黄昏月 ―― 燕の子安貝
宮中、清涼殿――
後宮の工事の様子を見に来た弥子に、惟光が夕餉を食べていくことを勧めた。蒸した餅米、鴨の干し肉、汁物、果物と一緒に、塩、酢など調味料の小皿が膳に並べられている。これらの調味料を好みで漬けて食べるのだ。しかし、帝の前には酒だけが置かれている。朝餉同様、夕餉も儀式として扱われるため、弥子と夕餉を取ることが出来ない。
帝は盃を手に、面白そうに言う。
「惟光が困っておった」
「後宮で働く人のこと?」
硬い鴨肉を口にしながら弥子は隣に座っている帝に視線を向ける。
「かぐやのように、難題ばかり申すと、な」
「かぐやの難題出したのは、私じゃないんだけど?」
「そうであったか?」
しらを切る帝を見て、いやいや、あんただろ、と弥子は心の中でつっこんだ。
「それで……帝にお願いがあるんだけど」
弥子は銀の箸を置き、体を帝に向けた。珍しく改まった様子に帝の目がほんの少し大きく開く。
「申してみよ」
「中納言石上のことなんだけど、あの人に高いところへ上らないように、伝えてくれない?」
「なにゆえ、そのようなことを申す」
中納言石上は、燕の巣を探して、高いところから落ち、そのあと亡くなる運命だ、などと言えるはずもなく。
「燕の子安貝、あれを取るため、石上が高いところに上ると思うの。あの人、どんくさそうだし、落ちたら怪我しちゃう。だから、自分で取るのはやめてほしい」
「あの者がどうなろうと、そなたが案ずる必要などない」
「何かあったら、私が責任を感じるの。だから、お願い」
帝は小さく息を吐いた。
「それで、なんと申して止めればよいのだ。私は、燕の子安貝のことはしらぬことになっておる」
「うーん、星占いとか、タロットカードのお告げとか。占い師に言われたら、気にすると思う」
「占い師……陰陽師か」
帝は宮中の陰陽師を使い、中納言石上に「高いところには近づくな」と助言した。石上はそれを真に受け、それ以来、高いところを避けるようになった。
しかし、かぐや姫を娶るためには「燕の子安貝」を手にいれるしかない。石上は人を使うことにした。
今はまさに、燕が巣を作る時期である。石上の住む屋敷の屋根にも燕が飛来していた。
「あの軒下のところだ。さっさと貝を取ってまいれ」
朝から庭で大声を出す石上に、何をしているのだろうかと春子が出てきた。
「主さま、いったい何をされているのですか」
殿の屋敷の軒下に掛けられた長い梯子。その一番高いところに下男の姿がある。
「燕の子安貝を探させておるのだ」
「燕の子安貝とはなんでございましょう」
「燕がひなを産む代わりに、貝を腹から出すのだ。それを持っていけば、私は富を手にすることになる」
軒先を見上げるその顔には野心で満ち溢れていた。
「あら、それでは使用人たちが偽って、貝を横取りしてしまうのではないですか」
「横取りしたところで、使用人たちには、意味のないものよ」
石上は鼻で笑った。
「どうしてですの」
「かぐや姫が望まれておるのだ。子安貝を持っていけば、あのお方を娶ることができるのだ。私は竹取の翁のように莫大な富を手にする。そうなれば、悲願の思いも果たせよう」
「娶る? 主さまには北の方がおられるでしょうに」
「あの女狐はいらぬ。離縁して実家へ送り返してやる」
「私はどうなるのでしょうか」
「何を申しておる。そなたは、私の女房ではあらぬか」
燕の巣はまだ作り始めたばかり、使用人たちは何も手にせず、屋根から降りてきた。
「主さま、まだ子はおりませぬ」
春子は、少し呆れた顔で軒下を見上げた。燕が泥や枯草を塗り固めている。
「主さま、しばらく待ってみては如何でしょう」
「ならば春子、そなたが様子を見よ」
「私に燕が子を宿すのを見ておれと申されるのでございますか。それだと主さまについて宮中へ参ることができませぬ」
「かまわぬ。宮中には他の者を供にすればよい」
「牛車での逢瀬もできませぬがよろしいのですか」
「しかたあるまい。そなたより、かぐや姫を娶ることが大事である」
姉を追い出して、かぐやを娶る。自分は、女房のまま。春子は、見たこともない女に夢中になっている石上を恨めしく思った。




