第24話 研修の成果
――人類未踏の地。絶対不可侵の領域と呼ばれる『竜の鱗山脈』。
万年雪に覆われるその頂に、一人の男が立っていた。
「おや?」
男は、人間大の麻袋を片手で抱えたまま、遥か彼方の眼下へと視線を向けた。
普通の人間なら、どんなに目を凝らしても見えるはずのない距離。
だが、彼の化け物じみた視力は、遠く離れた『山蛙の巣』のキャンプ地に巻き起こっている異常事態を、手に取るように正確に捉えていた。
「まあ、大丈夫だろうけど、行かないといけないよな。《《ギルド長》》としては」
彼はそう呟くと、一切の躊躇なく、数千メートルの断崖絶壁から虚空へと足を踏み出した。
目指すは山蛙の巣。
普通なら山を下り、森を抜けるルートを考えるところだが、彼は一番早いからという理由で『崖を跳ぶ』を選んでいた。
――――
一方、その頃。魔境のキャンプ地では。
「おい! 全員こっちに集まれ!!」
ブリッツとクイックの叫び声に応じ、飛龍と絶賛鬼ごっこ中のサーブを横目に、脱落組の受験者たちが巨大な倒木の陰に集結していた。
「どうする? あの受付嬢放っておいて逃げるか!?」
クイックの現実的な提案に、レシーブがうな垂れながら口を開く。
「ごめんなさい。あれ俺の姉ちゃんなんです。見捨てるのだけは勘弁してください」
「……冗談だよ。だが、助けるにしても逃げ道は確保しなきゃいけねえ」
クイックは軽く舌打ちをし、ブリッツを見た。
「ここから帰る方法、知ってるか?」
「……確か、前回挑戦した時は、試験官から『瓶詰め』をもらって魔法陣が発動したんだ。中身はネバネバしてて臭かったから、転移した瞬間に捨てちまったけどな」
ブリッツの言葉に、隣にいたトスがすかさず補足する。
「それは『山蛙のガマ油』です。それを持っていることが、こっちの転移魔法陣を作動させる必須条件なんです。えっと、確かスパイクさんが『帰るのに必要なのは蛙の許し』って言っていました」
「……ダジャレか?」
クイックの一言にトスは赤面する。
「ダジャレだろうが何だろうが、当然ギルド側がどこかに用意してあるはずだよな?」
「あー……さっき、テントの下に積んであったのは見ましたけど……」
レシーブが指差した先。
そこにあるのは、飛龍の羽ばたきによって木っ端微塵に吹き飛ばされ、影も形もなくなったテントがあった場所だった。
「……いや、でもそれで全部ってわけじゃないだろ。あのログハウスがギルドの詰め所なんだろ?」
クイックがわずかな希望にすがり、ログハウスを指差す。
「そうだな。詰め所ならストックくらいあるはずだ」
ブリッツも頷くが、レシーブの表情は絶望に染まっていた。
「すいません。俺の姉ちゃんなんです。めちゃくちゃ大雑把なんです。『あればあるだけ外に出して、使わなかったらまたしまえばいいや』って考えるタイプの人間なんです」
「…………」
トスが何とかサーブをフォローしようと口を開きかけたが、数秒考えて「あ、無理だ」と悟ったように苦笑いを浮かべて口を閉ざした。
「……だが、一応探すべきだな。俺が入る。鍵とかかかってないよな?」
ブリッツが覚悟を決め、ログハウスへ向かって駆け出そうとした――その瞬間だった。
『ギャァァァオオオオッッ!!』
飛龍の巨大な尻尾が薙ぎ払われ、ギルドの詰め所である木造ログハウスが、呆気なく宙を舞い、粉砕された。
「あー!? 私の家!!」
飛龍の猛攻を躱しながら、サーブの金切り声が響き渡った。
「もー! もー! もー!! このデカトカゲ! えーと、ばーかばーか!」
「良かったな入る前で。……にしてもすげえなあの小娘。まだ余裕そうじゃねえか」
死と隣り合わせの状況で本気で腹を立てているサーブの姿に、クイックはもはや呆れを通り越して感心していた。
「……ちなみに、今から山蛙のガマ油を直接採りに行ったら、時間はどれくらいかかる?」
ブリッツの問いに、レシーブは即答する。
「最速で30分です」
全員の視線が、飛龍の爪を曲芸のように躱し続けるサーブへと向いた。
「あの受付嬢、30分くらいなら持つか……?」
まさかな、でも出来そうだな。と言わんばかりにクイックが呟く。
「いや、さすがにあと10分が限界だと思います。よ?」
自信なさげにトスが答える。
「たった一人で飛龍相手に10分はもつのかよ。すげえなギルド職員」
クイックとブリッツの声が見事にハモった。
「……ところでクイック。お前さっき飛龍の脚に一撃食らわせてたが、どうだ? 攻撃、通りそうか?」
現実的な問題に、ブリッツが真剣な表情で問う。
だが、クイックは力なく首を横に振った。
「無理だな。あの鱗、すべてが『陸王ガメ』の甲羅並みに硬ぇ。俺の剣じゃ傷一つ付けられる気がしねえよ」
陸王ガメ。それは並の武器では決して刃が立たない、鉄壁の防御力を誇るモンスターである。
「……え?」
その時、今まで口を閉ざしていた薬師のクロスが、不思議そうに首を傾げた。
「あ?」
「陸王ガメって、この魔境にもいましたよね。すごく大きかったですけど……」
クロスは、隣でガタガタと震えている巨漢の戦士、ディグの方をチラリと見た。
「あー、いたな。絶対に相手したくないデカさのカメが」
クイックとブリッツが山蛙の巣で見た光景を思い出す。
「ディグさん、さっきその甲羅、普通に叩き割ってましたよ。ね?」
「…………え?」
一瞬の静寂。
クイック、ブリッツ、レシーブ、トス。
その場にいた全員の視線が、大木の陰で自己嫌悪に陥り、丸まっていた不器用な戦士・ディグへと一斉に突き刺さった。
「……マジで?」
絶望の魔境に一筋の、しかしとてつもなく太い希望の光が差し込んだ瞬間だった。




