第8話 食わなくてもわかる旨さ
(……う、うーん)
鼻の奥に残る鈍い痛みと、首を絞められたときの息苦しさの名残のなか、サーブは暗闇のなかで目を覚ました。
肌に触れるのは、身体を包む心地よい感触。どうやら自分は、フカフカの落ち葉のベッドの上に寝かされていたようだった。
遠のく意識のなかで見た、あの冷徹な男の目を思い出す。
せっかく人間に会えたと歓喜した瞬間に鼻血を噴き出させられ、そのまま頸動脈を〆られたのだ。
「……そうだ、私、シメ落とされたんだ」
恐る恐る体を動かしてみるが、どこも縛られていないし、服の乱れもない、装備も貞操も奪われていない。それどころか、わざわざこんな温かい寝床まで作ってくれている。
混乱しながらも、サーブは周囲を窺うために落ち葉から頭を突き出した。そして、その光景に「えー?」と間の抜けた声を漏らした。
そこに鎮座していたのは、昨夜までは影も形もなかった、木の枝と葉っぱで編み上げられた精巧な……いや、もはや『家』と呼ぶべきレベルの頑丈な簡易テント拠点だった。しかも、国軍指定級の捕食者がウジャウジャいる魔境のド真ん中だというのに、暗闇の中、周囲には虫一匹近づいてくる気配がない。
(防モンスター魔法の結界? 即席のテントでこんな出力出せるの!?)
未知の存在への恐怖に冷や汗を流していると、ふわり、と風に乗って『それ』が漂ってきた。
五感を容赦なく刺激する、えも言われぬ芳醇なスパイスの香り。一週間、まともな食事にありつけず涙を流していたサーブの胃袋が、猛烈に自己主張を始める。
香りの源へフラフラと近づくと、そこは家の裏。パチパチと静かに音を立てる、魔法仕掛けの簡易魔法竃が置かれていた。
じゅるり、と口の中に溢れるほどの唾液が溜まる。
(ダメだ私! 人のものだよ! 触ったら多分ヒドい目に遭う!)
頭の中に〆落とされた瞬間の記憶が蘇る。その表情には、他人の顔を殴ることの忌避感や罪悪感などはなく、まるで、そう、書類にハンコを押す程度の感覚で女の子の顔を殴り、首を絞めてきた。生粋のサイコパスの顔。
恐怖でブルリと震える。
だが、頭では理解しているのに、飢餓状態の体が勝手に動く。気づけば、蓋代わりに載せられていた大葉を、そっと持ち上げていた。
「……うわぁ!」
美しい湯気が広がり、その中央に鎮座していたのは――スパイスがたっぷり揉み込まれた、トロトロの脂が輝く極上の肉の塊だった。
「……ひ、一口だけ。一口だけなら、バレない、よね……?」
震える手で、蓋の大葉に肉を取り出すと、フーフーと息で冷ましながら、お肉の端っこへとかぶりつく。
その瞬間、濃厚な脂の甘みと、絶妙に調合されたスパイスの旨味が爆発した。
(おいしぃぃぃいいいいい!!)
声にならない絶叫が脳内を駆け巡る。一週間の極限状態を生き抜いた心と体に、極上の栄養が染み渡っていく。一度理性のタガが外れたサーブを、止めるものは何もなかった。
「あともう一口……いや、もう一切れだけ!」
気がつけば、あんなに大きかった肉の塊はすべてサーブの胃袋に収まり、鍋の中には脂のスープだけが残されていた。
「ぷはぁ、満足! ごちそうさまでした!」
お腹がいっぱいになると、今度は急激な睡魔が襲ってくる。魔境での恐怖、飛竜の襲撃、そして男に気絶させられたストレスが一気に解消され、心地よい気だるさが全身を包む。
「やっぱり、落ち葉のベッド最高……おやすみなさい……」
口元についた脂をペロリと舐めとることも忘れ、サーブは再びふかふかの落ち葉の山へと潜り込んだ。今度こそ、なんの憂いもない、幸せで深い眠りへと落ちていくのだった。
――恐怖は現在進行形だというのに。
――――――――
――深く、沈み込むような感覚。
スパイクは、ぼんやりとした意識の中で、夢を見ていた。
―――スパイク。
いいかげん、自分が特別な子だと理解しろ。
あまり求めすぎるな。
お前にできることが他の奴らにできない。
それは仕方のないことなんだ。
奴らが足りないわけじゃない。
お前が特別なだけなんだから。
だから、そう無駄に期待するな。
お前が心をすり減らす必要はないさ。
(先生、……それでも俺は)
浅い眠りから目を覚ます。
「……、懐かしい夢を見たな」
スパイクは岩棚に作った拠点で大きく欠伸をする。
魔法防災課に居たときの、木の枝と葉っぱと防モンスター魔法を用いた、簡易テント拠点の作り方を学んでいて良かった。
アレンジして防音魔法も付与したことも正解だった。雑音に眠りを阻害されることもなかった。
おかげで、急遽のサバイバルとなっても、存外寝心地の良い夜となった。
やるじゃないか魔法防災課。あの防災訓練は無駄じゃなかった。
簡易拠点から外に出ると、落ち葉の山の中からは、昨日〆落とした原住民(?)の寝息がまだ聞こえてくる。
こいつ危機感無いのか? それともこれが原住民の肝の据わり方なのか?
腹がグルルと鳴り、朝飯の時間を告げてくる。
今日の朝飯は、昨日の探索で拝借した暴蜥蜴の尾肉。群れの中でも丸々と太っていた奴を狙ったからか、脂の乗りは最高で非常に旨そうだった。
魔法防災課の『防災マニュアルのオススメ探索スポット』の知識を応用して辺りを彷徨いただけで、鍋代わりにできる大葉や、スパイス類の群生地を発見できたのは、僥倖だった。
さすがは、サバイバル知識の魔導書と呼ばれるだけはある。痒いところに手が届くとはこのことだ。
簡易魔法竃の火を消す。昨日からトロ火で煮込み続けた蜥蜴肉のスパイス煮込みが完成の時を迎える。
香りも素晴らしい。食わなくてもわかる旨さが、あたりに広がっている。
昼飯は余った蜥蜴脂で揚げ物もいいな。
そんな予定を立てながら箸代わりの木の枝を持ち、蓋代わりにしていた葉っぱをどけた。
美しい湯気と共に脂の濃厚な香りが立ち上る。味覚だけでなく視覚や嗅覚も楽しませてくれるとは、やるではないか蜥蜴肉。
湯気が晴れた先、そこに広がる光景は、スパイスで色付いた旨そうな蜥蜴脂のスープが朝日を反射して光り輝き、鍋にしていた鮮やかな葉っぱの緑が透けて見えている。
だが、何かが足りなく感じ、少し考える。
そうか、メインがない。
「……は?」




