黄昏月 ―― 女房の掟
桜咲く四月。弥子の菜園は色鮮やかな花が咲き誇っている。毎朝、柔軟、空手の型、木刀振りをルーティーンに加えた。
「毎朝、精がでるなあ」
蚕になってしまった父が、日に当たりながら娘の運動に励む姿を眺めて感心している。
「最近、体が訛ってるからね。鍛えておかないと、何かあった時、困るでしょう」
「帝も変わった趣味をしているよな。こんな強い奥さんもらったら、苦労するのに」
「なんですって。言っとくけど、お母さんに比べたら、私なんてひよっこだよ」
「雫さんは別格だ」
ひと汗かいて朝風呂に入ろうと思っていた矢先、五番目の貴族、中納言石上麻呂足の使いの者が恋文を届けに竹取の邸を訪れた。
「この人、最後亡くなった人だよね」
「うむ」
「死ぬと分かっているのに、難題を出すのは気が引けるんだけど……」
何度も断ったが、しつこく訪ねてくるので、悩んだ挙句、難題を出すことにした。翁も相当手慣れたもので、相手が喜ぶことをぺらぺらと並べたて、使いの者を帰らせた。
四月に入ってから、弥子は定期的に宮中へ通っていた。というのも、弥子の出した条件、トイレと風呂の建設工事がいよいよ開始することになったのだ。もちろん、父である蚕もこっそり同行する。プロデューサー兼、現場監督として。
帝はずっと忙しく、ゆっくり会う間はない。しかし彼は工事の様子を視察するふりをして、ほんの束の間だけでも弥子の顔を見にくる。誰が見ても帝が寵愛していることは明らかであった。
弥子は男物の小袖に着替え、塀を乗り越えて外出した。竹林の道では、随身が弥子を待っている。鷹と隼の二人である。彼らは、弥子が外出するときは、常に護衛することを帝から命じられていた。
弥子は、芦毛の馬に跨ると颯爽と宮中へ向かった。風を切って駆け抜ける彼女を追いかけるのは、選りすぐりの随身でもなかなか大変であった。弥子が乗っている馬は、帝の馬の次に足が速い。天馬のごとく駆けていく。
「お待ちくだされ。早すぎます」
「弥子さま」
「早く来ないと置いてくよーっ」
頻繁に来ると門番とも顔見知りとなり、すんなり門を開けてくれるようになっていた。
後宮のすぐ裏側、北側エリアの庭に弥子専用の菜園、工房、湯殿と休憩室、トイレを作る。そこは小川や池があり、水回りに最も最適な所だった。皇后となり、後宮を取り仕切る弥子にとって都合の良い場所なのだ。
平安時代のトイレ事情は、排泄物を川や溝にそのまま廃棄するため、その近辺はかなり不衛生であった。しかし、現在蚕の姿をした自称天才万能学者、月野海の指導の下、弥子は竹取の屋敷で土壌浄化システムを構築。微生物や植物の根を利用して分解させ、菜園の肥料にしていた。
「弥子さま、この竹は、どこに置きますか」
「それは、お風呂に使うから、そっちにまとめて置いといて」
通りかかる女官や随身は、すっかり神殿造りだと思っているようで、一礼したり手を合わせたりしていた。
「しかし、全ての建物に檜を使うとは、随分立派な物が建つな」
「しっ、お父さん、声が大きい」
「すまん」
そんなこんなで、夏には完成しそうだ。
「弥子さま」
蔵人頭惟光がどこからともなく現れた。彼は影のように帝に仕えている。また帝と弥子を繋ぐハイプ役も務めていた。
「弥子さま、肩に虫が」
「あ、いいの、この子は私が飼っている蚕だから。気にしないで。それより惟光、どうしたの?」
「後宮に仕える女房のお目通りをお願いできますか」
「別にいらないんだけど」
そっけなく返されて、惟光がコホンッと一つ咳払いした。
「弥子さまが、人の力を頼らぬことは存じております。されど、仕える者は置かねばなりません」
「めんどくさ」
顔を見れば心底嫌がっていることは伝わった。そんな弥子にもすっかり慣れ、惟光の心が折れることはない。
「そう申さずに、さあ参りましょう」
「もういいよ、会ったところで分からないし、任せるよ」
「ならば、条件を申してください」
「そうだな……。陰口、悪口、告げ口、噂話をしない人。嘘をつかない、口が重い、そんなところかな。誓約書を本人に書かせて。もし守らなければ、首どころではないとか言って脅しといて」
惟光は唖然とした。そんな条件を出せば、宮中から人が消えてしまう。
「本気でございますか」
「本気だよ。そのくらい責任と覚悟を持っている人がいい」
女房や女官たちは大事な情報源を握っていることが多い。噂話をしない、口が重い、などの規制が掛かれば、情報収集に影響が出てしまう。
「それはあまりにも」
「なに? 陰口、悪口、告げ口、噂話が好き、嘘をつく。そんな人を入れたいの? だったら私に聞かないで、惟光の好きにすれば?」
そう言われたら、ぐうの音も出ない。
「承知しました」
惟光から報告を受けた帝が大笑いした。
「いやはや、なんとも。やはり、弥子は面白い」
「どうしてあのお方は、無理難題ばかり申されるのでしょうか」
「そう言うな。さながら望む通りにしてやれ。私の后は、そなたの功に懸かっておる」
惟光は小さくため息をついた。
(胃が痛くなってきた……)




