第1話 男の名は【漆黒のブラウン】
薄暗く、湿った土の匂いが漂う初級ダンジョン『はじまりの横穴』。
暗闇に閉ざされるはずのダンジョン内には、広げられ整えられた石畳の通路を魔法発光石が青白く照らし、冷たい道を優しく指し示す。
ここは冒険者ギルドが管理する、初心者のための実地技能訓練所。
かつては初心者の登竜門として利用されていたが、今となっては人の手が入った、上げ膳下げ膳の『人工ダンジョン』である。
そんな人工ダンジョンの最深部に冒険者ギルド本部に配属されたばかりの18歳の新米職員、サーブ・グリーンがいた。
定期巡回業務を押し付けられ、バインダーを片手に『チェックリスト』にレ点を入れていた。
「『異常なし』……と。」
のんきに独り言をこぼす彼女の背後に、巨大な影が音もなく忍び寄ってくる。
「あれ? なんかおかしい……?」
それが、彼女の最後の足取りとなった。
数日後、ギルドがまとめた公式記録には、無情にも、ただ一言こう記されることになる。
『当該職員は職務を放棄し、逃亡した』と。
その記録が真実を記したものなのか、それとも厄介な事故の隠蔽なのかは現場職員が知るよしはない。
――――サーブ・グリーンが所在不明となってから一週間後。
その場所で冒険者新規登録講習が行われていた。
講習対象者がパラパラと集まり、入口横に設置された受付で、『講習用』と張り紙のされた樽に無造作に放り込まれた安物の剣を一人ずつ受け取っていく。
顔ぶれは希望に満ち溢れた――というよりは、ほぼ食い詰めた様子の10代の少年少女たち……それと、小綺麗な格好こそしているが、一人だけ明らかに『社会の荒波』を経験してきた、淀んだ目を持つ男だった。
「えー、次は28歳、本名がスパイク・ブラウンさん、冒険者登録名は【漆黒の】労働条件☆改善希望【ブラウン】さん。……これで登録したんですか?」
『モブログ・ホワイト』と書かれたネームプレートを首からぶら下げた受付の男は、ギルドの登録証とスパイクの顔を交互に見ながら、乾いた笑いを漏らし、樽から引き抜いた貸与剣をスパイクへと渡した。
「ウケるかなって思って出したら、特にウケも、咎められもせずに通っちゃいまして、しかも変更料が銀五枚って言われて……怖いね、悪ノリって」
「ああ、そうなんですか……」
モブログは、名簿を確認して事務的に流そうとした――が、スパイクの顔を二度見してピタリと止まる。
「……何か?」
登録書類に何か不備でもあったのだろうか。そう思い、スパイクは足を止めて尋ねた。
「ああ、いや何でもないです。――次の人」
「……?」
そう言われても腑に落ちず、スパイクが不思議そうに講師を見ていると――。
「どけよ、おっさん!」
どうやら、後ろで待つ受講生の邪魔になってしまっていたらしい。不意に背後から肩を掴まれ、強引に横へ退けようとされた。
しかし、スパイクの体は岩のようにビクともしない。ゆっくりと振り返ると、一人の少年が、信じられないといった様子で見つめている。
「っ……!?」
後ろを向いたスパイクと目が合うと、ビクッと肩を揺らし、すぐに威嚇するように顎を上げた。
「ちっ、なんだよ。邪魔なんだよ、おっさん!」
「お、おっさん……」
その無礼な物言いにスパイクは怒るでもなく、ただ悲しそうな顔をした。
「君、失礼だよ。そういう言葉は慎むように」
モブログが注意すると、スパイクを押しのけようとした少年は、気まずそうに視線を逸らす。
「う、うす……」
「いや、こちらこそ道を塞いでしまってすまなかったね」
スパイクは穏やかに微笑むと、邪魔にならないよう一歩横へ退いて場所を譲った。
「15歳のレシーブ・グリーン君だね。冒険者登録名が……これなんて読むの?」
「【黒桜列猫】のレシーブ!」
堂々と顎を上げる少年だが、おそらく虚勢なのであろう。貸与剣を受け取る手は、かすかに震えている。
「……無礼なのも、ああいうのも若者の特権か」
少し離れたところでスパイクはそう呟き、生温かい目を少年の背中に向ける。
かつての一攫千金の夢など、とうの昔に泡と消えているというのに。
凶悪なモンスターの討伐は国軍の管轄となり、ダンジョンもすっかり国有化された。
冒険者がやっていることなど、安全な階層での『間引き』という名の間接雇用の肉体労働にすぎない。
ここは、学のない若者たちが最後に流れ着くセーフティーネットだ。
そんな過酷な現実も知らない少年少女たちを見ながら、スパイクはただ哀愁を込めて呟く。
「おっさんか……」
スパイクが自嘲気味に呟いた直後、パンパンッと手を打つ音が響き渡った。
「はい、時間になりました。今から実地講習を行います。目標は2時間以内に最深部まで辿り着くことです。では二人一組になって!」
モブログの合図で、10代の若者たちが近くの者とペアを作り、簡単な自己紹介を始めていく。
「【黒桜列猫】のレシーブ! 登録名に特に意味はない。好きな文字を置いていっただけだ!!」
「【山猫桜桃】のトスです。私の登録名もそんな感じです。お揃いですね」
