第19話 失敗!
(三時間後 試験終了――から二時間後)
「ふざけんなッ!!」
魔境の森から拠点広場へ戻るなり、泥だらけのクイックが血を吐くような叫び声を上げた。
隣にいるブリッツも、自慢のフルアーマーは泥と樹液で汚れきり、肩でぜぇぜぇと荒い息をついている。
二人の昇級試験は、見事なまでに『失敗』に終わっていた。
「なんだあのクソみたいな配置は! 俺の『松キノコ』が生えてるのが森の最南端で、コイツの『野生メロン』が最北端だぁ!? 二人で一緒に行動してたら、三時間じゃどう足掻いても間に合わねえじゃねえか!」
難易度を下げるためのパーティー結成。それがまさか、『移動時間によるタイムオーバー』という最悪の罠になるとは、二人には微塵も想像できなかった。
悲惨なのは彼らだけではない。 少し離れた場所では、あの戦士と薬師のペアが、地面にへたり込んで絶望的な顔をしていた。
薬師の戦闘能力が、三等級の魔境では『絶対的に実力不足』だったのだ。結果として戦士は薬師のカバーに完全にリソースを割かれ、ミッションをこなすどころか、命からがら逃げ帰ってくるのが精一杯だった。
「誰がこんな生態系や配置なんて知ってるんだよ! 初見でわかるわけねえだろ!」
クイックが怒りに任せて受付の長机をバンッと叩く。
しかし、パイプ椅子に座るサーブは、パァッと顔を輝かせた。
「えっ、うわ凄い! お二人とも配置の場所を自力で見つけたんですね!? さすがベテランですね!」
「……は?」
悪びれる様子など一切なく、無邪気に褒めちぎるサーブに、クイックは毒気を抜かれたように固まる。
「でもね、クイックさん。私に『松キノコはどこに生えてますか?』とか『野生メロンはどこにありますか?』って、一言も聞いてこなかったじゃないですかー。聞かれたら、ちゃんと正確な生息域を答えましたよ? そこでパーティ編成の見直しとかできたはずです」
「は……あ!?」
「情報収集を怠った皆さんの落ち度です。現に、事前にしっかり私から情報を引き出して、完璧なルート構築をして今回の試験をパスしている方はいますよ?」
クイックの怒りが頂点に達する。
「んなもん、試験官がペラペラ答えを教えるなんて普通思わねえだろうが! 後出しジャンケンで落とされるなんて、納得いくかよ!!」
「――『思わねえ』?」
ふと。サーブの顔から、貼り付いたような笑顔が、スッと消え失せた。
「……え?」
魔境の生温かい風が止まったかのような錯覚。
彼女の瞳に宿ったのは、愛想の良い受付嬢の光ではない。それは、底冷えするような暗く鋭い光だった。
「だいたい、最初に言いましたよね。ここは格上の難易度だって」
その静かな声は、怒鳴り声よりも遥かに重く、クイックやブリッツ、そして周囲で文句を言おうとしていた受験者たちの心臓を鷲掴みにした。
「あなたたちは、自分の命を賭けているんですよ? なのに、なんで『できること』を全部しないんですか? 試験官から情報を引き出すことも、生態系を疑うことも」
サーブの鋭い視線が、地面にへたり込む戦士と薬師へ向けられる。
「そちらの戦士さん。薬師さんが『ヒーラー』の技能も持っていること、知らないまま組んでましたよね?」
「えっ……」
戦士が驚いたように隣の薬師を見る。薬師は気まずそうに目を逸らした。
「知っていれば、戦士さんはもっとアタッカーとして思い切った戦い方ができたはずですよ。なんで、お互いの能力も把握しないままにパーティーなんて組めるんですか?」
戦士と薬師が、ビクッと肩を震わせる。
「それで『俺は知らなかった』? ……死んだ後に言えるんですか、それ?」
突きつけられた正論という名の刃。
クイックは反論しようと口を開いたが、喉が干からびたように声が出なかった。
彼女の言う通りだ。ここは試験会場である以前に、自分たちにとって格上の魔境。もしこれが本当の依頼なら、「知らなかった」「わからなかった」では済まされない。全滅して魔物の腹の中で消化されるだけだ。
「甘えすぎじゃないですか?」
サーブは静かに、けれど痛いほど真っ直ぐに、彼らを見据えて言った。
「私たちギルドは、皆さんの安全を願っています。……けど、願うだけしかできないことばかりなんです」
サーブはふっと伏し目がちになり、その声に微かな震えを滲ませた。
「……私が窓口に立った日。ある冒険者さんを見送りました。『初級の簡単な依頼だから、すぐに戻るよ』って、笑って手を振って。……でも、帰ってきたのは、血に染まったギルド証だけでした」
かつての惨劇を思い出すかのように、彼女の瞳が悲痛に揺れる。
「どんなにマニュアルを整備しても、どんなに事前警告をしても。最後に死地のど真ん中で、自分の命を守れるのは……自分だけなんですよ」
広場は、水を打ったように静まり返っていた。
彼女の言葉に宿る、失われた命への悔恨。
それを骨の髄まで理解したクイックは、ハッと息を呑み、怒りに任せて振り上げていた感情をゆっくりと下ろした。そして、己の甘さを恥じるように、ただ強く唇を噛み締めることしかできなかった。
「私たち冒険者ギルドが、冒険者の方に求めるものは、安心して送り出せて、生きて帰ってきてくれる、ただそれだけです」
新体制のギルドが仕掛けた、理不尽で意地の悪い試験。
それは決して、冒険者をふるい落とすための嫌がらせではない。『絶対に死なせない』という、ギルドの強烈な祈りであり、執念そのものだった。
クイックも、ブリッツも、他の冒険者たちも、誰一人として文句を言う者はなく、ただ静かに己の未熟さを噛み締めていた。
――――
――だが。
(……よしっ! 今の私の演技120点!!)
