四章 アーニャの目標 ①
新人賞の応募原稿を、最初から最後まで、毎日少しずつ上げていきます。
「ミオ。あの、歩きづらいんだけど」
〈アカデミー〉の放課後、アーニャが不満そうに言った。
ミオがアーニャに抱き着き、全く離れようとしないからだ。
両腕をアーニャの胴に回し、廊下を引きずられている。
「せめて自分で歩きなさいよ!」
ミオはようやくアーニャから身を離した。
アーニャは髪や服装の乱れを整えながら、
「王女様から言われて私にべったりなのは分かるけど、こんな一日中くっ付かれてたらさすがに生活しづらいわよ」
「これが最善の方法」
アナスタシアがビアスたちの前に現れた日から、ミオはずっとこの調子だ。
ミオのようなやり方ではないが、ビアスも、そしてショコラも今日のように〈グロリア〉の任務がある場合以外は、なるべくアーニャの側にいるようにしている。
三人で相談して決めたことだ。
アーニャは腰に手を当て、唇を尖らせる。
「限度ってものがあるでしょ」
アーニャの注意に、ミオは無反応だ。
そんな彼女を庇うように、ビアスが割って入った。
「ミオだって良かれと思ってやってるんだから、あんまり責めるようなこと言うなよ」
「それは分かってるけど、四六時中抱きつかれてる私の身にもなりなさいよ」
「俺なら嬉しいだけだけど?」
「バカ! ホント節操ないんだから」
「アーニャが私の身になれって言ったんじゃねーか」
「む~~っ!」
ビアスに対するアーニャの態度は、すっかり元通りだ。
ローブの魔術師たちの襲撃を受けた後、アーニャがベッドの上で言ったことを聞いて、ビアスはでそれまで以上に二人の距離が縮まった気がしていた。
もちろんそれまでも、出会った当初とは比較にならないほど、関係は良好だったが、あのときのアーニャは、いつも以上に素直になっていたように思う。
アーニャの態度が元通りになった原因が、単なる照れ隠しなら別にいい。
しかし、あの日は本当にいろいろなことがあった。
王女から告げられた事実は、ビアスたちを驚かせるのに十分だった。
ビアスやショコラも一驚を喫したわけだが、当事者であるアーニャにとってはまさに青天の霹靂と言っても過言ではないはずだ。
それが以前と同じような状態に戻るというのは、果たして正常なことなのだろうか。
ミオは頬を膨らませているアーニャに、
「アナスタシア様から命じられているというのもあるけど、アーニャ様――アーニャのことが心配だから」
それは王女付きの親衛隊隊員としての任務だからというだけでなく、ミオ個人としても一人の友人としてアーニャの力になりたいということだ。
「まぁ、それは嬉しいけど」
アーニャが恥ずかしそうに目を逸らすと、ビアスがミオに向き直り、
「ミオは友達想いだな~」
「そういうこと」
ミオはこくんと首を前傾させた後、再びアーニャに抱き着いた。
「普通に隣にいてくれればいいでしょ!」
声を荒げるアーニャを横目に、ビアスはミオの肩に手を置き、
「友情は無限だよな~」
「なー」
視線を交わし合うビアスとミオに、アーニャは大きな目を半眼にする。
「気持ちが悪いんだけど」
「気持ち悪いなんてひどいよな~」
「なー」
意気投合する二人に、アーニャは肩をすくめ、
「アンタたちって妙に気が合うわよね」
そう言ってから、ミオを振り払い、ふいに歩き出した。
「どこ行くんだ?」
ビアスが声を掛けると、
「トイレ! まさか付いてくるなんて言わないわよね」
「行かねーよ。変態じゃないんだから」
「どうだか」
腕を組んでそっぽを向いたアーニャの袖を、ミオが引っ張る。
「私も行く」
「ミオも?」
ミオの密着護衛に辟易しているアーニャは、たちまち顔を曇らせた。
「我慢できない」
ミオはぽつりと呟き、トイレがある方向を眺め、
「もう、限界」
「た、大変じゃない!」
「洪水」
「その単語は、今一番聞きたくないかも!」
