それでも倒せないときは、何とかして」

「無茶振りかよ。でも、分かったぜ。俺もまだ切り札がある」

 爆炎と煙が雲散霧消すると、やはりジャッカルは倒れ伏すことなくそこにいた。

 左手で右の拳を包み込んでいる。

 黒煙のせいで気づくのが遅れた。

 拳を中心にバチバチッと音を立てて、放電が始まっていた。

 この術式は――。

ジャッカルが手のひらをミオに向け、

「消え失せろ」

「ミオ、逃げろっ!」

 ビアスが必死に叫ぶが、ジャッカルの術式が発動する。

「〈エレクトリカル・スタン〉」

 鋭い紫電の束が、無防備なミオを襲う。

 ミオはまったく反応できていない。

 完全に不意を衝かれた。

 ダメだ。

 ビアスはそう思うと同時に、体が動いていた。

 紫電の線上、ジャッカルとミオの間に割って入るように飛び込んだ。

「ぐぁっ――」

 体中に激痛が走り、顔が苦痛に歪む。

 筋肉や神経が麻痺し、痙攣を起こす。

 体が言うことを聞かず、その場で膝をついた。

 ミオが珍しく慌てふためいている。

「ビアス!」

 アーニャも顔を青ざめさせ、

「大丈夫なの?」

 ビアスはよろめきながらも立ち上がり、無理に作り笑顔を見せる。

「前衛で戦ってくれてるミオに比べたら、これくらいどうってことねぇよ」

 ミオが心配そうビアスの顔を覗き込み、

「ビアス、どうするの?」

「どうする、とは?」

「私は簡単な治癒魔術なら使える。それでビアスを回復させることができる。ビアスは治癒魔術で体力が回復したら、アーニャを連れて逃げて」

 ミオが真剣な口調で言った。

 しかし、ビアスは首を横に振り、

「そんなことに魔力使うくらいなら、切り札のために取っといた方がいい。大体、その後ミオはどうするんだ?」

「刺し違えても、あいつを足止めする」

 そう言って、ミオはジャッカルを睨み付け、

「一案として、ずっと考えてた。もうこうするしかないし、こうするのが正しい。それが私の役割だから」

「囮になるのがミオの役割だって? 冗談じゃない」

「私とビアスじゃ立場が違う。私は軍人、ビアスは民間人。いざというときは私が――」

「ダメだ」

 ビアスはミオの言葉を遮った。

「ミオが俺を仲間だと思ってくれてるように、俺だってミオを仲間だと思ってる。俺は大事なやつを誰一人犠牲にしたくない」

 そのとき、ジャッカルが嘲笑をビアスに向け、

「黒魔術師、お前は愚かだ。他人を庇って戦闘を不利にした。放っておけばいいものを。今からだって、お姫様を見捨てて逃げたっていいんだぞ? お前を殺す命令は受けていないから、深追いしない。まだ邪魔をするつもりなら、無論容赦しないが」

「それはできねぇな」

 ビアスは笑い飛ばし、そして、真剣な表情と声音で、

「そんなことしたら、俺が魔術を学んでいる意味がなくなる」

「お前らには同情するよ。お荷物を背負って戦わなければならないのだから」

「その言葉、忘れるなよ。いつか後悔するぜ」

 ビアスがミオにアイコンタクトを送ると、ミオは小さく頷いた。

 そして、人差し指に魔力を集め、大きな円と小さな円を描く。

 大きい方の円に収まるように五芒星を書き入れ、いくつかの星などの図形も加えた後、ルーン文字を羅列していく。

「何か企んでいるようだが、無駄だぞ」

 両手の手のひらを顔の前で合わせ、指を組むジャッカル。

 術式のための魔力を練っているようだ。

 両手を起点に放電が強まっていく。

 ミオが緋の国の言語と面妖な模様があしらわれた魔術符を出した。

 懐から抜き取ったのは一枚ではなく二枚。

 模様が左右対称で、対になっている。

 それらを左右の手の指で一枚ずつ挟む。

 ミオは腕を交差させ、異国の言葉で唱え、符呪を上方へ放る。

「不完全なる蝶こそ、その美麗な姿で敵を魅了する」

 ジャッカルの組んだ指に、高圧電流が発生している。

「これで終わりだ」

 全身から紫電を放出し、電光が連続的に発せられる。

 右腕を屋上の床に振り下ろした。

「〈ワン・ハンドレッド・サンダーボルト〉」

 ジャッカルの拳と床の接点から、全角度、全方位に雷撃が迸る。

 ――百雷。

 無数の稲妻は枝分かれし、空間の隙間を埋めるように走っていく。

 いつの間にか中空を舞うミオの魔術符が溶けるように消えており、〈鳳蝶〉がそれに呼応するがごとく、左腕に新たな魔力を帯びている。

 極彩色の〈鱗粉〉が鮮明に輝く。

 ミオの左腕から溢れ出る魔力は、まるで蝶の羽のように見える。

「――〈片羽の黒蝶〉!」

 百雷の中心にいるジャッカル向かって左腕を突き出すと、膨大な魔力が放出さる。

 雷鳴が校内に轟く。

 強烈な稲光のせいで、視界が白く染まり、視野が急激に狭まる。

 魔力の衝突が終わり、屋上に静寂が戻ると、

「お前は賞賛に値する」

 ジャッカルの低い声がした。

 ミオがうつ伏せで倒れている。

 魔力を使い果たし、〈鳳蝶〉も消えてしまっている。

 前半の戦闘の疲労が蓄積されていたのが敗因となったようだ。

「ミオ!」

 ビアスとアーニャは同時に叫んだ。

 アーニャがミオに駆け寄り、慎重に抱き起こす。

 意識はあるが、体のどこにも力が入っておらず、ぐったりとしている。

 しかし、ミオの奮闘は無駄ではない。

 〈ワン・ハンドレッド・サンダーボルト〉は全方向への電雷魔術。

 屋上のフェンスは高圧電流により焼き切れ、そのほとんどが原型を留めていないが、ビアスとアーニャがいる方向だけは被害が防がれている。

 ただし、誤算があった。

 ミオではなく、ビアスに。

 ミオは魔法陣の錬成と呪文の詠唱に必要な時間を作ってくれた。

 だがそれは、ビアスのコンディションがある程度整っている場合の所要時間だ。

 ミオを庇ったときに受けた攻撃のせいで、体内の魔力の制御が思うようにできず、魔法陣の錬成に手間取ってしまった。

 そのため、まだ幾何学模様は完成には至っていない。

「残念だったな」

 ジャッカルが再び、両手を合わせ、五指を組んだ。

 また〈ワン・ハンドレッド・サンダーボルト〉が発動させるつもりらしい。

 ビアスの魔法陣の錬成にはまだ時間がかかる。

 ジャッカルの術式が発動すれば、今度こそ防ぎようがない。

 ビアスが戦ってきた魔術師の中で、ジャッカルは間違いなくトップクラスの男だ。

「万事休す、か……」

 ビアスは苦々しく切歯した。

 もう、こうなったら――。

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