四章 アーニャの目標 ③
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何の躊躇もなく、立ち去ろうとするクロエに、
「待て……!」
流血に塗れたショコラが聖剣を地面に突き立て、それを頼りにゆらゆらと立ち上がった。
「まだ立てるの? やっぱりシンクレアは凄いな~」
ショコラの声に振り返ったクロエが、感心したように言った。
「お前たちはアーニャを狙っているんだろう。何をするつもりだ?」
「その口ぶりだと、あの子の正体を知っているようだね。実技室で交戦したミオ・ミルドレイクとテリング女史から聞いたんだろう?」
「質問に答えろ」
「お姫様に何をするつもりかって話だったっけ。さぁ、何だろうね?」
クロエは肩をすくめて答えた。
「どこまでバカにする気だ?」
「違う、違う。本当に知らないんだよ」
そう言うクロエの声音には、揶揄や嘘の気配は無いように感じる。
「どういうことだ?」
「私はボスに命じられたことをしてるだけ。後のことは何も知らないんだよ。一つ分かることは、今頃ジャッカルがあの子を連れ去っているだろうということかな」
ジャッカル……あの背の高いローブの魔術師のことだろう。
「ボスとはワイズマン・ワルドラドのことだな」
「それが分かっているところで、もうどうにもならないでしょ」
正常な呼吸すらもままならない状態のショコラが尋ねる。
「クロエ、お前は何故そのボスとやらに従う?」
「何故って、それは、」
一瞬だが、クロエに動揺が現れた気がした。
ショコラはそれを見逃さなかった。
「普段のクロエは、金や名誉などまったく興味がなさそうに見えた。〈グロリア〉に所属しているのも、そういったものが目当てというわけじゃないように思っていた」
「それは私の仮の姿だよ。〈グロリア〉にいたのは、ボスからそう指示があっただけ。別に私の意志じゃない。元々は帝都でボスの手伝いをしていたんだけど、去年からローレルの〈グロリア〉に潜伏しとけって言われて、正義の味方ごっこやってるだけなんだから」
「何か隠しているんじゃないのか?」
ショコラの鋭い眼差しが、クロエの紺碧の瞳を見据えている。
「ふふっ、確かに私は隠し事だらけだね」
「そういうことじゃない。誤魔化そうとするな」
ショコラの追求を、クロエは笑い飛ばす。
「シンクレアは私を買い被っているよ。いや、買い被ろうとしているんだ。私たちがコンビを組み始めたのが今年の頭だから、もう半年と少し経つね。その間苦楽を共にしたわけだが、シンクレアはその戦友とも呼べる私が、裏切り者であることを受け入れたくないだけなんだ。だから何か理由を探そうとしているんだろう? 私を憎まないための」
「そうだな、確かにそういうこともあるかも知れない。だが、私はそれでもクロエ・クロイツェルという人間を見損ないきれない」
友のように、どこか姉のように思っていたところもあったのだろうか。
憧れていた。
いつかは超えたいと思っていた。
クロエが秘密を抱えているのなら、彼女を倒した後、ゆっくりと聞くまでだ。
そして何より、ここでクロエを倒さなければ、アーニャやビアスたちへの負担が増える。
「先程クロエは剣対剣、騎士と騎士の戦いだと言ったな。しかし、それは間違っているぞ」
ショコラは〈レヴォルシオン〉の柄を握り締め、
「騎士は剣を携えて戦うが、ただ持っていれば良いというものではない。それでは騎士とは呼べない。私がそれを教えてやろう、先輩」
剣先をクロエに向け、右肩辺りまで引く。
――シンクレア流剣術の型だ。
シンクレア流剣術とは、ローレルができるより昔、シンクレア家の先祖によって、帝国内の山間の地で発祥した剣術流派である。
〈レヴォルシオン〉を構えるショコラを見て、クロエは呆れ顔で一笑した。
「魔術の使えない騎士が廃れ、魔導騎士が『騎士』と呼ばれる時代で、今更ただの剣術なんて通用するワケないよ。血迷ったのかい、シンクレア?」
「やってみなければ、分からないだろう」
次の瞬間、ショコラがクロエに肉薄する。普通の人間の動きではない。
強化魔術により、身体能力を向上させている。