直立不動のミオと、対照的に大慌てのアーニャ。
ビアスはアーニャの背中を軽く押し、
「ほら、早く行って来いよ」
「そうね。じゃないと、ミオがとんでもないことに!」
「滝」
「ダメよ!」
アーニャはミオの手を引きながら、
「ビアス、下駄箱で待ってて」
「分かった。間に合うといいな」
「バカ! 絶対間に合わせるわよ!」
ビアスはトイレに向かうアーニャたちの後姿を見送った後、下駄箱に向かいながら、つい先日のミオとの会話を思い出していた。
ミオが二人で話したいと言ってきたのだ。
「ビアスとシンクレアに協力を仰ぐかどうか、アナスタシア様から意見を求められたとき、私は迷わずビアスたちを推した」
「もしかして、俺たちを巻き込んで悪いとか思ってるのか?」
ビアスはミオが、自身の判断の如何によっては、ビアスたちを王室のお家事情に付き合わせることもなかったと自責しているのではないかと思って聞いたのだが、
「ううん。二人はアーニャにまつわる今回のことを知っていてもいなくても、アーニャが危機に直面すれば、どうせ勝手に助ける。だから私の行動は関係がない」
「よく分かってるじゃん」
ミオは口数が少なく、感情の起伏も小さい為、普段何を考えているかよく分からない側面もあるが、ビアスたちのことを充分に理解していることは分かった。
いつも無感情なミオの瞳が、ふいに強い光を放つ。
「でも、二人が危険に晒されたら、私が命をかけて守るから」
ビアスがミオの頭を撫でると、
「私がビアスたちを推したのは、敵の魔術師の襲撃に立ち会ったというのもあるけど、それだけじゃない。二人は優しい人。特にビアスは、監視を命じられてからずっと見てきた」
「えらく評価してくれてるんだな」
ミオは困ったような表情になる。
「私はあまり人と話すのが得意じゃない」
「確かに、マイペースかもな」
「そういう言い方もできる。でも、別の表現をするなら協調性がなく、コミュニケーション能力が低いとも言える。多くの人が、そう感じると思う」
ミオの黒檀のような瞳が、心許なさそうに揺れている。
「ビアスみたいに思ってくれる人は少ない。私にとっては貴重な存在。私の言うことや、行動に付き合ってくれるのが、すごく嬉しい」
親の機嫌を窺う子供のように、上目遣いに見つめてくるミオの頭を撫でると、くすぐったそうに目を瞑った。
ビアスは少しの間、ミオの頭に手を置いたまま、
「そんなふうに、俺が無理してミオに付き合ってるみたいに言うのはやめてくれよ。俺はただミオといるのが楽しいだけなんだから。たぶん、アーニャもシンクレアも、それは一緒だと思うぞ」
「うん。二人にも、今と同じ話をしてみる」
そう言ってから、ミオはほのかに笑った。
それは初めて見る、ミオの笑顔だった。
「ビアス、ありがとう」
ビアスは、そのときのことと、ぴったりとくっ付いていたアーニャとミオの姿を思い浮かべて、自然と微笑ましい気持ちになる。
ミオはショコラとも、教室やビアスの家での二人を見る限り、仲良くやっている。
ショコラは誰に対しても別け隔てなく接するし、ミオもショコラの裏表のない真っ直ぐな性格と相性がいいのだろう。
要するに、気が合うのだ。
ビアスが外履きに履き替えようとした、そのときだった。
突如、校内にけたたましい避難警報が鳴り響く。
この警報は災害の他に、事件性のあることが発生した際も機能する襲撃警報の役割も持つ。
〈アカデミー〉の生徒は入学時のオリエンテーションで、この警報が発令した場合の行動のレクチャーを受けている。
緊急避難経路というものがあり、転移魔術を応用したシステムが導入された避難装置が設置されている場所に続いている。
その装置を使えば、一瞬で〈アカデミー〉の敷地外に避難することができる。
やがて、まだ下校していなかった生徒たちの無数の足音が校内に轟き始める。