クイックたちが神妙な顔で引き下がっていく姿を眺めながら、サーブは内心でガッツポーズを決めていた。
悲痛な顔で語った『帰ってこなかった冒険者』の悲哀エピソード。
――結論から言うと、完全なる『作り話』である。
そもそも彼女は、新任直後にこの魔境へ飛ばされ『拷問の書』被験者第一号としてギルド長直々の特訓を受け、特訓が終わった後も、基本が試験官として魔勤(魔境勤務)である。そのため、王都本部の窓口業務になどほぼ立った経験がない。
彼女が知っているのは、新ギルド長の凄まじい改革によって『死亡率が激減したあと』のギルドの姿だけだ。
先ほどの感動的なセリフもすべて、あの異常者・スパイクが作成した『試験官用マニュアル・クレーム対応編』のシナリオを一字一句、指示通りに読み上げただけである。
(スパイクさんが言った通り、あの台本通りに語ると本当にみんな大人しくなるんだなぁ……マニュアルって凄い)
「……あの、サーブお姉さん」
大満足で心のミニサーブたちからの拍手を浴びていた彼女の袖を、ちょいちょいと引っ張る者がいた。
見れば、広場の隅からやってきたトスが、今にも泣き出しそうな顔でサーブを見つめている。
「どうしよう……レシーブが、まだ起きないんですぅ……っ」
「えっ、嘘? あの子、まだ気絶してんの?」
いくらなんでもやりすぎたか、とサーブは僅かに冷や汗をかいた。
コホンと一つ咳払いをすると、地面にへたり込んでいる薬師の女性へと振り返った。
「薬師のお姉さん。『個人依頼』、いいですか?」
「えっ? わ、私ですか?」
突然の指名に戸惑う薬師に、サーブは広場の隅のベンチで眠るボコボコの少年――レシーブを指差した。
「あそこで伸びてるアホ……じゃなくて、うちの弟にヒールをお願いしたいんです。受けてくれますか?」
「あ、はい。大丈夫です。ヒールでしたら銅三枚で受けています」
「よかったー。じゃあ、お願いします」
薬師は銅三枚を受け取ると、立ち上がりレシーブの元へ近寄る。
そして両手をかざし、淡い光を放つ治癒魔法『ヒール』を施し始めた。
その様子にホッとひと息ついたサーブは、待たせていた受験者の方へ振り返る。
「えー皆様、王都へ帰る方法ですが……」
サーブが能天気な声で帰りの転移魔法陣要件を受験者に伝えようとしたその時――
『――ギャァァァァァァァアアアアッッ!!』
突如として、魔境の奥深くから大地を激しく揺るがす絶叫が轟いた。
それは、森の絶対的捕食者である『山蛙』の巨大な顎に噛み砕かれ、今まさに捕食されているモンスターの断末魔。
「また飛龍かー。ホントに多いな。コレ報告書に上げないとダメだなー」
と、サーブがのんきな声を出したさらに直後。
『――――――ッ!!』
空気をビリビリと震わせる咆哮が上空から降り注いだ。
災害指定モンスター『飛龍』の威嚇音である。
顔面蒼白になりパニックに陥るクイックたち。だが、それ以上に顔から血の気を引かせていたのは、他でもないサーブだった。
「嘘っ!? なんで飛龍がこっちに!? 山蛙くんに食べられているはずじゃ……、もしかして二体来てたのっ!?」
魔境に適応しきった彼女ですら、飛龍は文字通りの『災害』だ。彼女でも単独撃破は不可能である。
強烈な突風が吹き荒れ、拠点広場のテントが紙屑のように吹き飛んだ。周囲の巨大な木々をへし折りながら、黄金の瞳が広場にいる人間たちを明確にロックオンする。
「ちぃっ! 全員、武器を構えろ! 魔法使いは防壁を――」
歴戦の意地でブリッツが叫ぶが、サーブがそれを悲鳴のような声で鋭く遮った。
「戦っちゃダメです! 絶対に死にます! 散開して隠れてください!!」
サーブは魔法拡声器を手に取り、必死の形相で叫んだ。
『えー、皆様! ただいまより、本日の四等級試験における【緊急クエスト】を発動します!!』
焦った声が、絶望の暴風が吹き荒れる広場に響き渡る。
『クリア条件は――とにかく【5分間】生き延びること!!』
「ご、5分!? なんで5分なんだよ!」
『山蛙がいま食べてる獲物を飲み込んで、あの飛龍を捕食するまでの時間が約5分です! それまで飛龍から逃げ切ってください! いいですか、絶対に戦わないで! 隠れて! 逃げて! 死なないで!』
空を覆い隠す巨大な翼と、迫り来る死の顎。
絶体絶命のカウントダウンが始まった。
「ふざけんなァァァッ!!」
クイックの本日一番の悲鳴と共に、本当の意味での地獄のサバイバルが幕を開けたのだった。




