黄昏月 ―― 女房募集中
石上麻呂足邸――
中納言石上は朝廷の古き伝統を重んじる旧家の名門ではあるが、官位を保つだけで、今やかつての栄光は面影のみとなっている。傾いた家門を再興させ、自らを再び頂点へと押し上げようという、切実な野望を抱いている。
「主さま、私をお供させてくださいな。せっかく主さまの女房になったのに、お帰りが遅いとは寂しゅうございます」
「なんと嬉しきことを仰られる」
「主さまのいらっしゃらない屋敷に一人でいると、なんと心細いのでございましょう」
「こうして毎夜、共におるのにか」
「いけませぬか。主さまのお傍にいたいと思う私はお嫌いでしょうか」
春子は上目遣いで石上の袖を摘んだ。そんなことを言われたら、石上も悪い気はしない。
「よしよし、明日は供としてついて参れ」
石上は、毎晩のように自分の女房である春子を寝所へ連れ込んでいた。
彼の正妻は、春子の姉、冬子である。彼女はプライドが高く、自分は高貴な姫君であり、皇后になるために育てられた――中納言など目もくれぬ相手と馬鹿にして、どこか夫を蔑んでいる。それが、ありありと伝わるのか、石上は冬子とはほとんど肌を合わせたことがない。
美人で教養の高い春子の方を正妻として迎える方が良かったのではないか、と思えるほど、冬子に魅力を感じなくなっていた。
しかし彼にはさらなる野望がある。都で噂のかぐや姫を妻にすることだ。かぐや姫は、竹取の翁に莫大な富を与えた。自分がかぐやを娶ることが出来れば、家門を再興することが叶う。
所詮、春子は権大納言藤原孝平の側室との間に出来た娘。春子を正妻にするメリットはない。そんなことをせずとも、毎夜のように春子は自分の寝所へ連れ込めるのだから。
翌日、牛車に揺られ、二人は宮中へ向かった。ゆったり歩く牛車の中で逢瀬を楽しむ。春子を後ろから抱きしめて、これなら毎回連れて行ってもいい、とほくそ笑んでいた。
宮中の車寄せに着くと、春子は乱れた袴を整えた。そして何事もなかったかのように二人は、牛車を降りた。
石上が清涼殿で政務を行っている間、春子は中納言石上の控えの間で、待機していなければならない。
後宮にある承香殿は清涼殿に近く便利であることから、役所の事務所として使われ、ここで女官や女房たちが忙しなく仕事をしていた。春子たちのような大臣に仕える女房は、承香殿と清涼殿を繋ぐ渡殿の隅を控室として待機する。そこで書類の整理や石上の食事の支度などを行うのだ。
後宮には帝の寵愛を受ける女が一人も存在しない。頑なまでに女を側に寄せない帝が、ついに皇后となる女を選び、後宮に住まわせようとしているのだ。待機する大臣の女房たちが、噂話に花を咲かせており、春子は素知らぬ顔で、聞き耳を立てていた。
「蔵人頭殿が、皇后の宮仕えとなる者を求めておるそうだ」
「私の実家も、妹に宮仕えにならぬかと使いの者が参られた」
「皇后に女房はおらぬのか?」
「なんでも卑しい出自と聞きました」
「まことであれば難しき事だ。卑しい庶民に仕える者などおらぬわ」
「零落の身か、地下の娘か、赤貧の女のほかに取るべき人はおらぬな」
(帝が卑しい庶民の女子を皇后に? 身分を問わないということか。ならば、私も帝に見初められるはず……)
春子は書状を手に、そっと抜け出し、清涼殿へ入ろうとした。
「ここから先は、入れぬ。さっさと戻れ」
帝のいる清涼殿は女人禁制となっている。春子は門番をする蔵人に咎められた。
「蔵人頭惟光さまにお目通り願います」
「蔵人頭殿はお忙しいお方である。そなたの主を通されよ」
「私は、権大納言藤原の娘です。今は、中納言石上さまの女房でございます。皇后さまになられるお方の女房を探しておられると、他の女房が噂しているのを聞き、ご無礼を承知で参りました。どうか、蔵人頭惟光さまにお伝え願えませんでしょうか」
蔵人たちが顔を見合わせた。
「蔵人頭殿にお伝え申すが、ここから先は入れぬ。中納言殿の控室に戻られよ」
(なり手がないなら、きっと上手くいく)
春子は、踵を返すと女房の控の間へと戻って行った。数日後、春子が中納言と宮中へ行き、控室で待っていると、女官が声をかけてきた。
「他人の家の女房を、引き抜くわけにはいかぬと蔵人頭さまが申しておった」
「主が承知すればよいのですか」
女官は鼻で笑い、冷たく言い放った。
「私に問うてどうしろと? そなたの主に申せ」
女官は背を向け、去って行った。
帰りの牛車の中で、春子は石上にそれとなく話を振ってみた。
「女房たちが皇后となられる方が決まった、と噂をしておりました」
「うむ、そのようだな」
薄い反応に春子は目線を下げる。
「なり手がおらぬようで、煩われておられるとか」
「そのようだな」
石上は興味なさそうに大あくびをし、春子の膝を枕に寝転んだ。
「皇后となられるのに、気の毒にございます」
「どうでもよい事だ」
「いつまでも決まらぬ様でしたら、遣わして頂いてもよろしいかと。主さまのお顔も立ちましょう」
石上はぎろりと春子を睨みつけ、春子の重ね着の襟元をつかんだ。
「そなたは私に仕える身。なにゆえ皇后の女房になりたいと申すのか。もしや帝の御心にかかろうなどと思っておらぬであろうな。私の下がりを帝が召し上がりたいなど思うはずもなかろう。おこがましい」
(石上から手放さない限り、皇后の女房にはなれない。いいえ、諦めるものか)
牛車が大きく揺れた瞬間、春子は自分の膝を崩して、石上の頭を落とした。
「お邸に着かれますよ」