慌てず冷静にと指導されているが、いざその状況に放り込まれると、それを実践できる生徒は少ない。
ビアスと同じく玄関付近にいた生徒は、我先にと正門を目指して飛び出していく。
一歩も動かないビアスに、何人かの生徒がぶつかる。
嫌な予感がする。
その違和感が現実へと変化する予兆のように、テレサから電話がかかってきた。
アナスタシアと会った日に、協力関係になるからと、番号を交換しておいたのだ。
「アーニャ様は近くにいるか? さっきからアーニャ様ともミオとも連絡が取れない」
受話口から聞こえるテレサの声には険しさが滲んでいる。
「今は一緒じゃないです。玄関で待ち合わせってことになってますけど」
「ビルシュタイン。緊急事態だ」
「だいたい察しがつきますよ」
「そうか。なら話が早い。現在〈アカデミー〉に黒いローブを着た不審者が大挙して不法侵入している。十中八九例の男の手の者だろう」
今回は一人や二人じゃないらしい。
一言も聞き漏らさないように、集中して耳を傾ける。
「前回のことがあってから、〈アカデミー〉はセキュリティシステムのレベルを上げていたにも関わらず、侵入を許してしまった。しかも前回の襲撃に関しては、あの二人の魔術師が警報のシステムに魔術的な細工をしたが、それが今回は、こそこそ隠れながらではなく堂々と攻めてきている。つまり、」
テレサはそこで区切り、一層剣呑な口調で告げる。
「敵の本隊がいよいよお出ましってことだ」
ビアスは気が付くと走り出していた。
急がないと、アーニャが危ない。
隷属契約のおかげでアーニャの居場所は分かる。
現在はビアスたちの教室がある、一年生校舎三階の廊下を移動している。
「アーニャとミオは俺に任せてください。先生は敵の動きを調べてもらえませんか」
「分かった。気をつけろよ。また連絡する」
ビアスは電話を切り、二人の元へ急ぐ。
生徒たちは皆避難したらしく、廊下にも教室にも誰もいない。
しかし、二階から三階への階段の前で、十ほどの人影が現れた。
学生ではなく、その全員が黒いローブを身に纏っている。
彼らはビアスを見つけると、〈ポータブル〉で魔術を発動させようとする。
全員が全員、魔術師ということだ。
魔術師たちはそれぞれ、火や水や電気を発生させた。
ビアスは左手に、魔導書を出現させる。
アーニャを襲った魔術師のレベルであれば、あのときのショコラのような盾役がいない場合、古代魔術では魔術の発動の速度の面で対抗できないだろう。
だが、あれほどの手練れは稀だ。
魔術の発動の様子を見たところ、この程度の連中ならば、一人でも対応できる。
ビアスの魔導書が発光し、ページがひとりでに捲れていく。
この数を一人ずつ相手していたら、時間を大きくロスしてしまう。
敵の魔術師たちの一斉攻撃が放たれる。
ビアスは慣れた様子で、障壁魔術の魔法陣を描いた。
向かってくる敵の魔術の威力を不可視の壁により激減させ、その間に距離を取る。
右手の人差し指で、爆破魔術で練成した魔法陣よりも一回り大きな円を描く。
その内側にもう一つ円を作り、滞りなく図形や記号を足していく。
ローブの魔術師たちの次の斉射が来る前に、完成させるのだ。
模様をあしらう様にルーン文字を紡いでいき、複雑で難解だが、様式美を感じさせる魔法陣が仕上がった。
最後に、いよいよ呪文の詠唱に移る。
「我の意識干渉、否応なくこの者たちに暗転をもたらす」
練成した魔法陣と左手の魔導書が目映く輝く。
「〈オートマチック・ブラックアウト〉!」
ビアスの行く手を阻むローブの魔術師たちの動きが、ぴたりと止まった。
そして、まるで操り人形の糸が切れたように、次々とその場に崩れ落ちていく。
――〈オートマチック・ブラックアウト〉。
被術者の意識を自動的に落とす、精神干渉魔術だ。
ビアスは戦闘不能の敵を尻目に、再びアーニャたちの元へ駆け出した。




