春待月 ―― 希望
翌日、朝餉を済ませた弥子は、裏庭から塀を飛び越えた。背中に背負った大きな風呂敷が少々重く、邪魔ではあったが、なんとか脱出は成功した。
「まるで漫画に出てくる泥棒だ」
笑いたくなるのを堪えつつ、竹林へ向かう。そこで随身と待ち合わせしているのだが……。
「なんで、あんたたちがいるの」
帝と惟光もいるではないか。
「仕事は?」
「祈祷は済ませた。今日は狩りに行くと言っておる」
(祈祷や政務は弥子の言葉に直すと「仕事」になる。弥子の言葉にも慣れてきたわ)
ふふん、と得意気に鼻で笑う帝を見て、弥子はしょうがない、と呆れながら半笑いしつつ、背負っていた荷物を随身に手渡した。
「まあ、いいか。クリスマスだしね」
「くるしみます?」
(苦しみます。……つまり、村人へ施しをすることで、苦しみを和らげてやるということか)
帝を含め、その場にいた男たちは全員、眉根を寄せた。そして勝手な解釈をする。
「ところで、惟光、頼んだ物、持ってきてくれた?」
「はい、弥子さま。餅と小豆、あまづらでございます」
「弥子さま、みかんもたくさん用意しております」
随身たちが、荷車に積んだ荷物を見せる。
「古着もこちらに。仰せの通り、洗濯も済ませております」
「ありがとう」
「しかし、なぜ古着を?」
「リサイクルだよ」
「リ……リサ……イク?」
「貴族が要らなくなった着物は、いい生地使っているから、十分再利用できるのよ。皆、ありがとう。……じゃあ、行こうか」
いつもは真剣で厳しい表情を崩さないように気を付けている随身も心なしか、わくわくした気持ちが抑えきれない。
惟光がコホンと咳払いすると、ハッとした随身たちは背筋を伸ばした。
白馬に乗って、従者を引き連れて、山積みの贈り物を届ける。これで空を飛べたら――弥子はクスクス笑った。
「如何した?」
「サンタさんになった気分なの」
帝はふっと笑った。
(よくわからん言葉を使うが、そなたは、まこと慈悲深いのう。やはり、皇后になる素質を持ち合わせておる)
「ねえ、帝」
「今日の私は若君であるぞ」
「はいはい、若君さま」
ガラガラと荷車の車輪の音が聞こえたのか、かよが家から飛び出してきた。
「弥子さまだ。弥子さまがきたよーっ」
静かな村にかよの声が合図のように響く。するとあちこちから村人が顔を出してきた。
「ほんに、弥子さまだ」
「この寒い中、わざわざきてくれるなんて、ありがてえことだ」
「今日は、あんこ餅作るから、皆で食べようね」
弥子は随身と一緒に荷車から荷物をおろし始めた。集まってきた村人が随身から荷物を受け取り、庭の中央へ運び込む。
「弥子さま、お手伝いします」
「弥子さま、他に何をしたらいいですか」
「弥子さま、力仕事があれば任せてください」
「弥子さま、頼まれていた鉄の大鍋と平たい鍋です。絵の通りに出来たと思うのですが、どうですかね」
三太郎はかよの父親であり、村の鍛冶師たちの棟梁でもある。帝も唸らせるほどの腕前の持ち主だ。
磨きあげられ、ずっしりと重厚感たっぷりのフライパンの柄を握り、弥子は満面の笑顔を浮かべた。
「わあ、すごい。ちゃんとフライパンになってる。大鍋もいいね。これで小豆を煮込めるよ。ありがとう、三太郎さん。やっぱり職人さんてすごいなぁ」
弥子がお代を払おうとすると、三太郎は受け取れないと首を振った。
「だめだよ。これは仕事として頼んだんだから、ちゃんと受け取ってもらわないと困る。でないと、もう頼めないでしょう」
強引に上質な絹の反物を包んだ布袋を分厚い胸に押し付けた。
「分かりました。ありがたくもらいます」
かよの家の周りは、あっという間に賑やかな笑い声に包まれる。木の切り株に腰を下ろし、帝はその様子を静かに見守っていた。
(弥子は人々を笑顔にする。生きる力を分け与える。まこと神の娘の所業だ)
「主上、右大臣の申される通り、早めに迎え入れる方向で動きましょう」
惟光の言葉に帝は小さく頷いた。
(しばし、あの者が自由に大空を飛び回る姿を見ていたい。しかし、そうも言っておられぬ)
屈託なく笑う声、目をきらきらさせて忙しなく動き回る姿を見ているだけで、帝の心が満たされていく。
「若君さま、弥子さまがお作りになられたあんこ餅ができましたよ。おひとつどうぞ。弥子さまのあんこ餅、甘くておいしいですよ」
古びた木製の器に盛られたあんこ餅。
「あとで頂くとする」
惟光が皿を受け取った。村人はぺこりと頭を下げ、弥子たちの元へ戻って行く。
「甘い、こんな甘いあんこ餅、初めて食べた」
「うめえっー」
「さすが、神さまの食べ物は違う」
「もう一つ、おくれ」
離れたところから喜ぶ村人の姿を見て、帝は小さく息を吐いた。毒など入っているはずもない。分かっていても立場上、決して口にできないのだ。
「若君さま」
帝は、ハッとした。
(目の前に弥子がきたことも気づかぬほど、ぼんやりしておったのか)
「えーと、ちょっと散歩しない?」
「よかろう」
弥子に誘われて、村の御神木まで歩くことにした。遠からず、近からず、随身と惟光がついてくる。
「いつもありがとう」
「なんのことだ?」
「今回だって、皆に、みかんとか、餅とか、あまづら用意してくれたでしょう。私一人で出来ないこともたくさんあって、いつも帝に助けられているなぁって。それで……」
弥子は絹の手巾を差し出した。父の絹糸で織られた手巾に小さな白い花の刺繍が施されている。帝は刺繍を指先でなぞった。
「そなたが?」
「へ、変な意味はないよ。ただのお礼で」
帝は、胸に温かい何かが流れてくるのを感じた。今まで何を献上されても嬉しいと思ったことはない。生まれて初めて、贈られたことへの喜びを嚙みしめていた。
「そなたが作ったあんこ餅、私も口にしたいが、構わぬか」
「えっ、食べていいの? 毒見する人――」
弥子は息を飲んだ。甘い口づけに、二人の心が溶けていく。絡みつくようなキスに弥子の足が震えた。ちらちらと白いものが舞い降りて、帝の指を伝って弥子の頬に落ちていった。
「もう待てぬ。年が明けたら、そなたを迎え入れる準備を始める」
帝の腕の中で弥子の体がビクッと動いた。
「無理、無理だよ。そんないきなり」
「いきなりではない。申したではないか。そなたを皇后にすると」
「そうじゃなくて、私は結婚できない。世界が……身分が違い過ぎる」
「構わぬ。右大臣も、そなたを認めたのだ。安心いたせ」
随身たちは抱き合って喜んだ。その隣で惟光は薄っすらと涙を浮かべている。
(主上、やっと、ここまで来ましたね。ここから先は、この惟光が一気にことをお運びいたします)
(これで、弥子さまが危険な場所へ出向かれることもなくなるだろう)
帝が弥子の背中に手を回した。
「雪が積もる前に都へ戻らねば。寒くないか? 体を冷やしてはならぬぞ」
(冷えるどころか、熱いんですけど……。どうしよう、どうしよう。てんぱって、なんも考えられない)




