第2話 準備は大事
「……止まってください」
順調に進む中、スパイクはピタリと足を止めた。
前方の開けた通路の先、先ほど勢いよく走っていったレシーブとトスのペアが、蜘蛛型モンスターに囲まれ苦戦しているのが見えた。
互いに背中合わせになり、剣を必死に振るってはいるが、多勢に無勢、ジリジリと追い詰められている。
「あちゃー。不用心に進みすぎたな。あれ、噛まれると痒くなるんだよな。……俺は講師なんで手を貸せないんですけど、スパイクさんはどうします?」
暗に手を貸してやれと言ってくるモブログの言葉を余所に、スパイクは無言で腰のポシェットに手を伸ばした。
取り出したのは、先ほども見せた例の布袋――『忌避剤』だ。スパイクはそれを躊躇なく、蜘蛛の群れの中心めがけて放り投げる。
床に落ちた小袋がポフッと鈍い音を立て、中から独特な匂いのする粉末が辺りに立ち込めた途端、蜘蛛型モンスターたちは嫌悪感に身をよじらせ、四方八方の暗がりへと逃げ去っていった。
結果として、二人は無傷で危機を乗り切れたのだった。
「だ、大丈夫、レシーブ君……?」
「あ、ああ。トスも怪我はないよな?」
二人のもとへスタスタと歩み寄り、スパイクは声をかけようとする。
「大丈……」
「馬鹿じゃねーのか!!」
スパイクの声に被せるように、レシーブが顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「そ、そんなもん使って追い払ったら、モンスターの素材が手に入らねーだろ! だいたいギルドの引率職員なら、もっとちゃんと仕事しろよ、おっさん!!」
驚きと恐怖で足が震えているにもかかわらず、少年は精一杯の虚勢を張り、助けられた事実から目を逸らすように喚き散らす。
しかし、その的外れな怒りに対して、隣のトスが呆れたような、同情するような冷めた視線を向けた。
「……あの、レシーブ君。この人も私たちと同じ講習生ですよ? さっき受付してましたし」
「……は?」
レシーブの動きが、ピタリと止まった。
『サボって受付の職員とだべっていたのではなかったのか』とでも言いたげな顔で、まじまじとスパイクの姿を見る。
改めて見直せば、引率のモブログとは違い、スパイクの腰にはどう見ても自分たちと同じ初心者用の安物の剣が下がっている。その事実に、ようやく気がついたらしい。
「こ、このおっさんが講習生!? おっさんなのに!?」
「す、すみません! 行こう、レシーブ君!」
限界まで真っ赤に染まった顔を隠すように、レシーブは首をブンブンと振った。
「ち、ちっ! 紛らわしいんだよ……!」
強烈な羞恥心から完全な八つ当たりを口にし、乱暴な足取りで踵を返して先へ進もうとした――その時だった。
『カチッ』
「あ」
「あーあ」
スパイクとモブログが、何かに気付いたように声を出す。
二人の視線の先、不自然に浮き上がっていた石畳のスイッチを、レシーブの足が踏み抜いていた。
「え?」
レシーブが間の抜けた声を上げた瞬間、――『ガコンッ』と重々しい駆動音が響き渡り、二人のすぐ横の壁が開いた。
『ゴゴゴゴゴッ!』
轟音と共に巨大な石の大玉が現れ、通路を塞ぐような勢いで転がり始める。
「ぎゃあああああっ!?」
完全に油断していたレシーブは、涙目になりながら奇声を上げ、無我夢中でトスの腕を引いて猛ダッシュした。
「きゃあっ!? ちょっと、レシーブ君!?」
ゴロゴロゴロ……!
背後に迫る大玉から逃げるように、二人の姿はドタバタと騒がしい足音と悲鳴を残し、あっという間に通路の奥へとフェードアウトしていった。
……ぽつんと残されたスパイクとモブログ。
嵐のように始まり、そのまま去っていったドタバタ劇を見送った後、モブログがスパイクにフォローを入れる。
「あの子たち油断しすぎ。再設置がめんどくさいから判り易くしている罠なのに……もう一回、講習を受けさせるか。スパイクさんも気にすることないですよ。あの年齢の子たちからしたら、二十代後半はおじさんに見えるだけですからね」
職員としての軽い愚痴と、講師なりの優しいフォロー。しかし、元役人の心には、少年の暴言よりもその現実的な事実のほうが、ほんの少しだけ冷たく刺さる。
「気にしてないですよ。……俺はおじさんじゃねえし」
スパイクがぼそりと呟いた直後。彼の視線は、大玉が飛び出してきたことによってポッカリと剥き出しになった、暗く狭い大玉の格納庫跡でピタリと止まった。
「どうしました?」
訝しむモブログをよそに、スパイクは懐から一枚の紙きれを取り出した。
「え?」
見ればそれは、詳細に書き込まれたダンジョンマップである。
「ちょっと、なんでそんなもの持ってるんですか!?」
「冒険者課にいた頃に見た書類の記憶を頼りに、書き起こしました」
驚くモブログに、スパイクは平然と答えた。
そう言って魔法ポシェットから方位磁石を取り出し、方角を確認すると、スパイクは迷わずその薄暗い横穴へと潜り込んでいった。
「ちょ、ス、スパイクさん!?」
その、『なぜか』魔法発光石が配置された横穴を、スパイクはスタスタと進んでいく。
