第3話 害虫駆除
――頭上から降ってきた不気味な音の正体に、レシーブは素早く反応した。
「下がれ、トスッ!!」
反射的に腕を伸ばし、隣にいた少女を突き飛ばす。
直後、二人がつい先ほどまで立っていた石畳に、頭上の暗闇から巨大な質量が墜落した。
舞い上がる土煙。レシーブは咄嗟に腰の貸与剣を抜き放ち、尻餅をついたトスを庇うように立ち塞がる。
――土煙が晴れた直後、少年の目に映ったのは、文字通りの絶望であった。
青白い人工発光石の光の中に浮かび上がったそれは、不気味に蠢く生きた暗闇。
刃のように鋭利な八本の節足が石畳を削り、硬質な音が洞窟内に不気味に反響する。
見下ろしてくる無数の複眼には感情など一切なく、ただ眼下の自分たちを餌としか認識していない。
人工ダンジョンにはいるはずのない、いてはいけない、本物の『人を殺せる』モンスター。
「くそっ……!」
今にも逃げ出しそうな本能を必死に押さえつけながら、レシーブは持てる勇気のすべてを振り絞った。
行方不明となった姉の姿を脳裏に思い描きながら、少年は支給品の貸与剣を力任せに大蜘蛛へと振り下ろした。
だが、渾身の一撃は、硬質な外殻にあっさりと弾かれ、安物の刃は半ばから無残にへし折れた。
虚しく宙を舞う折れた刀身。手に残ったただの鉄くずは、もはや武器としての機能はなく、気休めの御守りにもならない。
呆然とするレシーブの目の前で、大蜘蛛の口から白く濁った粘着質の糸が放たれ、背後の少女・トスの身体を容赦なく絡め取った。
「……え?」
一瞬の出来事だった。悲鳴をあげる暇さえなく、彼女の身体は乱暴に引きずられ、大蜘蛛が巣食う闇の奥へと消えていく。
「ま、待てっ……!」
暗闇に飲み込まれゆくその姿に、消えた姉の最期をフラッシュバックさせたレシーブが、咄嗟に悲痛な声を張り上げた。
ピタリ、と。
獲物を引きずっていた大蜘蛛の動きが止まり、『ギチッ……』と嫌な音を立てて、巨大な頭部が振り返る。
無機質な無数の複眼が一斉に、折れた剣を握りしめたまま立ち尽くすレシーブの姿を射抜いた。
そこにあるのは、怒りでも威嚇でもない。路傍の石ころを見るような、明らかな『捕食者』としての冷酷な眼差しだった。
「……あ、ぁ」
彼の中で、辛うじて持ち堪えていた何かが完全に折れる音がした。
「う、ああ、あああああっ……!」
助けなければという意志とは裏腹に、圧倒的な死の恐怖が、彼の身体に強引に『逃げろ』と命令を下す。
名前くらいしか知らない少女を追って暗闇へ飛び込むことなど、一介の少年にすぎない彼にできるはずがなかった。
恐怖と、己の不甲斐なさに対する悔し涙で顔を歪ませながら、レシーブは後ろも振り返らずに、死に物狂いでダンジョンを駆け出す。
パニックに陥った頭では、自分が逃げている方向が出口とは逆の、さらに深い場所へ向かっていることすら気づく余裕はなかった。
――――
――――始まりの横穴最深部。
「みんな……遅いですね」
「あなたが早すぎるんです。次回からはショートカット禁止って申請書に書き込ませて貰いますね」
話題の尽きたおっさんたちが、無為な時間を過ごしていた。
「……ふむ」
手持ち無沙汰になったスパイクは、最深部の最奥へと歩み寄っていく。
彼は這いつくばるようにして、床や壁をコツコツと拳でノックし、返ってくるその音にじっと耳を澄ませている。
「スパイクさん。何してるんですか?」
「ああ、ちょっと思い出しちゃって」
「……思い出す?」
モブログは、その言葉に少し警戒を強めた。またテンションの上下が始まるのかと。
「はい、冒険者課にいたときの試験内容申請の際、このダンジョンの構造の図面を見たのですが、どうにも整っているのに……というか、気持ちのいい気持ち悪さがあると言いますか……」
「……もしかして、魔法工学にも精通してます?」
「かじった程度です。魔法建築指導課に配属された事もあったので」
モブログは唖然とした。
「……僕の不勉強で申し訳ないのですが、役人ってそんなコロコロ部署が変わるんですか?」
「あー、『普通』は部署の異動って、そんなに無いですよ。自分の場合は上司と揉めるたびに、異動させられたってだけですから。その都度、門外漢だったから勉強のやり直しで大変でした」
そう言ってスパイクは、カラカラと喉を鳴らして笑っていた。ただし、かつての揉め事を思い出したのか、その目はギンギンに見開き笑えていなかった。
