三章 黒魔術師 ⑥
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アーニャが簡単な食事を食べ終わると、ビアスは立ち上がり、ベランダに出た。
そしてアパートの前の道路を見下ろすと、ショコラとテレサ、ミオの姿がある。
事前に打ち合わせた通り、アーニャの体調が戻り次第、ベランダから顔を出すことで、入ってきていいと、外の三人に合図する。
やがて、玄関のドアがノックされた。
三人が部屋に入ってくると、アーニャは突発的に叫ぶ。
「ミオ! 大丈夫なの?」
彼女の大きな声が室内に響いた。
アーニャが最後に見たミオは、氷漬けになった姿だったため、思わず力が入ったのだろう。
「大丈夫」
制服姿のミオは短く答えた。
その無感情な声がいつも通りで、アーニャはそれによって安心したようだ。
テレサがアーニャの顔を見ながら、
「思ったより元気そうだな」
「はい。先生、さっきはありがとうございました」
首を横に振るテレサに、アーニャが聞く。
「わざわざ私の様子を見に来てくれたんですか?」
その問いには答えず、テレサはビアスを一瞥した。
彼は軽く頷き、
「今日のことで、先生は俺が黒魔術師だと知った。本来は看過できないんだが、先生は先生で事情があるそうで、俺たちに話があるそうだ。俺もシンクレアもまだ聞いてない」
ビアスの簡単な説明の後、テレサが話し始める。
「最初に言っておくことがある。私とミオは〈アカデミー〉の者じゃない」
ビアスもショコラも別段驚いたりはしない。
アーニャと何らかの関係があるとは思っていた。
アーニャが襲われたとき、自分たちを除いて、ミオとテレサだけが助けに入った。
もちろん偶然近くにいて、正義感にかられただけなのかも知れないが、アーニャのことを気に掛けていたビアスたち以外で、アーニャの危機にあれほど迅速に対応したところを見ると、常日頃からアーニャを注視している可能性が高いからだ。
魔術を教え、学ぶ〈アカデミー〉において、別の目的を持った二人。
テレサはミオのことを、学校ではミルドレイクと呼んでいるが、今はミオと言った。
おそらく二人は同じ組織の人間なのだろう。
アーニャだけは不思議そうに小首を傾げた。
「〈アカデミー〉の者じゃないって、どういうことですか?」
アーニャの質問に、テレサがおもむろに答える。
「私たちは王室のある方から、アーニャ様の監視兼ボディガードを任された魔術師だ」
「王室? アーニャ様?」
ビアスもショコラも、さすがに疑問を持った。
まったく意味が分からない。
当のアーニャも同様に目を丸くし、言葉を失くしている。
テレサとしては、ビアスたちの反応は予想通りだったようで、
「このことだけを聞いても意味が分からんと思う。まず、会ってほしい人がいる」
玄関に近寄り、ドアを押し開けながら、「お入りください」と言った。
アパートに入ってきたのは、三人ではなかったようだ。
外にもう一人誰かいて、その人物に声をかけたようだった。
その声音は、明らかにいつもと違った。
学校で聞くのとは、あるいはついさっきまでの口調とは、明確に異なっている。
テレサのその様子に、ビアスたちも緊張の色を露わにする。
開けられたドアから、一人の少女が現れた。
その人物を見て、ビアスたちは一様に息を呑んだ。
「――王女様!」
素っ頓狂な声が上がる。
二人分、アーニャとショコラのものだ。
しかし、それは無理もない。
なぜなら、玄関に立っているのは、この国のお姫様だからだ。
ビアスも当然その少女の顔を知っている。
テレビや新聞などのメディアで、何度も見ている。
華やかなティアラや高価なドレスは無いが、その見目麗しい姿を見間違えようがない。
金色の髪はその一本一本が輝き、神に選ばれたのだと錯覚する器量につい目を奪われてしまう。
お姫様は如才のないお辞儀をし、
「はじめまして。私はアレグリア帝国王女、アナスタシア・アーデルハイドです」
上品さと優雅さと含んだ微笑を湛えた。
ショコラが軍人然とした態度で、いち早く跪こうとする。
しかし、アナスタシアはそれを手で制し、
「構いませんよ」
「で、ですが」
「いいのです。今私は王女としてではなく、一人の人間としてここに参上しているのですから」
テレサが付け加えるように、
「アナスタシア様が直々にお話ししたいというご意向をお持ちだったから、わざわざご足労いただいた」
王女が神妙な顔つきでアーニャを見据え、
「アーニャ」
控えめに名前を呼んだ。
アーニャは緊張した面持ちで、王女を見つめている。
それから王女は俯いて何か思案していたが、やがて意を決したように顔を上げた。
アーニャにだけではなく、ビアスとショコラにも告げるように、三人の顔を順々に見た。
「単刀直入に申し上げます」
そして、一拍の間を置き、
「アーニャ・アルカナは私の腹違いの妹なのです」
そう言った。
明言した。
ビアスたちは一様に絶句する。
