第23話 クエストはクリア
四等級試験において、薬師のクロスとパーティーを組んだ戦士ディグ。
彼は今、自分の心と共にへし折られた大木の陰で巨体を丸め、ガタガタと震えていた。
吹き荒れる飛龍の暴風と、地鳴りのような咆哮を聞きながら、ディグは深い自己嫌悪に陥っていた。
自分には何もない。
あるのは、昔から少しばかり頑丈なだけの取り柄のない不器用な身体。
先ほどの五等級試験だって、自分の実力で突破していない。運良く前を歩いていたクロスの足跡を辿って歩いただけに過ぎない。
ベテランの意地を見せたクイックやブリッツのような機転もない。
あのレシーブという少年のように、格上を前にしても女の子を守って逃げ切るような勇気もない。
これまでの昇級試験に何度も落ち続けてきた時、ディグは心のどこかで『あんなお遊びみたいな罠を避ける試験で、俺の本当の能力が測れるもんか』と腐っていた。
だが、違ったのだ。この魔境に放り込まれて、ようやく理解した。
自分は本当に、ここに来ていい人間ではなかったのだと。
――――
『――緊急クエスト終了まで、残り30秒! みなさんあと少しですよー!』
突如、サーブの暢気な魔法拡声器の声が響き渡った。
右目を潰され、狂乱状態で標的を見失っていた飛龍の巨大な頭が、音の発生源――サーブが隠れている広場のテント跡地へと猛烈な勢いで振り向く。
残された黄金の左目が、明確な殺意を持ってサーブを捕捉した。
(アホかお前ェェェッ!!!)
倒木の陰で息を潜めていたクイックも、ブリッツも、レシーブも、そして真横にいたトスすらも、その場にいた全員の心の声が見事なまでにシンクロした。
災害指定モンスターの前で、自ら大音量でヘイトを買うなど自殺行為以外の何物でもない。
「あ、やば! トスちゃんゴメンちょっと離れて!」
「え? きゃっ!?」
サーブは慌ててトスを突き飛ばすと、自分もパラソルの陰から大きく飛び出した。
次の瞬間、彼女たちが隠れていた場所が、巨大な尻尾によって跡形もなく粉砕される。
暴風が吹き荒れ、飛龍の鋭利な牙が空気を切り裂く。
本来なら、恐怖で腰を抜かしてもおかしくない絶望的な状況だ。だが、サーブの顔に焦りは一切なかった。
(あと少し! 山蛙くんがパクリとやってくれる!)
どうせ倒すことなど不可能な相手だ。戦う必要など最初からない。サーブは身軽にステップを踏み、魔法拡声器を口元に当てた。
「ほーらこっち!」
自らヘイトを稼ぎ、猛烈な勢いで突進してくる飛龍の牙を、爪を、マタドールのようにヒラリと躱す。
空を切る牙が巻き起こす突風が彼女の髪を激しく揺らすが、サーブは華麗に、そしてどこかコミカルに飛龍の猛攻をいなし続けた。
その光景を物陰から見ていた冒険者たちは、揃って言葉を失った。
「……おい。なんだよ、あれ」
「ギルドの受付嬢……だよな? なんで飛龍と鬼ごっこができんだよ……」
クイックとブリッツは、ただ呆然と呟くことしかできない。
歴戦の彼らですら逃げ切れる自信のない猛攻。それを、あのニコニコした事務員が、ヒラリヒラリと遊ぶように躱し続けているのだ。
だが、見ている者には華麗なマタドールのように見えても、実態は命綱なしの綱渡りだった。
――ヒュゴォォッ!
飛龍の振り下ろした巨大な爪が、サーブの鼻先数ミリを掠める。巻き起こる衝撃波だけで、彼女の制服の胸元のボタンが弾け飛ぶ。
「もー、エッチ!」
サーブはおどけるが、冷や汗が止まっていない。一歩、いや半歩でも読み違えれば、即座に肉塊と化す極限の死地。
それでも、彼女の心は折れない。
(怖いけど、悪魔に比べれば……!)
サーブの脳裏に過るのは、この魔境での地獄の日々。
何度、あの鬼畜の常軌を逸した『実地研修』から泣き叫んで逃げ出そうとしたか。そして何度、逃亡の希望をへし折られ、絶望の淵へ物理的に引きずり戻されたか。
飛龍は確かに災害だ。圧倒的で触れれば死ぬ。
だが、ハラスメント大魔神と違って理不尽ではない。逃げることなど簡単なのだ。
「残り10秒ッ!」
サーブが自ら、終わりのカウントダウンを叫ぶ。
それと同時に、魔境の奥深く――はるか後方に連なっていた巨大な『山』の稜線が、ズズズ……と不気味な地鳴りを立てて微妙に動いた。
「3、2、1……ゼロォォォッ!!」
サーブは飛龍の猛攻を躱し切り、歓喜の声を上げた。
――カウント0。だが。
目の前の飛龍は、いまだ健在だった。
それどころか依然としてブチギレ状態で、鋭い牙を剥き出しにしてサーブを睨みつけている。
「……あれー?」
サーブの口から、間の抜けた声が漏れた。
「おい、今5分経ったんじゃないのか!?」
「どうなってんだ! 山蛙に食われるんじゃなかったのかよ!」
物陰に隠れていたクイックたちも、予定と違う展開にざわつき始める。
「そろそろ5分、経ったよな……?」
レシーブも不思議そうな顔で、周囲を見回した。
だが、飛龍は消えていない。
この予期せぬ事態に、誰よりも顔を真っ青にしているのは、他でもないサーブだった。
その時――。
『――ゲェェェェェェェエエエエップ』
森全体を震わせるほどの、巨大で、重低音の効いた、そしてあまりにも間の抜けた『げっぷ』の音が、響き渡った。
山蛙は、強烈な満腹の吐息を吐き出したのだ。
「……腹、いっぱいになっとるゥゥゥゥゥッ!?」
「な、なんだってーーーー!?」
サーブの悲痛な叫びが空しく木霊し、クイックたち受験者の見事なコーラスが森に響き渡った。
直後、サーブの手に持つ魔法拡声器から、やけくそな叫び声が響き渡る。
『緊急クエスト延長戦突入!! クリア条件変更――災害指定モンスター【飛龍】を討伐せよォォォッ!!』
「できるかアホぉぉぉぉっ!!」