その微笑ましいやり取りを、遠巻きに呆れ半分に眺めながら、スパイクはぼそりとまた呟く。
「……あの二人だけで銀10枚か。ギルドも阿漕な真似するなぁ」
などとぼんやりと考えている間に、周囲では全てのペアができあがっていた。
「……おや?」
数えてみると、今回の講習参加者の人数は13人。奇数である。
当然のように、一人年代の違うスパイクがポツンと余っていた。
「……。講師、余りました」
「……。スパイクさんは俺と行きましょう。講師なんで手伝えませんけど」
スパイクは笑顔を作り頷く。
「どっちにしろ、一人でなんとかしろってことですね。わかりました」
――――
講習開始の合図が出されると同時に、受講生たちは入口へと殺到する。
先頭を切ったのはレシーブだった。
まるで何かに追われるかのような形相でスタートダッシュを決め、ペアであるトスを置き去りにせんばかりの速度で走り出す。
「ちょっと、レシーブ君! そんなに急いでどうするの!」
トスが悲鳴に近い声を上げ、慌ててその後を追う。その光景に釣られるように、他の研修生たちも次々と駆け出し、ダンジョンの最深部を目指してなだれ込んでいった。
ダンジョンの中は網の目のように複数のルートが分岐しており、彼らは思い思いのルートへと散っていく。
そんな後ろ姿を見送りながら、スパイクは不思議そうに首を傾ける。
「早く着いたから合格とかありましたっけ?」
「いえ、技能実習みたいなものなんで、順番に意味は無いです。ただ、攻略できなかったときは、もう一回講習受けてねってだけです」
その講師の答えに、スパイクは「なるほど」と小さく呟き、
「じゃあ、急ぐ必要もなさそうですね」
と、言うと彼は腰に巻いた魔法ポシェットから、真新しい『冒険者ハウツー本』を取り出し、それを片手にノンビリとそのまま歩き始めた
――――
それからしばらくの間、スパイクは研修用の簡易トラップが仕掛けられた通路を無警戒にスタスタと歩き続けていた。
その道中、無言でついていくだけの居心地の悪さに耐えかねたのか、講師モブログが口を開く。
「……あの、違ってたらごめんなさい。スパイクさんって王都中央役所の窓口で、お仕事されてませんでした?」
スパイクは、歩きながらモブログの顔を見ると、記憶の引き出しをゆっくりと開けていく。
「確かに、国民課の窓口に一時期いました。……もしかして3年前、婚姻届を提出して、一緒に記念写真を撮りませんでした?」
「ああ、やっぱり! 魔法カメラで撮った写真、今も家に飾ってるんですよ! 覚えててくれたんですね!」
三年前の何気ない出来事を、未だに覚えていたことに驚いたのか、モブログはパッと顔を輝かせた。
「そりゃあ、窓口の人間も一緒に記念撮影する、奇特な新婚さんは中々いないですから」
そう言われてモブログはハハハと笑い、ふと疑問を持ったように首を傾げた。
「でも、役人なんてエリートじゃないですか。今回はなぜ冒険者に?」
そんなモブログの素朴な疑問に、スパイクの動きがピタリと止まり、そこから大きくため息を吐き出した。
「激務と上司のパワハラで、メンタルをやっちゃいまして、たまに理性のリミッターが飛ぶようになっちゃったんですよ。上にも下にも」
「あー、お役人って、超絶ブラックでも有名ですもんね」
「配属課によりますけどね。……それで異動願いを出したら、『軍人になって最前線に行くか、仕事を辞めるか選べ』と言われまして」
自身の言葉通り、理性のリミッターが下に振れだしたのか、もともと濁っていた瞳からハイライトが消えていき、声も徐々に小さく、か細くなっていく。
「……それで上司を、その、こう……。自分の症状って、ダウン状態とヒャッハー状態があるんですよね。で、その時も、冒険者登録したときも、ヒャッハー状態だったんですよ。……怖いね、勢いって」
「……あ。……はい」
モブログは顔を引きつらせて視線を逸らした。それ以上深く突っ込むのは危険だと察したらしい。
――実地試験は順調に進んでいた。というより、スパイクの歩調についていくモブログの方が、どこか必死そうに見えるくらいだった。
スパイクは、まるで普段の散歩コースを歩くように、ダンジョンに設置されている罠を回避して、鼻唄まじりに進む。
「凄いですね、スパイクさん。罠がまるで用をなしてない」
「一時期、冒険者課にも配属されてましたから。カンニングみたいなものですよ。講習内容の申請とか受け取ってましたし」
その後も小型モンスターが現れるたび、スパイクは
「アイテムの持ち込みに制限はなかったですよね?」
と、魔法ポシェットから取り出した布袋に入った『忌避剤』を振り、害獣、害虫駆除の要領で追い払っていった。
「凄い効果……」
「『魔法保健衛生課』御用達の薬剤です。上位モンスターすら追い払えますのでお勧めです」
「……。モンスター素材で飯を食ってる冒険者には、無用の長物ですね」
モブログが心底呆れたようにこぼすと、スパイクは『その発想はなかった』とでも言わんばかりに、ハッと目を見開いて固まった。




