下弦の月 ―― 大納言大伴御行
大納言大伴邸――
「お帰りなさいませ。主さま」
大納言は、出迎えた北の方を視線の端に置くだけで、ろくに口も利かず、奥へ入っていった。
北の方は成人したとはいえ、まだ十三歳、大納言にとって何の魅力も感じない、ただの人形としか思えなかった。むしろ、今は邪魔で仕方がない。大納言は溜息をついた。自分は、なんとくじ運の悪い男なのだろう、もし一番くじを引いていれば、今頃、かぐやが正妻として、この屋敷の主を出迎えてくれていたはず、と北の方の出迎える顔を見るたびに悔しくなるため、目を合わせることも耐え難かった。
他の妾は全て縁を切った。しかし北の方との離縁は不可能に等しい。と言うのも北の方は皇族の出、つまり相手の身分が高いのだ。
「あら、主さま。何をそんなにお悩みですの」
几帳の中で藤原春子が大納言の肩に手を乗せて、耳元に唇を寄せると囁くように言った。
春子の父は、権大納言藤原孝平である。由緒ある藤原家の娘ではあるが、彼女は側室との間に出来た娘。格式の高い家柄へ正妻として嫁ぐことが難しい立場であった。教養が高く、歌の才能も姉とは比べものにならないほどの美貌も持ち合わせていた。
皇后にはなれないが、妃としてなら入内出来ると父の言葉を信じていたが、その夢は儚く消えてしまった。今の彼女は、大納言北の方の女房である。同時に大納言の夜の慰めの相手であった。
「かぐや姫は神の娘と呼ばれておりますが、黄金の姫と異名を持たれているそうではありませぬか。あの者がいれば、一生、困ることはないでしょう。すべてを投げ売ってでも、手に入れるべき女子です」
「うむ。そなたも、そう思うか。私の心を分かってくれるのは、そなただけだ。今夜も存分に楽しませてもらうぞ」
「主さまったら、いけませんわ。ふふふ」
大納言は、春子の小袖をするりとはぎ取ると白い肌に触れた。
(この女子も恥ずかしいそぶりを見せたのは初めだけ。もはや私の思うままではないか。かぐやも、この私の手に掛かれば、他愛もないわ)
夜が更けていく――
野心を抱えた者たちは、いかにして野望を本物に変えるのか。




