第17話 サーブ・グリーン
『はじまりの横穴』の転移魔法陣による、視界が歪むような転移の感覚が収まり、クイックが目を開けた瞬間――彼の全身の毛穴が、本能的な恐怖で一気に粟立った。
見渡す限り、鬱蒼と生い茂る巨大な木々。鼻を突く濃密で生臭い空気。そして何より、空を覆い隠すほどの枝葉の隙間からは、明らかに人間社会ではお目にかかれない規格外の巨大なモンスターのシルエットが、悠然と横切っていくのが見えた。
「……は? なんだここは!?」
さらにクイックの目を引き付けたのは、少し離れた地面に突っ伏している少年の姿だった。
それは、若手ホープパーティー『黒猫』のレシーブだ。しかし、今の彼は顔が原型を留めないほどボコボコに腫れ上がっており、ピクピクと痙攣している。
「ひぃっ!? おい、ブリッツ! あいつ死にかけてるぞ! こんなヤバい場所、すぐに国軍を呼ぶべきじゃねえのか!?」
パニックに陥りかけるクイックの肩を、隣にいたブリッツがガシッと掴んだ。
「落ち着け、クイック。……ここが『四等級昇級試験』の会場だ。レシーブがボコボコで寝ているのは、たまにあることだから気にするな」
「はあ!?」
呆然とするクイックの耳に、場違いなほど明るく、よく通る声が響き渡った。
「みなさーん! 初めましての方は初めまして。お久しぶりの方はお久しぶりです! 今回の四等級試験で試験管を務めさせていただきます、サーブ・グリーンです。今日はよろしくお願いします!」
満面の笑みで手を振る、どこか垢抜けない雰囲気の女性職員。
「よっ! サーブちゃん今日も可愛いぞ!」
受験者の一部から野次とも歓声ともつかない声が飛ぶと、彼女は照れたように笑った。
「えへへー、ありがとうございます! まずは初めましての方もいらっしゃるようなので、この場所についての簡単な説明をさせていただきますね」
サーブはニコニコとした表情のまま、ビシッと南の方角を指差した。
「南の方を見てください。遠くに連なるあの巨大な山脈……見覚えはありませんか? そう、あれが私たち人類圏で『大陸の極北』と呼ばれている絶対不可侵の領域、『竜の鱗山脈』です。つまり、ここは人類未踏の地と思われていた場所なんですよ!」
その言葉に、クイックを含めた新規受験者たちの顔からスッと血の気が引く。
「一年前、現在のギルド長が就任前の調査の際、たまたま『はじまりの横穴』で見つけた転移トラップ……それに引っかかって飛ばされてきたのが、この場所だったんです。あ、ちなみに最初に引っかかって、一週間ほど一人で地獄を味わったのは、当時新入社員だった私なんですけどね☆」
サーブはまるで観光名所を案内するバスガイドのようなテンションで、笑顔のまま恐ろしい事実を付け加えた。
「ギルド長個人の手による調査の結果、この森は『山蛙の巣』と呼称され、危険度は『三等級ダンジョン』相当。そして、この山蛙の影響範囲外に出ると、なんと『一等級ダンジョン』を超える魔境であることが結論づけられました!」
その明るいトーンとは裏腹の絶望的な情報に、クイックは引きつった顔で隣の友人を見た。
「なあ、ブリッツよ……。ちょっと聞きたいんだが、今のギルド長って本当に人間なのか? そんな魔境をさらっと個人で調査したって言わなかったか?」
「やめろ、クイック。ギルド長の話をすると、ギルド長が現れるぞ」
「……妖怪かよ」
震えるクイックをよそに、サーブの説明はさらに信じがたい方向へと進んでいく。
「そして、さらなる調査のために、ギルド長はこの魔境から『徒歩で』竜の鱗山脈を越えて王都に戻りました! ……私を、この地獄に置き去りにしたまま」
一瞬だけ、サーブの瞳から光が消え、底冷えするような低い声が漏れた。
「サーブちゃん! がんばれー!」
「あ、ありがとうございます!」
再試験組からの合いの手で笑顔を取り戻すサーブ。
「あの山脈って、人が徒歩で越えられるような代物なのか!? 妖怪どころか、完全に化け物じゃねえか!」
「だからやめろって言ってるだろ! お前、マジでギルド長をここに喚び出したいのか!?」
「妖怪でもあるのかよ……」
ブリッツに本気で怒られ、クイックは頭を抱えた。
「……コホン! その後、ふたたび『はじまりの横穴』を調査した結果、あれは単なるトラップではなく、とある条件で発動する『転移魔法陣』だったことが判明したわけですね!」
何事もなかったかのように満面の笑みに戻り、サーブはパンッと柏手を打った。
