黄昏月 ―― 泥中の花
庭の小川に盃が流される。貴族たちは自分の前に盃が届くまでに歌を詠まなければならない。出来なければ、盃を手に取り飲み干す。渡殿の几帳には、大臣たちの北の方たちも招かれ、遠巻きに夫たちの詠む歌に耳を傾ける。互いに褒め合いながら牽制するのである。
中納言北の方、藤原冬子もまた、招かれた一人だ。
「大納言さまは病身とお聞きしましたが、北の方を連れて参られたようにございます」
「では、あれもここにおるのですね」
「はい」
冬子は権大納言藤原孝平の娘であり、腹違いの妹、春子の姉でもある。異母姉妹のせいか、身分のせいか、二人の仲は決して良くなかった。お互い蔑んでいた。
姉にしてみれば妹は側室の娘。汚らわしい血を持つ女子として見ていた。また、春子が父に可愛がられていたことも気に入らず、聞こえよがしに嫌味を言うだけでなく、女房を使って目に見える仕打ちをすることもあった。
「それは、いいことを聞きました。北の方にご挨拶せねば、なりませぬな」
冬子は自分の几帳へ向かうふりをして、大納言北の方の几帳の所で立ち止まった。
「これは、大納言北の方。お久しゅうございます。大納言さまは病身とのことですが、もう、よろしいのでしょうか」
「中納言北の方。お心遣い感謝いたします」
几帳の裏にいた春子は身を硬くした。
(もしや姉上の声? こんなところを見られたら、憂き目を見ることになる)
春子は、息を潜めて聞き耳を立てた。
「妹を見かけたと、女房が申しておりましたので。あの者は、如何でございますか。お手を煩わせてはおりませぬか」
「はい。手を煩わせるほどにはございません」
「もしよろしければ、一目会わせていただいても?」
「姉妹ですもの、もちろんです。今、呼びましょう」
「大納言北の方に、わざわざそのような真似はされられませぬ、私が参りますゆえ」
冬子は、深々と大納言北の方に頭を下げた後、立ち上がり、几帳の脇へ歩み寄った。
「まあ、なんて事かしら……。私の妹とあろう者が、人の世話をする身となろうとは。あわれよのう」
「姉上」
「中納言北の方とおっしゃい」
扇の内からクスクスと漏れ笑う声に春子は屈辱と激しい憎しみを腹の底に沈めた。
「中納言北の方。私のような者にお心を配られたことに感謝申し上げます」
「粗相をして大納言大伴さまや大納言北の方に申し訳が立たないことはしないでおくれ。父や一族に汚名を着せることはせぬよう、心してつとめなさい。……なんだか臭うわ。あの者の香が私の着物に移りそう」
「申し訳ございません」
春子は震える声で平伏した。
「あの女の真似をして、妾になればよかったのに。まこと愚かな女」
(絶対に許さない。いつか必ずや、惨めになった姉上を見下ろして嘲笑ってやる)




