第6話 勝って兜の緒を締めよ
「……おっさん呼ばわり、やっぱり気にしてたんだ」
モブログの呟きが、静寂を取り戻したダンジョンに虚しく響く。
スパイクをおっさん呼ばわりをしたレシーブの顔が一瞬で蒼白になり、研修生たちは彼から一斉に距離を取った。
スパイクの昂奮した呼吸と、舞い上がった砂煙が収まっていく。
「ふーーー……!」
砂煙が収まりきったころ、彼はスッキリとした表情を見せ、大蜘蛛から飛び降りる。
だが、昔の人はよく言ったものだ。
『勝って兜の緒を締めよ――』
彼の足が地についたその瞬間だった。
『ガコンッ』
足の裏で何かを『押し込み』その分身体が沈み込む。
「あ……」と、気付いた時にはもう遅い、足元にあった幾何学模様の魔法陣が不気味に発光し、彼の身体を包み込む。
それは、彼が先ほど後回しにしてしまったトラップであった。
ストレス発散直後の気の緩みからか、それとも、ただ忘れていただけか、大蜘蛛の横にあったそれを完全に踏み抜いていたのだ。
やってしまった――といった顔をするスパイクの体が透け始めていく。
「て、転移トラップ!? こんな初級ダンジョンに設置されてたのかっ!?」
「あーらま、ガチの未発見、未登録トラップだったか。……管理だけじゃなく、調査も杜撰とは」
当のスパイクはパニックになるどころか、抜けた言葉と共に、腰のポシェットから布袋――『忌避剤』をダースで取り出し、モブログに向かって無造作に放り投げた。
「えっ?」
モブログが慌ててそれを受け取ると、スパイクはニヤリと笑った。
「大蜘蛛の習性からして、外敵がテリトリーから出ていかない限り食事はしない。だから今回の行方不明者、多分生きてんぜ。……今度はちゃんと調査しろよ?」
そう言い残し、彼は光の中に掻き消えた。
「……」
大蜘蛛の死骸と、誰もいなくなった魔法陣。
残されたレシーブが、震える声で尋ねた
「あ、あの……講師。今消えた、おっさん、じゃない、お兄さん、どうなるんですか……?」
モブログはスパイクが消えた地点を呆然と見つめ、その唇を噛み締めた後、小さくつぶやく。
「転移トラップは生存率が著しく低いので……、スパイクさんは死亡した者として取り扱う。」
静まり返る空間で、モブログは、ハッと我に返り、忌避剤を一つ抜き出し、残りは研修生たちにそのまま渡して、鋭い声で指示を飛ばした。
「君たち、ついてきなさい! 『職員用の通路』まで誘導する。そこを通って地上に戻り、ギルド……いや、国軍に通報してくれ! この忌避剤は何かあれば迷わず使うこと! ……俺は、このまま行方不明者を捜す!」
その言葉に、レシーブが一歩前に出た。
「お、俺も行く! 俺も一緒に捜す!」
モブログは未だに、足を、声を、そして瞳を震わせる少年を真っ直ぐに見据え、大人の優しい厳しさを突きつける。
「ダメだ。連れてはいけない、……君は弱い」
「っ……!」
悔しさに唇を噛むレシーブを安全な隠し通路へと押し込むと、モブログは一人、忌避剤を握りしめて暗闇の奥へと駆け出した。
――――
その後、隠し通路からダンジョンを脱出したレシーブたちは、国軍へ事の顛末を報告。管轄が即座に国軍へと移り、専門の調査隊が編成された。
一方、ダンジョン内で先んじて探索を続けていたモブログは、スパイクの残した『生きているかもしれない』という言葉通り、主を失った蜘蛛の巣から被害者たちを発見する。
レシーブの目の前で連れ去られた少女を含む三名。
幸いにも一名が打撲を負っていた程度で命に別状はなく、モブログの手により全員が無事に救出されることとなった。
そして、大蜘蛛による『他の犠牲者』も確認されなかった。
――ギルドのロビー
