第20話 少年の成長
(ああ、あったかい……)
深い闇の中から意識が浮上していく。顔の痛みを忘れさせるような、ぽかぽかとした心地よい温もり。
仰向けに寝かされていたレシーブが、ゆっくりと瞼を開けると、視界に飛び込んできたのは、肌色の谷間。
何故かプルプルと震えており、その柔らかさがよくわかる。
それは――見知らぬお姉さんの豊かな胸元だった。
彼女は地面に膝をつき、レシーブの顔を治すために上から覗き込むような前傾姿勢で両手をかざしていた。
その姿勢と重力のせいで、少しゆったりとした服の襟元から、柔らかそうな素肌が無防備なまでに強調されて、思春期真っ盛りのレシーブの目に飛び込んできたのだ。
(……え? なんだこれ、天国? 角度変えると見えちゃわない? え? いいの? 見て良いのかな)
視線を少しだけ上、彼女の顔へとずらすと、そこには慈愛に満ちたお姉さんの顔……ではなく、目を見開き、全身をガチガチに硬直させた『絶望の顔』があった。
レシーブが彼女の視線を追うように頭を動かした瞬間――空を覆うほどの巨大な影と、空気を引き裂くような轟音が迫っていた。
『ッ!!』
飛龍の巨大な尻尾が、薙ぎ払うように地面スレスレを襲いかかってきたのだ。大木が次々とへし折られ、土が爆発したように舞い上がる。
「うおっ!?」
レシーブは考えるより先に動いていた。
目の前で硬直しているお姉さんの腰に腕を回して強引に抱き寄せると、渾身の力で地面を蹴り、後方へ跳躍する。
ッ!!
コンマ一秒前まで二人がいた場所が、飛龍の尻尾によって無残に粉砕され、巨大なクレーターと化した。
「あぶねーっ! 何!? 何が起きてんの!?」
着地と同時にレシーブが叫ぶと、少し離れた場所から魔法拡声器を通したサーブの焦った声が飛んできた。
『あんた起きるのが遅い!! いま緊急クエスト中! 5分間生き延びなさい! あとそのお姉さんがあんたの怪我を治してくれた恩人だからね! しっかり守って、お礼言っときなさい!』
「……あ、ありがとうございます」
腕の中にいるお姉さんに視線を落とすと、彼女は涙目でコクコクと首を縦に振るが、恐怖で口が震えて言葉になっていない。
「……なるほど、5分間生き延びる、か」
レシーブは周囲を見渡した。
凄まじい暴風と混乱の中、ベテランと見られる冒険者たちは、すでに各々で戦闘態勢を取っていた。
だが、彼らは誰一人として武器を飛龍に向けていない。大盾を構え、あるいは大木を遮蔽物にし、ひたすら飛龍の死角へと移動しながら『防御と回避』に全振りしている。
(……さすがベテラン。行動が早い)
レシーブは純粋に感心した。
相手は災害指定の飛龍。下手に攻撃を仕掛けてヘイトを買えば、生き延びるというミッションの難易度が格段に上がる。この場で最も賢い選択は、存在感を消し、やり過ごすことだ。
彼らの動きのおかげで、レシーブ自身の方針も立てやすかった。
『5分間生き延びる』
格上の化け物だから戦わない。攻撃しない。身を守り、逃げ切ることに全力を出す。
視線を走らせると、相棒のトスは姉であるサーブのすぐそばに隠れていた。現状、魔境に一番適応している姉のそばが最も安全な場所だろう。
レシーブは腕の中の薬師を、いわゆる『お姫様抱っこ』の体勢で抱え直した。飛龍が次の攻撃態勢に入るため、大きく旋回していくのが見える。
「お姉さん、ちょっと揺れるから舌噛まないでね」
恐怖に震える彼女を落ち着かせるように、レシーブは真っ直ぐに目を見て、ニッと頼もしく微笑み、その笑顔をみた薬師のお姉さんは緊張からか、顔を真っ赤にしていた。
――――
「クイック! あっちの岩陰に走るぞ!」
「おう! 背中は任せろ!」
ブリッツが大盾を構えながら走り、クイックが背後を警戒しながらそれに続く。
ベテラン冒険者である二人は、完全に目標を生存に切り替えていた。
彼らの視線の先では、サーブに治療を頼まれていた薬師の女を抱えた少年――レシーブが、飛龍の視線を器用に切りながら森を駆けていた。
先ほど飛龍の尻尾が振り下ろされた瞬間、クイックは「あの少年と薬師は死んだ」と確信していた。
だが、少年は反応し、薬師を抱えて間一髪で死地を脱したのだ。
「……おいクイック、見たか」
倒木の陰に滑り込み、荒い息を吐きながらブリッツが口を開く。
「ああ。やるじゃねえか。あのガキ。……いや、レシーブだったっけか」
クイックも冷や汗を拭いながら、少年の動きに驚愕を隠せなかった。
生意気で乳臭いと思っていたガキ。
だが、その身体能力と、この極限状態における冷静な状況判断力は、間違いなく中堅以上――自分たちに勝るとも劣らないものだった。
ギルド長が変わってからの1年で、これほどの若手が育っているという事実。
「……へっ」
クイックは思わず口元にニヤリと笑みを浮かべた。
飛龍の脅威はまだ去っていない。だが、絶望的な状況の中で見せた若き冒険者の意地が、ベテランの闘志に火をつけていた。
「残り時間、あと3分だ! 絶対生き残るぞ、クイック!」
「当たり前だ! 『レシーブ』に負けてられるかよ!」
空を覆う絶望の中、冒険者たちの泥臭いサバイバルは続く。




