黄昏月 ―― かぐや姫の伝説
竹取の屋敷、湯殿に隣接する休憩室――
石上麻呂足が呪われて死んだ噂は、弥子たちの耳にも届いていた。この時代の人たちは、呪いやお告げ、占いを本気で信じている。陰陽師のお告げも守らず、なぜ梯子に上ったのか、弥子には分からなかった。
「どうしよう、お父さん」
「石上が死んだのは、お前のせいじゃない。だから気にするな。第一、物語で決められていたことだろ」
そう言って父が慰めたところで、娘は落ち込んだままだ。
「そうだけど、気分は良くないよ。おまけに皆、怖がって、使用人たちも噂を気にして、ほとんどやめちゃったし」
弥子は畳でごろごろしながら、やり場のない気持ちに苛まれていた。
八月に入っても噂は静まるどころか、どんどん飛び火のように燃え広がっている。もはや消火できないレベルに達していた。竹取の屋敷は人が寄り付かなくなり、絹も売れなくなってしまった。母屋に暮らす翁と媼もすっかり気を落としている。
「それで帝はなんて言っているんだ」
「すぐにでも引っ越してこいって」
「あと二週間もすれば、十五夜か……」
◇◇◇
その頃、宮中では、かぐやを早急に捕らえて、刑に処したほうがいいと言い出す者まで出てきた。
「すぐさま竹取の屋敷へ検非違使をよこすのだ」
「神の子は弥子さまお一人でよかろう」
「偽者の罪、石上殿を死なせた罪は重い。かぐやは処刑だ」
話はどんどん悪い方向へ向かっている。
「帝の勅命が下った。決行は八月十五日。かぐやを捕らえるのだ」
弥子は、翁と媼に世話になった礼を言い、たくさんの絹を持たせて逃がした。翁たちは泣きながら屋敷を後にした。
そしてついに八月十五日がやってきた。弥子は真っ赤な内掛けを羽織り、女の面を被って、検非違使が乗り込んでくるのを待っている。
「外が騒がしくなってきた。そろそろ、行くよ。お父さん」
「ああ、頼むぞ」
門をけ破られ、どたどたと大勢の検非違使が乗り込んできた。母屋の中を引っ搔き回しているのだろう。けたたましい音が聞こえてくる。屋敷をぐるりと囲む随身たちが、屋敷に火の矢を放ち、火はあっと言う間に燃え広がった。
「いたぞ、あっちだ。捕まえろ」
庭に出た弥子は、検非違使に追い詰められた。
「このあやかしめ」
検非違使の矛をひらりとかわし、弥子は塀を上がった。そして軽やかに舞って見せ、空に低く浮かぶ大きな月に向かって高く飛んだ――
満月に照らされて弥子の影が舞い踊る。検非違使たちは神の舞を見せられている気がして、息をのんだ。
「……消えた」
忽然と姿がなくなった。検非違使たちは目をぱちくりさせたり、擦ったりしている。
「いや、逃げたのだ。外には、随身たちが待ち構えておるのだ。捕らえられておるはず」
「追え、外だ」
「屋敷が崩れるぞ。早く出るのだ」
バチバチ、ゴォゴォと音を立て、屋敷は炎に包まれて崩れ落ちていく。検非違使たちは屋敷の外へ出てかぐや姫の姿を探したが、見つからなかった。
「見ろ、かぐやが着ていた着物だ」
脱ぎ捨てられた真っ赤な内掛けだけが、道に落ちていた。それを拾った検非違使が震えながら月を見上げた。
「もしや月の使いが来て、連れて行ったのではなかろうか」
「私も見たぞ」
「かぐや姫は、月へお帰りなさった」
呆然とする検非違使たちをよそに、弥子は帝の選りすぐりの随身たちと早馬に乗って宮中を目指していた。
「弥子さま、お怪我はござらぬか」
「大丈夫」
弥子が月に向かって飛んだあと、下で待ち構えていた随身たちが黒い布で弥子を覆い隠し、竹藪へ連れ出したのだ。そして暗闇に隠していた馬で逃げる、それは帝と弥子が事前に打ち合わせしたことである。
「全く、無茶をなさいますな」
「でも、あのくらい派手にしないと、消えたとは、思わないでしょう」
「さすがにございます」
「さあ、主上が待ちかねておられますぞ」
のちに――
かぐや姫は空を飛んで、月へ帰ったと都で囁かれるようになった。