ショコラは瞬く間にクロエへと到達した。
そして、目にも留まらぬ速さの斬撃を浴びせていく。
――閃光剣技。
シンクレア流派の型を基盤に、強化魔術により、限界を超えた動きで放つ剣術だ。
あまりの速度に、クロエは簡単な防壁魔術と拙い剣で対応するしかない。
隙を突いて魔術で反撃しようとするが、間断なく放たれる刃の嵐がそれを許さない。
剣同士が弾き合う、剣戟の斬撃音が四散する。
確かにクロエは、魔術師としてのセンスは群を抜いているが、剣術に関して言えば、素人同然のはずだ。
その点においては、ショコラに一日の長がある。
クロエは焦りを隠すように、作り笑いをしながら、
「こんなの初めて見るよ。隠してたの?」
「そんなつもりはなかった。ただ披露する機会がなかっただけだ」
「ふふっ、そうか。たまらないよ、シンクレア。やはり君は最高だ」
ショコラの剣筋は本物だ。
魔術全盛の時代で、真剣に剣術を究めるものは少なくなってきている。
簡単な話、剣術の修練に時間を使うよりも、魔術の訓練をした方が、騎士としては大成しやすいからだ。
しかし、ショコラは違う。
自身の魔術の才能に奢らず、脈々と継承されてきたシンクレア流剣術を日々、鍛練してきたのだ。
受け継がれてきた流派の歴史は、決して軽んじていいものではないと心得ているから。
洗練された剣技が描く軌跡は、流麗な舞踊のようだ。
次第にショコラの剣が、クロエを圧倒し始める。
だが、ショコラの体の限界も確実に近づいてきている。
常人離れした動作を求められるシンクレア流剣術は、肉体に過度の負荷をかけるために、重傷を負っている今のショコラの体がどこまで持つか分からない。
氷の刃で損傷している傷口から、とめどなく血が溢れてくる。
もう一分も持たないかも知れない。
しかし、クロエは待っている。
凄まじい剣戟の最中、クロエに隙ができることを。
そして、――そのときが来た。慣れない剣の扱いで、一瞬クロエの体勢が揺らいだ。
その一瞬が今のショコラの前では命取りになる。
研ぎ澄まされた一閃が、〈ハイブリッド・レヴォルシオン〉を弾き飛ばす。
珍しくクロエの表情が歪んだ。
ショコラは奥歯をぐっと噛み締める。
今しかない!
〈レヴォルシオン〉に刻印されたルーン文字が発光し、火炎と烈風が同時に生まれる。
聖剣を体の左側で、低く構える。
ショコラの中で最強の火炎魔術〈ブレイズ・スフィア〉と、最強の風嵐魔術〈ヴァイオレット・ストーム〉の複合術式――。
「クロエェェェェェェエエエエエエエエエエエ――ッ!」
ショコラは逡巡することなく、〈レヴォルシオン〉を振り抜く。
「――〈ドラゴン・ラス〉!」
火炎と烈風が合わさり、巨大な焔の竜が生まれる。
その炎竜は餌を捕食しようと口を開け、熱風を撒き散らしながら、クロエを焼き尽くそうとする。
――炎上する竜が去った後、そこには誰もいなかった。
クロエを焼き切っていないことは分かる。
〈アカデミー〉へと伸びる、クロエの残留魔力を感じるからだ。
防壁魔術と魔術を打ち消す消滅魔術を駆使し、逃走に成功したようだ。
「……逃げられたか、……うっ――」
ショコラは顔をしかめ、その場に倒れ込んだ。血を流し過ぎていた。
全身のどこにも力が入らず、意識が朦朧とする。
クロエの目的はおそらく、ショコラを倒すことではなく、足止めすることだったのだ。
致命傷を負っているにも関わらず、魔力の消費の激しい術式を使ったり、体に過度の負荷をかける剣術を扱ったりするショコラは、力でねじ伏せなくとも勝手に自滅する。
正面衝突せず、受け流してしまった方が楽だと判断したのだろう。
この状況判断能力と冷静さこそが、クロエの本当の恐ろしさなのかも知れない。
ショコラはクロエとの戦闘の勝敗に固執し過ぎていたのだ。
騎士としては勝ったが、結果的には負けてしまったようなものだ。
追跡することは、体力的にもう不可能だ。
ならば、せめてビアスたちに伝えなければ。
ショコラは携帯電話を取り出そうと、〈グロリア〉の制服のポケットに手を突っ込もうとするが、右手は何度も空を切り、やがて地面に落ちた。