「その転移の条件というのが、『はじまりの横穴を三十分以内で最深部まで攻略すること』でした。以前のギルド職員は適当なチェックリストで最深部までしか行かず、最奥にあるこの魔法陣を見落としていたんですね。当時の杜撰な管理体制には困ったものです」
ニコニコと笑いながら、サーブは弾むような声で告げた。
「――つまり! 先ほど三十分以内で横穴をクリアした皆さんは、この魔境へ来れる『実力』を持った方たちということです! 本当におめでとうございます!」
拍手を送るサーブ。
しかし、その「権利」を手にしてしまったクイックたちの顔は、死人のように青ざめ、ガチ装備に身を包んだ再試験組は一斉に気合を入れる。
「お、おいちょっと待て!!」
たまらずクイックが声を荒らげ、サーブを指差した。
「さっき、ここを『三等級ダンジョン相当』って言わなかったか!? 俺たちが受けに来たのは四等級の試験だぞ! なんで格上のヤバい場所に連れてこられてんだよ!」
クイックの悲鳴に近い抗議に同調するように、新規受験者たちからも「そうだ!」「殺す気か!」と一斉に非難の声が上がる。
しかし、サーブはパニックに陥る冒険者たちを前に、全く悪びれることなく「ふふっ」と得意げに笑った。
「皆さんが不安になるのも分かります! でも安心してください、ギルドは無駄死にさせるような真似はしません! ……なぜ格上のこの場所が四等級の試験会場に選ばれたのか。それを理解していただくために、皆様にはまず『冒険者等級』と『ダンジョン等級』に対する正しい認識を持っていただこうと思います!」
サーブはどこからともなく取り出した大きな立て看板を、バンッと勢いよく叩く。そこには彼女の手書きで、デカデカと文字が綴られていた。
「私が夜なべして作りました、等級認識の早見表です!」
【冒険者等級 認識の早見表】
7等級:運が良ければ苦しまずに死ぬ
6等級:絶対死ぬ
5等級:多分死ぬ
4等級:運が良ければ生きて帰れる
3等級:ギリギリ生きて帰れる
2等級:探索したうえで生きて帰れる
1等級:探索したうえモンスター素材を狩って普通に生きて帰れる
「……は?」
クイックの喉から、本日何度目かわからない間の抜けた声が漏れた。
「おいおいおい! ちょっと待て! お前さっき『無駄死にさせない』って言ったよな!? クリアできなかったら5等級程度の実力ってことだろ!? 『多分死ぬ』って書いてんぞ!」
クイックの激しいツッコミに、サーブは「あちゃー」という顔をしてペロッと舌を出した。
「あ、間違いました。これは『1等級ダンジョン(軍管轄)』の早見表でした。えへへ、うっかりうっかり。『3等級ダンジョン』はこちらです!」
サーブが看板の紙をペラッとめくると、新たな表が現れる。
【冒険者等級 認識の早見表(3等級ダンジョン版)】
7等級:多分死ぬ
6等級:運が良ければ生きて帰れる
5等級:ギリギリ生きて帰れる
4等級:生きて帰れる
3等級:探索をこなして生きて帰れる
2等級:探索をこなしたうえでモンスター素材を持って生きて帰れる
1等級:朝食を食べながら攻略できる
「いや、生存率が上がったのはいいけど、1等級の『朝食を食べながら攻略できる』ってなんだよ!? それもう冒険じゃなくてピクニックだろ!」
クイックの血管がブチ切れそうなツッコミを、サーブは「あはは」と愛らしい笑顔で華麗にスルーし、早見表の『4等級』の項目をバンバンと叩いた。
「細かいことは気にしないでください! 皆様に注目していただきたいのはここです。3等級ダンジョンにおいて、4等級冒険者は『生きて帰れる』ランクということです!」
「……あ?」
「つまりですね! 我々ギルド職員から見て、4等級というのは『不測の事態で格上の危険地帯に巻き込まれても、無駄死にせずに自力で生還できる実力』だと定義しております。ですから――」
サーブは、まるで遠足の行き先を発表するような無邪気な笑顔をパァッと咲かせた。
「今回の四等級昇級試験のクリア条件は、この3等級ダンジョン相当のこの場所で、制限時間内に『各自のミッションをクリアする』です! 皆さんが本当にその実力を持っているか、この試験でしっかりと見極めさせていただきますね!」
その明るく狂気に満ちたサバイバル(処刑)宣言に、クイックは絶望の表情で天を仰ぐのだった。
「やっぱり殺す気じゃねーか」




