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下弦の月 ―― ぼたん雪

 宮中、清涼殿――


 ぼたん雪が降り続く、寒い午後のことだ。外は凍てつく寒さであったが、主のいない殿上の間では男たちが静かに闘争心を燃やしていた。息が詰まるほど、不穏な空気が漂っている。


「右大臣殿、そなた得体の知れぬ女子を皇后に立てようとしていると聞いたが、まことであるか」


 権大納言藤原孝平には二人の娘がいた。娘を皇后と妃にし、帝が握る権力を奪い返すことを目論んでいた。その夢を右大臣の裏切りによって砕かれ、恨み辛みを抱えている。


「権大納言殿。弥子さまは、先見の目を持つ神の子であるぞ。そのような物言いは、不敬に値すると思え」


 右大臣阿部御主人は、かぐや姫から課された宝を手に入れようとして、幾つかの荘園を失うだけでなく、世間の笑いものになるところだった。それを救ったのが弥子である。偽物だと告げるだけならまだしも、どこの誰から手に入れるかまで言い当てられ、もはや神の言葉として疑う余地もない。


 右大臣と権大納言の話を聞いていた左大臣藤原博道が目を細めて言った。


「都には神の娘が大勢おるようだ。噂では、かぐや姫なる者も神の娘と呼ばれておったのう」


 それに反応したのは、大納言大伴御行だ。


「弥子とか申す者こそ、偽物でございましょう。本物の神の娘はかぐや姫であります」


 神の子と聞き、思わず声を荒げてしまった。自分が今、手に入れようとしている姫こそが本物であり、その姫のために、家臣を大勢使って竜の頸の珠を探しに行かせているのだ。かぐや姫が偽物のはずがない。


 反対派と賛成派がぶつかり合い、どちらも譲らぬ様子。中立派は黙って様子を見ている。


「帝が望まれるお方を皇后に立てるのがよろしいのではないか」


 弥子を推薦した右大臣は、帝の意向をどうしても通したかった。できなければ右大臣の席を空けることにもなりかねない。


「何を言う。貴族でもない女子を皇后になど、出来ぬわ。どうしてもお傍に置きたいと仰るなら女房の一人にすればよかろう。帝のお慰みで十分ではないか」

「なんと恐ろしや。権大納言殿、覚悟があってのことか」

「とにかく、私を含め、大納言大伴殿、中納言石上殿は断固として反対いたす」


 三人共ふんぞり返り、梃子でも動かない、といった様子ではっきり言い切った。


「後ろ盾があればよろしいのか、権大納言殿」


 扇で口元を隠しながら左大臣が、権大納言に意味深な含みを乗せた視線を向ける。左大臣が後ろ盾になれば、庶民に貴族の称号を与えるだけでなく、強固な立場を確立させてしまう。権大納言に焦りが見え隠れする。


「まさか、左大臣が後ろ盾になどと、申すのではあるまいな。そのようなことをなされば、波風が立つのではござらんか」


 嫌味のような牽制に刃を向ける者がいた。左大臣の嫡子、中納言藤原博信である。自慢のひげをなぞりながら彼は言った。


「後ろ盾なら、私、博信がいたしましょう」


 清涼殿殿上の間は、驚きの声を上げ、やがて中立派が扇の内でひそひそと囁き合う。


「なんと申された。気でも狂われたか」

「うちの者がいたく気にいられましてな。是非と、申されておる。弥子さまは羽衣をつけ、空から雪のように舞い降りてこられた。そのお姿を私もうちの者も拝見しております。多くの民が平伏したことがなによりの証。あのお方こそが、神より我が国に遣わされし姫。まさに皇后に相応しいお方だ」


 雪は音を消し、ただぽつぽつと落ちていく。外の静けさのように、気配を消し、惟光は御簾の裏で、聞き耳を立てている。


 ぴしゃりと扇子の閉じる音がして、全員が凍りついた。


「面白い話があると聞いて参ったが、これほどまでに面白いとは思わなんだ」


 青ざめて腰を抜かす権大納言に向けて御簾の奥から冷酷な声が響く。


「のう、権大納言。この集まりはそなたがなされたとか。私を出し抜こうとしたことは、相当覚悟あってのことかと思うておるが、いかがかな」


「滅相もございませぬ。……主上、恐れながら申し上げます。これは、あの……ご祈祷の邪魔は出来ぬゆえ、致し方なくしたまで。出し抜くなど恐れ多いこと……決して致しておりませぬ」


「そなた、私が女房をなぜ置かぬか知らぬようだのう」


 胸を刺された気がした。御簾で顔が見えないことも恐怖であった。


「失言は老臣のうわ言と思い、お許しいただきたく存じます。き、妃と申したかったのでございます。どうか、この通りでございます」


 苦しい言い訳に権大納言の冷や汗が止まらない。


「老臣のうわ言とな。ならば権大納言を退いた方がよいやもしれんのう。しばらく顔も見とうないわ。右府、権大納言の代理を選んでおけ」

「御意」


「主上、お待ちくだされ。どうか、いま一度、私に」


 権大納言が、這うように御簾の前へ向かい、頭を床に擦り付けた。帝がいることも知らず、迂闊なことを口にしてしまった。御簾が降りていることに違和感を覚えなかったのは、帝が不在だと確信していたからだ。


 (午後から祈祷のはず。確かに左大臣と右大臣が話しているのを聞いたのだ。なぜだ。このままでは、一族の存亡にも関わってくるではないか。まさか……。まさか、図られた?)


「主上、どうかご慈悲を願いたく存じます」

「そなたの心が透けて見えて、なかなか面白かったぞ」

「……弥子さまを推挙いたします。なにとぞ、官位の剥奪だけはお許しを」

「口だけか」

「すぐさま正式に上表文をお持ちいたします」

「明日までに持ってまいれ」

「仰せのままに」


 帝は扇を広げ、ニヤリと笑った。


(もう一人、近く片付くであろう者がおったのう)


 帝は、御簾の隙間から獲物を仕留めるような目で大納言を見据えていた。


(さて、竜の頸の珠。いかにして見つけてくるのやら)

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