嘘や冗談かと勘繰ってしまうが、王女様がわざわざこんな安普請に足を運んでまで、そんな虚言を弄する必要などあるだろうか。
何よりアナスタシアのその真剣な表情が、すべてを物語っている。
王女とアーニャが腹違いとは言え、姉妹ということは、アーニャは王室の人間だということを意味している。
煌びやかなブロンドも、よく見るとその宝石のようなエメラルドブルーの瞳も、アーニャと同じだ。
アナスタシアは、重々しく口を開く。
「アーニャは妾の子として生まれたのです。あなたの本当の名前はアーニャ・アーデルハイド。本当ならアレグリア帝国の第二王女です。アルカナはあなたの母親のファミリーネームです」
――妾。
つまり、皇帝の愛人の子というわけだ。
秘匿されるべき事実。
あってはならない真実。
王室の歴史の闇に埋葬され、無かったことにされた存在。
それがアーニャだ。
アーニャは愕然とした表情で、無言のまま、王女をじっと見ている。
「私もずっと知りませんでした。しかし、王室に古くから仕える侍女から数年前に聞きました。私に妹がいると。アーニャの存在は、当時王室内で大変な問題になったそうです。協議の末、アーニャの母は帝都から追放されました」
アナスタシアの切実な声が狭い室内に響く。
「私に妹がいると知った後、私はアーニャについて調べるため、過去の王室の議事録に目を通していたときのことです。もう一つ重大なことを知りました。それはアーニャの中にとてつもなく強大な魔力が眠っているということです。その強すぎる力が、いつかこの国滅ぼすのではないかと危惧され、アーニャは追放されると同時に魔力のほとんどを封殺されました」
ビアスはそれを聞いて合点がいった。
だからアーニャは魔力制御が上手く行かず、初等魔術すら難儀しているのか。
「今年に入ったくらいから、アーニャの力を利用しようと不審な動きをする者が現れました。そこで私は、王城で私付きの親衛隊に所属している魔術師の中でも、特に親しくしていたテレサとミオに頼んで、アーニャの護衛をお願いしていたのです」
ミオが口を開く。
「ビアスのことも、監視の対象になっていた」
ビアスが驚きを見せると、アナスタシアが心苦しそうに、
「私が命じたことです。以前もアーニャを助けてくださったことがありましたよね。そのときに、二人は隷属契約を結んだ。アーニャの命を救ってくれた人に限って悪いことはないとは思ったのですが、一応監視させていただきました。本当に申し訳ありません」
そう言えば、突然ミオがこの部屋にやって来たこともあった。
「アーニャに近づく者を警戒していたわけですね」
何気なく言ったビアスの言葉に、アナスタシアはばつが悪そうに目を伏せ、
「監視などと聞いて、気を悪くさせてしまったとは思いますが、どうかお許しください」
「別にいいですよ。それよりも、敵について話しましょう。アーニャの魔力について知っている者が関係している可能性が極めて高い。つまり、王城の中にいる、あるいはいた者ということになる」
「ローブを着た魔術師たちと交戦しましたよね。テレサから報告を受けました。おそらく彼らは首謀者ではありません。黒幕は別にいます」
「心当たりがあるんですか?」
アナスタシアは深く頷く。
「はい。察しはついています」
ビアスとショコラ、そしてアーニャは、固唾を呑んでアナスタシアの言葉を待った。
王女がテレサに目配せすると、テレサは懐から一枚の写真を取り出した。
それには一人の男が映っている。
髭を蓄えた五十絡みの大男だ。
やがて、アナスタシアの口からその名が発せられる。
「ワイズマン・ワルドラド。彼はかつて帝国の内政に携わる地位でしたが、突然王城を去り、現在消息不明の状態です」
王女が続ける。
「敵の狙いはアーニャの命というよりも、妾の子というアーニャの立場か、アーニャの中に眠っている莫大な魔力、あるいはその両方だと考えられます。王室のスキャンダルは国家転覆の材料になり得ますし、強大な魔力は上級魔術の発動に利用できます」
不穏な単語が続けざまに登場し、室内の緊張感が一層増していく。
今から考えると、三月末の大雨の日にアーニャが土手の下で瀕死の状態に陥ったのは、敵からしても計算外だったということになる。
ただし、敵が目的を果たした後も、アーニャを生かす保証などない。
「ごめんなさい。急にこんなことを話して、混乱させてしまうのは分かっています。私はアーニャの生い立ちと、アーニャの中に眠る力のことを知って、このまま幸せに暮らせるのなら、それは良いことなのではないかと思っていました。だから、本当はアーニャには知ってほしくなかった」
アナスタシアはアーニャだけを見やる。