そこはトラップ作動後、ギルド職員が大玉を再設置するために使う保守用ルート。当然、モンスターやトラップなど配置されていない安全な裏道である。
そしてある程度進んだところで、スパイクはピタリと足を止めた。
「……ここらへんか?」
スパイクが、何もないただの分厚い石壁に向かって呟き、ペタペタと探り始め、途端にモブログが慌て始める。
「え? ちょ、スパイクさん、何してるんですか! ダメですってば!」
慌てたモブログの言葉尻に、隠しきれない焦りが混じっていた。
その反応にスパイクはピタリと手を止め、振り返ってニヤリと口角を上げる。
「あっ……!」
モブログが思わず口元を押さえるが、時すでに遅し。
「お、やっぱりありました、ね」
カチッ、と。スパイクが石壁のわずかな隙間を見つけて押し込むと、重い駆動音と共に分厚い壁がスライドし、新たな通路――ダンジョンのあらゆる場所へと続く『邪魔のない』裏道が姿を現した。
「……ああ」
「『職員用の隠し通路を使ってはいけない』というルールはないですよね?」
頭を抱えるモブログへ、止めとばかりにマニュアルの不備を突っつく。役人の得意技を披露するスパイク。
モブログは目の前にぽっかりと開いた非常識な裏道と、平然と屁理屈をこねるスパイクを交互に見比べ、引きつった笑いを浮かべるしかなかった。
その瞳には、呆れを通り越した深い畏怖の色が浮かんでいた。
「……。想定できませんよ、こんなの」
一介のギルド職員に止められる領域ではないと、本能で悟ってしまったかのように。
――結局、職員用通路にて最深部近くへとショートカットが出来たことにより、余りすぎた時間を、互いに(主にモブログが)少ない話題をひねり出しながら雑談で潰していた。
「ついこないだ、子供が生まれましてね」
「おー、それは、おめでとうございます」
ダンジョン攻略最短記録を作った者と講師の、のんびりとした雑談は続く。
――――
スパイクたちが最深部で平和な時間を過ごしていた、ちょうどその頃。
彼らがショートカットした『はじまりの横穴』の中間地点――。
最深部の穏やかな空気とは裏腹に、そこには重苦しい湿気と、張り詰めた静寂が満ちていた。
その薄暗い通路を、レシーブとトスのペアは突き進んでいた。
大玉の罠から逃げ延びた直後だというのに、レシーブは足を止めようとしなかった。肩を激しく上下させ、膝はまだ恐怖と疲労でガクガクと震えている。それなのに、その瞳だけは取り憑かれたような執念を宿し、暗闇の奥を睨みつけていた。
「ちょっと、レシーブ君! 待って、もう走れないよ……!」
後ろから追うトスが、ついに耐えかねたように声を荒らげ、レシーブの服の袖を掴んで引き止めた。
「なんでそんなに急ぐの!? さっきの蜘蛛も大玉も、一歩間違えたら大怪我してたんだよ!? レシーブ君の動き方、おかしいよ!」
袖を引かれたレシーブは、苛立つようにその手を振り払おうとした。しかし、トスの必死の形相を見て、ギリ、と奥歯を噛み鳴らす。
その横顔には、先ほどまでの生意気な虚勢など、ひとかけらも残っていなかった。ただ、痛切な焦燥感だけが、その幼さを残した顔を歪めている。
「……一週間前、俺の姉ちゃんがこのダンジョンで行方不明になってんだよ」
「えっ!?」
あまりに唐突で重い告白に、トスは息を呑み、目を丸くした。
「行方不明って……でも、だったらギルドの調査とか、大掛かりな捜索があったんじゃ?」
トスの疑問はもっともだった。ここはギルドが隅々まで管理し、安全が保証されているはずの初心者用ダンジョン。人が一人消えれば、それだけで大騒ぎになるはずである。
「ギルドの連中の言うことなんて信用できるか!」
レシーブは憎々しげに、床の石畳を強く踏みつけた。
「あいつら、ろくに調べもしないで『ここは安全な人工ダンジョンだから、事故や遭難は絶対にあり得ない』って……!」
「じゃ、じゃあ、お姉さんは……」
「連中は『ただ仕事が嫌になって、職場放棄して逃げ出しただけだ』って吐き捨てやがったんだ!」
薄暗い青白い光の下、腰の貸与剣を握りしめるレシーブの手が、怒りと悔しさで小刻みに震えていた。
「姉ちゃんは俺なんかと違って頭が良くて、責任感も強かった。……そんな無責任なこと、絶対にしない!! だから俺が、このダンジョンの奥で何があったのか見つけてやるんだ!」
少年の悲痛な叫びは、冷たい石壁に反響し、やがて重い静寂に吸い込まれていった。
その真っすぐな、しかし今にも泣き出しそうな瞳に、トスは言葉を失った。彼が時折見せていた、あの無茶な焦りや震えの理由が、痛いほどに伝わってきたからだ。
ギルドに対する強い不信感。そして、大人たちにやたらと噛みついていたのも、すべては行方不明の姉を心配するあまりのことだったのだと、トスはようやく納得した。
管理された安全なダンジョン。その裏に潜む最悪の結末を覚悟しなくてはいけない。そんな現実を本当は直視したくないはずなのに、彼は一人で背負おうとしていた。
「……分かりました。私でよければ、一緒に――」
――だが
ギチ、ギチチチチッ
不気味で鈍い音が、二人の頭上から墜ちてきた。