無事に保護されたトスを抱きしめ、人目もはばからずワンワンと泣きじゃくるレシーブ。
しかし、その涙の奥にある瞳は、これまでの腑抜けたものとは違っていた。
「強くなりたい……っ、俺、もっと強くなるから!」
圧倒的な強さで絶望を粉砕したあの元公務員の後ろ姿と、『消えた姉が生きている』という希望を胸に、少年は本当の意味で一歩を踏み出した。
その少し離れた場所で、泥だらけになったモブログは安堵の息を吐きながらロビーの天井を仰ぎ見た。
かつて自分の幸せを祝ってくれた、そして今日、命の恩人となった元公務員の、あまりにもあっけなく、あまりにも運の悪い最期を思い、静かに目を閉じる。
(スパイクさん、息子にあなたの名を貰います)
モブログは、決まっていなかった息子の名を、この時に決めた。
――なお、嫁さんに縁起が悪いと一蹴されることになる。閑話休題――
――――
騒動から数日後
ダンジョン『はじまりの横穴』
軍の部隊による『事後処理』が行われていた。
「すげーな、これ……。一般人にできていい芸当かよ」
「ああ。ウチらの隊長クラスじゃねえか?」
作業の手を止め、軍人たちが呆然と立ち話をしている。
彼らの視線の先には、大蜘蛛と呼ばれるモンスターの死骸。それも一般的なサイズを遙かに凌駕する、もはや異形の巨大さ――その、無残な残骸が転がっていた。
異様な光景だった。
巨大蜘蛛は、あろうことか引き千切られた自らの鋭い脚によって、地面に深々と縫い付けられている。
何より目を引くのは、その魔物において最も堅牢であるはずの頭部だった。
分厚い外殻は無残に砕け、中心にはまるでくり抜かれたかのように『拳大の穴』がぽっかりと開いている。
どんな魔法を使えば、これほど局所的かつ圧倒的な破壊をもたらせるのか、彼らには想像もつかなかった。
「おい、今回の事故についての報告書の作成は終わったのか?」
ふいに、高く凛とした声が響いた。
振り返った軍人たちは、慌てて姿勢を正す。
「あ、隊長! はい、聞き取りも終わり、こちらが報告書となります!」
「……被害者、スパイク・ブラウン」
受け取った書面に目を落とし、隊長と呼ばれた女性は、そこに記された名前を小さく呟いた。
「この報告書、被害者という記述を全て削除しておけ」
「……え? は、はい?」
「この男は、被害者になれるほど器用でも、弱くもない」
有無を言わせぬ口調に、部下は気圧されたように頷くしかなかった。
「隊長、現場の検分は以上となります。あとは死骸を処分するだけですが、よろしいですか?」
「ああ、……いや、少し待て」
部下の報告に、隊長と呼ばれた女は抑揚のない声でそれを止める。
彼女は静かに巨大蜘蛛の死骸へと歩み寄ると、おもむろに右拳を握り込む。次の瞬間、空気がビリビリと震え出した。
可視化できるほどに高密度に練り上げられた膨大な魔力が、彼女の拳に渦を巻いて集まっていく。
『――――ッ!!』
振り下ろされた一撃。
空気を叩き割るような轟音と共に、凄まじい衝撃波がダンジョン全体を激しく揺らした。巻き起こった土煙が晴れると、女は表情一つ変えずに立ち上がり、静かにその場を後にする。
「……相変わらずだな、スパイク・ブラウン」
誰に聞かせるでもなく、女はポツリとそう呟き、自嘲気味に口元を歪めた。
「……化け物め」
あとに残された部下たちが土煙の向こうで見たのは、全体がひしゃげ、無残に陥没した巨大蜘蛛の頭部だった。
だが、あれほどの魔力を込めた隊長の全力をもってしても、外殻を潰すにとどまっている。スパイクが残したような、綺麗にくり抜かれた『拳大の穴』は、結局、開ける事ができていなかった。