「ですが、あなたの命を狙う者からあなたを守るには、話しておいた方がいい、いいえ、話しておかなければならない状況になったのです。〈アカデミー〉にまで侵入してきたところを見ると、いよいよ本格的に動き出したようです。これまではアーニャには真実を隠したままで、密かに守っていたのですが、敵の魔術師がかなりの術者だということや、現状テレサとミオに頑張ってもらっていますが、こちらの戦力などを考えると、もうアーニャには秘匿するという制約付きでは、守り切れるかどうか確然とした自信が持てないのです。これらが事実をアーニャに教えることを決めた理由です」
アーニャを守れるか自信がない。
あの大雨の日もきっとそうだったのだ。
ビアスが現れなければ、どうなっていたか分からない。
ビアスがアーニャを一瞥すると、依然として口を閉ざしたままで、沈黙の権化と化している。
王女に視線を戻し、
「俺たちに話があるって、これで終わりじゃないですよね」
ビアスの指摘に、アナスタシアは強く首肯する。
「私は王室のアーニャに対する態度に不満を持っています。アーニャは何も悪くない。私としては、これ以上王室の勝手に振り回されてほしくありません。ですからビルシュタインさん、シンクレアさん、あなた方にもアーニャを守ってほしいのです。お二人のことはミオとテレサから聞き及んでいます。〈アカデミー〉でもプライベートでも、アーニャと仲良くしていただいているようですし、何より魔術師として相当な実力をお持ちです」
それまで黙っていたアーニャが、難色を示した。
「でも、それじゃビアスたちが危険な目に遭うんじゃ……?」
アナスタシアは沈痛な面持ちになり、
「それは、……アーニャの言う通りです。しかし、確固たる証拠もありませんし、アーニャの生い立ちを理由に、帝国軍や〈グロリア〉も動きにくいようです。ワイズマン・ワルドラドは、表向きは善人として振舞っていましたし、王室は何か具体的に問題が発生してから動くつもりなのです」
それはつまり、アーニャに何かあってから、その重い腰を上げるということだ。
公的機関は後手に回ることが多いというのは、どこの世界でも同じなのだろう。
アナスタシアはビアスとショコラに視線を移した。
「私は王女と言っても、ほんの子供に過ぎません。強い力を持っているわけではないのです。ですからお二人のお力をお借りしたいのです。もちろん、失礼にならない程度には謝礼金もご用意します。どうか、お願いします」
そして、王女であるアナスタシアは深々と頭を下げた。
その異常と言える光景に、ショコラが慌てた声を出す。
「頭をお上げください。もちろん、お引き受けします」
「俺も引き受けますよ」
続いてビアスも了承した。
二人の快諾の言葉を聞き、頭を上げるアナスタシア。
「ありがとうございます」
重苦しさを漂わせていた表情が、ようやく晴れたアナスタシアに、ショコラがわずかに言いづらそうにしながら、
「ただし、王女様のご希望と、私の解釈はニュアンスが若干異なるかも知れません」
「どういうことですか?」
アナスタシアが小首を傾げると、
「私はアーニャを守るのではなく、アーニャとともに戦います。アーニャはそんなか弱い女じゃありません」
それはともすると、王女の発言の否定ともとれそうだ。
只の学生であるビアスよりも、帝国軍傘下の〈グロリア〉に所属しているショコラの方が、姫殿下に対する畏敬の念が強いはずのだが、控えめながらもショコラはアナスタシアに面と向かってそう言った。
ビアスもまったくその通りだと思い、頷く。
「シンクレアの言う通りだ。アーニャは何もできない子供じゃない」
話は収束しかけているが、アーニャの表情は曇ったままだ。
「王女様の気持ちも、二人の気持ちも嬉しいけど、私のせいでビアスとシンクレアが危険な目に遭うのは、やっぱり嫌。二人には本当に関係ないのに。それに敵は凄く強い魔術だし、どうなるか分からないわ」
アーニャはビアスとショコラに視線を向ける。
「いくら王女様からのお願いだからって、帝国の正式な命令でも何でもないんだから、断ることもできるじゃない。シンクレアは騎士だから王室の人からの要求は断りづらいかも知れないけど、ビアスはどうなの。こんな安請け合いしていいの? それに二人が期待してくれてるほど、私は……」
徐々に語調が弱々しくなっていくアーニャに、ビアスがおもむろに話し始める。
「アーニャが言う通り、これは正式な命令じゃないし、お姫様がこの部屋に入ったとき言っただろ。王女としてではなく、一人の人間として来たって。帝国とか軍人とか、関係ない。要は友達の姉ちゃんに、妹のことを助けてあげてくれって言われただけだ。だから謝礼は言葉と気持ちだけで充分です」
王女としてではなく、姉としての願い。
「引き受ける根本的な理由は、俺もシンクレアも同じはずだ。お姫様からだろうが誰からだろうが、アーニャのために戦ってほしいって言われたら、そりゃ断れねーよ」
ビアスが目配せすると、ショコラは満足そうな笑みを作り、
「そういうことだ」
「一緒に戦おうぜ」
そう言ってアーニャに笑いかけるビアスに、
「――うん」
アーニャは小さく、だが確実に頷いた。




