黄昏月 ―― 夢か現か
宴も終わり、庭は静けさを取り戻していた。祭の後はなぜか寂しさが募る。弥子は、誰もいなくなった小川を一人散歩していた。小川から見える渡殿を見上げた。
「あそこに大臣たちの奥さんが座っていたのか。あそこからだと、もっとよく見えたのかな」
満開の梅の花に手を伸ばす。計算されたように草木が植えられ、池や小川を作り、雅な世界を演出しているが、貴族たちの複雑に絡む人間模様は雅の欠片もないように思える。
今、まさに、清涼殿は暗雲立ち込める場となっていた。皆、宴の後に収集をかけられるとは思っていなかった。お陰で夫を待つ北の方たちは、理由も聞かされないまま、牛車の中や、別の殿舎で夫が戻ってくるのをじっと待つしかなく、不安を抱えていた。
大納言大伴御行の北の方は、他の妻たち以上に不安を抱え、胸が押しつぶされそうになっていた。待機していた殿舎からは、宴の会場であった庭が見える。満開に咲く梅の花の木の下に薄桃色の変わった装いをした女が立っているのが見え、女房たちの目を盗み、こっそり庭へ出た。
見つかればお咎めを受けるに違いない。しかしこの機会を逃がしたくなかった。重たい十二単を引きずりながら、何本もの梅の木を見て回った。裾が汚れることも気にならないほど、北の方は必死だった。
(どこだ、どこにおるのだ)
さわさわと風が吹く中、桃の精がこちらを見ている。
「桃の精」
思わず、口走ってしまった。
「さっきの子だね。お尻、大丈夫だった?」
「は、はい。……そ、そなたは、桃の精なのか」
目を丸くしたあと、桃の精は口元で軽く笑った。
「そうかも」
「私は、いかにすべきか教えてくれ。私一人で決めてよいのだろうか。おそろしく心細いのだ」
きっと変な質問をしている。北の方は不安げな表情を浮かべた。
「いいんじゃない。自分の心に従ってみたら? 失敗しても自分で決めたことなら、納得できるでしょう。がんばって、応援してる」
(心に従う……)
穏やかな微笑みとは裏腹に、しっかりとした口調で返された答えが、胸の奥で響いた。北の方は自分の胸に手を当てる。
「……かたじけなき御言、つゆも忘れずおぼえておく」
微かに女房たちの声が聞こえ、振り返った。
「北の方ーっ。北の方ーっ」
女房たちが血相を変えてこちらへ向かっている。北の方が視線を戻すと、桃の精はもうそこにはいなかった。
「夢か……現か……」
薄暗くなった庭をもう一度振り返ったが、やはり誰もいない。
北の方たちが殿の中へ入って行くのを桃の精は木の陰からそっと見ていた。
「危ない、危ない。あの子の女房、苦手だわ。また扇子で叩かれたくないもんね」