その様相に、モブログは顔を引きつらせて完全にドン引きしている。どうやら『いろいろ』と察したらしい。
「当時は、時間があるときに調査をしようと思っていたんですが、すぐに異動になっちゃって、それ以来激務に忙殺されて忘れていたんです」
そこからまた、十数分ほど時間が経ち、他の研修生がパラパラと到着し始めたとき、スパイクはある箇所に違和感を見つけた。
「……おや?」
床材を静かに剝がすと、そこにあったのは幾何学模様の魔方陣。スパイクは、余りにもあっけなく簡単に見つけたことに、かえって不自然さを感じていた。
まさか、この程度の隠しトラップを、ダンジョンのプロである、冒険者ギルドが見落とすわけがないと。
『把握してるけど図面に起こすほどじゃない』から放置してる。その程度のトラップだと思い込んでしまっていた。
だからこそ、後回しにしてしまうことになった――
「た、たすけて……誰か、たすけ……っ!!」
突如、最深部に悲鳴が響き渡った。
声の主はレシーブだった。顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにし、全速力で走ってくる。
彼は一直線にモブログの元へ駆け寄ると、その服にすがりついて泣き叫んだ。
「たすけて! トスを助けてくれ! あっちに、デカい蜘蛛が出たんだぁぁっ!!」
尋常ではないパニック状態。その様子にただ事ではない不穏なものを感じ取ったモブログは、彼を落ち着かせるように肩に手を置き、優しく問いかけた。
「落ち着いて、レシーブ君。深呼吸して。……一体、何があったの?」
だが、レシーブがそれに答えるより早く。
――ガチガチ、ギチギチギチギチ。
彼の背後の暗闇から、新たな絶望が這い出してきた。
「ひっ!? な、なんで!?」
路傍の石ころのように見逃されたと思っていた。
なのに、絶望が執拗に自分を追ってきていた事実に、レシーブは顔を歪める。
「ッ!? な、大蜘蛛!?」
モブログが顔面を蒼白にして叫ぶと、到着していた他の研修生たちもパニックに陥り騒ぎ出す。
だが、スパイクだけは床の魔方陣の縁に立ったまま、冷静に、いや、少し不機嫌そうに呟いた。
「……大蜘蛛は第1類のモンスターですよ? 完全に違法配置じゃないですか」
「そ、そんな法律の話してる場合ですか! 逃げてください! 俺が足止めをしますから!!」
モブログが、決死の覚悟で研修生たちの盾となる決意を見せる中、スパイクはその頼りない背中を見つめ頭を掻いた。
「ったく、ギルドの管理体制はどうなってんだよ……」
ブツブツと、誰に言うでもない文句をこぼしながら、一歩、前へ出る。
彼はモブログの肩を掴んで軽く後ろへとどかせると、迫り来る大蜘蛛の正面へと、滑り込むように立ち塞がった。
「スパイクさん!?」
獲物を前にした大蜘蛛が、威嚇するように上体を上げ、鋭く巨大な前脚をそのまま振り下ろす。研修生たちが絶望的な悲鳴を上げて目を閉じた――が。
「雑な管理しやがって。――」
スパイクは避けるのではなく、前に進むことによって前脚の凶刃を躱し、手にした安物の貸与剣を軽く振るった。
「――節足魔法害虫駆除は関節を断って、基本通りにすれば怪我しないから」
それは剣術というより、的確な解体作業だった。硬い外殻を避け、関節の柔らかい結合部のみをピンポイントで切り裂く神速の一閃。
大蜘蛛はすべての脚の制御を失い、バランスを崩して突進の勢いのまま前方の岩壁へと激突した。衝撃で天井からパラパラと小石が降り注ぐ。
「ギ、ギィィ……ッ!?」
立ち上がろうとするも、間接部からは体液が噴き出すだけで、全く使い物にならなくなっていた。
「あとは、最終処理だけ……と」
自身の機動力、攻撃力を奪われている事を理解できていないのか、大蜘蛛はその場で身悶え、最後の時を迎えることとなる。
スパイクは複眼の隙間から剣を突き立てる。一撃で急所の神経を完全に破壊された大蜘蛛は、断末魔を上げる間もなく、ピクピクと痙攣して動かなくなった。
圧倒的な暴力の化身を、ただの害虫駆除のテンションで、しかも無傷で秒殺したスパイクに、モブログも研修生たちも言葉を失い、静寂が辺りを覆う。
だが、
「まだだ! まだ後一匹いるんだ! もっと、『あんなのより』デカい奴が! トスが、トスが捕まってるんだ!」
レシーブの叫びに触発されたのか、この初級者ダンジョンがまた騒ぎ出した。




