掬月 ―― 冬春の嵐
権大納言藤原邸――
「いやです」
一人の姫が泣き崩れていた。権大納言藤原孝平の娘、冬子だ。彼女は父から中納言石上麻呂足と結婚することを告げられた。
「石上家といえば聞こえはよいですが、財政も傾きかけ、落ちぶれた名ばかりの名家。私は、皇后となる身ではなかったのですか? なぜ、そのような相手と結婚せねばならないのですか」
娘が泣く気持ちは痛いほど分かる。なぜなら、彼自身も娘を入内させようと必死だった。右大臣から話が降りてきて、喜んだのもつかの間。右大臣が突然ひるがえった。話が違うといっても首をふるばかりで、聞き入れてはもらえなかった。
冬子は年を越せば、二十五歳を迎えることになる。このまま、家にいても、不利な条件をつきつけられるだけ。
「そう嘆くでない。中納言石上殿の正妻ともなれば、世間から指をさされることもない」
家長の父には従わねばならない。これも家のため、泣く泣く、冬子は承諾した。
藤原には、もう一人娘がいた。こちらはもっと厄介な話になった。大納言の側室の話が上がってきたのだ。春子は自分と側室との間に生まれた娘である。つまり、正妻としての嫁ぎ先がなかなか見つからないのだ。
「側室? 父上、あの約束はなんだったのですか。私を入内させてくれると仰ったではないですか」
冬子に比べ、春子は容姿も良く、歌の才能もある。字を書かせても、それは美しい文字を連ねる。それは春子が妃になるため、並々ならぬ努力をしてきたからだ。政略結婚で生まれた娘より、好きで側室にした女との間に生まれた娘を可愛がっていた藤原にとって何より辛い説得であった。
「確かに、申した。皇后にはなれなくても、そなたの器量ならば、妃にはなれると。しかし、状況が変わったのだ。辛いだろうが、分かってくれ」
「側室になるくらいなら、出家します」
「誰かに聞かれたらどうする。そのようなことを口にするでない」
貴族たちにとって娘とは商品そのもの。いかにして高く売るかが重要であり、その最高峰が入内なのだ。それが未婚のまま出家などすれば、外交カードを一枚なくす事になる。また、娘一人も扱えない無能と一族からも激しく非難され、自身の権威まで損なうこととなる。
「姉上は、中納言の北の方となられるのに、どうして私が側室なのですか。父上は、やはり姉上のことしか思われていないのですね」
春子は泣き崩れ、藤原は途方に暮れた。
「春子、私はそなたが一番可愛い娘だ。まことである」
「では、大納言様にお願いしてください。私を大納言の北の方の女房にしていただきたく存じます」
これは春子にとって一世一代の賭けであった。側室として惨めな扱いを受けるくらいなら、女房となったほうが、よほど好機が巡ってくる。もしかすれば、宮中に出入りすることもありうる。帝の目に触れることもあるかもしれない。春子は容姿に自信を持っていた。きっと帝は私をお気に召すはず。
「分かった。推薦してみよう。それでよいのだな」
「はい、父上」
こうして、冬子は中納言へ嫁ぎ、春子は大納言の北の方の女房となり、藤原邸を出ることになった。
大納言の北の方は、まだ十二歳。殿方の世話など出来るはずもなく、春子が大納言と夜を共にすることになる。寝所で無理やり相手をさせられて、初めは抵抗していたが、何度も夜を重ねていくうちに、この男を利用することを考えるようになった。
「私は必ずや、帝の隣に立ち、姉上を嘲笑ってやる」




