残月 ―― 売られた喧嘩は買います
宮中から帰る途中、弥子は町で用事あると言って、馬から飛び降りた。
「弥子さま、お一人で町へ行くなど、おやめ下され」
「左様でございます。我らもお供いたします」
「いいよ。馬とあんたたちを連れて歩く方が目立つし、変だと思われちゃう。いいから、帰って、帰って」
随身たちを追い返し、路地へ駆けて行った。随身たちは顔を見合わせる。
「やはり、心配だ。ご無事に屋敷へ戻るのを見届けないと、何かあってからでは遅い」
随身の一人がひらりと馬から降り、手綱をもう一人に手渡した。
「さすがに三頭の馬を連れ帰るのは、おい、鷹。ちょっと待て。その格好のまま、町をうろつくのはまずい。古着屋へ行って、着替えてからにしろ」
「そんなことしてたら、見失ってしまう」
「冷静になれ。まずは松庵寺へ行こう」
随身たちは、町はずれの松庵寺へ向かった。そこは帝の息のかかった言わば隠密の隠れ家である。ここを拠点に町の中や宿場での不穏な動きに目を光らせている。
寺に馬を預け、庶民に扮装した二人は、町の中へ紛れ、弥子の姿を探した。
「いったい、どちらへ向かわれたのか」
「あの方の行動だけは、読めないから困る」
「いくら男の着物を着ているとは言え、ご自分の容姿を少しは分かっていただきたい。まことに無謀なお方だ」
いつもいつも追いかけてる身としては、愚痴のひとつも言いたくなる。二人は注意深く、店や通り過ぎる人々に目を配る。
「おい、隼。あの男、おかしくないか」
「どれ」
「どこかで見覚えが……」
鷹が眉根を寄せて記憶の端を辿っていく。いくら庶民を装っても、訓練していない者は、歩き方を見れば一目で貴族だと判断できる。そしてよく知っている人物に似ているのだ。男は周りをきょろきょろと見回している。
「あれは、右大臣の側にいる家司ではないか」
「言われてみれば」
狭い路地から恰幅の良い男が現れた。二人は待ち合わせをしていたのか、なにやら話をしている。それから家司らしき男は頭巾を被り、もう一人の男の背に隠れるように雑踏の中へ紛れて行った。
「嫌な予感がする。早く、弥子さまを見つけねば」
「ここは二手に別れよう。隼は、家司の後を頼み申す。私は弥子さまを探す」
二人は、道を分けた。隼が家司を尾行し、鷹は弥子が立入りそうな店を隈なく覗いた。乾物屋、酒屋、古着屋、屋台、どこを探しても見つからない。声を張り上げて呼びたいほどに焦っていた。
「いったい、どちらへ向かわれたのだ」
嫌な予感が消えないのだ。無茶なことを平気でやってのけることを知っているだけに、また何かに巻き込まれていないか、心配でたまらない。見つからないからなのか、不安がどんどん苛まれていく。
「はやく、あの方に娶って頂きたいものだ」
鷹と別れた隼は、右大臣の家臣を追っていた。家司が腕っぷしの強そうな男たちを引き連れて、油屋へ入っていく。店の中を伺うと、弥子が店主と何やら話しているのが見えた。
「おじさん、いつもの、ある?」
「姫さまご用達の椿油ですな。いささかお待ちを」
椿油は高級品で店内には置かず、店の奥で管理していた。この椿油は弥子のシャンプーやトリートメントには欠かせないものである。
「弥……」
隼が店に足を踏み入れようとした、その矢先。男が、弥子の背中にぴたりと張りついた。小刀の刃の先が弥子の背中に触れている。隼は咄嗟に身を隠した。
(今、踏み込めば、弥子さまが傷つけられる恐れがある)
「死にたくなかったら、このまま出ろ。騒いだら、店主も巻き添え食らうことになるぞ」
弥子はゴクリと唾を飲みこんだ。背中に尖ったものを感じた後、チクリとした。
(脅しじゃない。この男、人を傷つけても平気だ)
「おじさん、ごめん。用事を思い出した。またあとで来るよ」
外へ出れば、頭巾で顔を隠した男が待ち構えていた。
「誰?」
弥子は眉根を寄せ、首を傾げる。今、自分は男の小袖を着ている。背後からきた、ということは女だと気づいていない。
(金目当ての強盗?)
治安の悪い町なので、そういうことは十分考えられる話だ。
「繭玉がここに入っている。これを渡すから見逃してくれ」
弥子は胸元をポンと叩いた。
「ああ? 持ってるならさっさとよこせ」
弥子は懐から繭玉の入った絹の巾着を出して見せた。男が手を伸ばした瞬間、脇腹に向かって蹴りを入れた。さっと、距離を取り、店の入り口に立てかけてあった竹ぼうきを掴んで竹刀を持つように構えた。
「この小童!」
男が襲い掛かってくる。しかし弥子はひらりとかわし、男の顔面に向けて、竹ぼうきの柄でぶっ叩いた。そしてまた、距離を取る。高く飛び、よろめいた男の頭上に柄を落とし、押しのけるように体当たりする。男は、白目を向いてそのまま後ろにひっくり返ってしまった。
その見事な腕前に、随身は唖然とした。
弥子は、頭巾を被った男が逃げようとするのを見逃さなかった。竹ぼうきを足元に差し出すと、頭巾の男は簡単に転げた。
「顔を見せろ」
頭巾の男の喉に竹ぼうきを突きつける。
「不敬であるぞ。わ、私を誰だと思うておる」
「誰だか知らんわ。何が不敬だ。人が大勢いる町中で、人を襲ったくせに、よく言うよ」
「私に手を出せば、死刑は免れんぞ」
「へえ……。じゃあ、訴えられないように、あんたを始末して、魚の餌にしてやるよ」
男の顔の前に竹ぼうきを突きつけると、男が地面に尻をつけたまま後ろへ下がっていく。弥子は、男の袴の裾を足で踏みつけ、にやりと笑った。
「逃げられると思ってるの?」
「汚い体で近づくな。男でありながら、男に身を売る畜生にも劣る卑しき奴に触れられとうないわ。誰ぞ、検非違使を呼べ。この男を捕らえるのだ」
「なんですって。誰が男よ。失礼にもほどがある。あんた、本気で魚の餌にしてやる」
弥子が竹ぼうきを高く振り上げた。
「ひーっ」
騒ぎを聞きつけ、人だかりができ、誰が呼んだのか、遠くから検非違使の声が聞こえる。
(まずい、人が集まってきた)
隼は騒ぎの中心に飛び出した。騒ぎを聞きつけた鷹も人をかき分ける。
――間に合わず、ガツンッと男の額にきつい一発が落ちた。男の額が切れ、血が噴き出した。
「ぎゃあっ、痛い、痛い、痛い。し、死ぬ」
両手で額を押さえ、ごろごろと転げまわり、手に着いた血を見て失神した。
「ちょっと切れただけでしょう。大げさな」
「弥子さま。逃げましょう」
庶民に扮装した随身の二人に、腕を引っ張られるようにして、弥子は寺院の庭へ連れてこられた。全力疾走したものだから、三人共、ぜぇぜぇと肩で息を吐いた。
「えーっ、あれ右大臣の家来なの? もしかして、やばいやつ殴っちゃった」
「とにかく、帰りましょう。屋敷までお送りいたします」
屋敷までの道のりも、弥子の怒りはおさまらない。
「やっぱり帝に関わると、ろくなことがない」
馬上で不満をたらたら零していた。
「しかし、お強いですね。驚きました」
「私どもの出る幕がございませんでした」
「ははは……は……はぁ……。今日の事、帝に言わないでもらえる?」
「喧嘩がお強いことをですか」
「からかわないで。あのおじさん、失神させたこと」
随身の二人は顔を見合わせた。
「家司から右大臣の耳に入れば、帝に知られることになるでしょう」
弥子を無事に屋敷へ送り届けるため、護衛として随身をつけている。随身を連れて町へ入れば目立ってしまう。それが嫌で一人で町へ入ったのだが、結果として騒ぎを起こしてしまった。つまり彼らは任務を遂行できなかったことになるのだ。
「じゃあ、またあなたたちに迷惑かけちゃうんじゃない? ごめんなさい」
「私どものことはお気になさらずに」
屋敷に戻った弥子を見て、父が発狂し、ぴょんぴょん跳ねた。
「血!背中に血がついているぞ。何があった」
「町で襲われたの」
「なっ、なっ、なっ」
狼狽える父に対し、余裕よ、と言わんばかりに弥子は、自分の二の腕をぽんぽん叩いて見せた。
「大丈夫、ぶちのめしたから」
(とは言え、まずいことに、ならないといいんだけど……)




