残月 ―― 右大臣
右大臣阿部邸――
「帝に釣り合う姫。美しく、高い教養の持ち主となると、やはり皇族の姫君、東の宮さまか。東の宮さまは、もまもなく裳着を迎えられる。それに合わせて、否が応でも入内させてしまおう」
右大臣は庭の池の畔で一人、行きつ戻りつしながら考えた。
裳着とは十二歳から十六歳くらいを対象とした姫君の成人の儀式である。皇族の濃い血を残すためにも、東の宮を皇后に据え置くことを右大臣は考えた。
「しかし、東の宮さまは、まだ幼い。女子としての務めはまだおぼつかないであろう。藤原家の年長の姫君を数人入内させて、帝の心と体をお慰みすれば、あのような薄汚い小僧など、すぐに忘れるに決まっておる。帝はまだ女を抱く喜びを分かっておらんのだ」
勢力をますます強めている藤原一族の姫君を皇后に冊立することだけは避けたい。藤原家には妃や側室の地位を与えることで顔も立つだろう、そう考えた右大臣は、優雅に泳ぐ、池の鯉を見ながらほくそ笑む。
「白く柔らかい肌に触れ、花開かせる喜びを。この私が、必ずや帝を一人前の男にしてみせる」
金色の鯉が池の主のようにゆったりと泳ぐ。その隣を茶黒の鯉が連れ添うように泳いでいる。右大臣は、茶黒の鯉に向かって小石を投げつけた。
「そうだ、帝の前からいなくなればよいのだ。消してしまおう。きっと帝は傷心される。その隙を突けば……入内も容易に進められる。惟光に任せておったのが間違いだったわい。ここはやはり、年の功。私が動かねばならぬ」
「右大臣さま、例の品が、間もなく手に入りそうです」
かぐや姫の元へ右大臣の代理人としてやってきた家司が、膝を着き、頭を深く下げ、報告すると、右大臣は目を大きく開かせて喜びの声を上げた。
「おお、それはよい知らせだ。それで、まこと本物であろうな」
「はい。ただ、とても高価な品で」
「それはそうだろう。この世に一つしかないやもしれん皮衣。安いはずがない。それでいくらだ。いくら出せばよい」
「王慶殿が、金を五十両と申されております」
「金を五十両だと?」
右大臣は驚いた。たかが皮衣に邸宅が数軒買えるほどの金額を要求されるとは思ってもみなかった。所有する荘園をいくつ手放せばよいのかわからない。
「なんと、あの姫はどこまで欲深いのか。やはり私の目に狂いはなかった」
「如何致しましょう」
「金はなんとか用意する。話をまとめておいてくれ」
「承知しました。大金を積まれても手に入れたいとは、さぞかし価値のあるお方」
右大臣は、カッと目を剥いて家司を睨みつけた。
「価値など、あるものか。己の名を上げようとする腹黒い女だ」
「では、なぜあのような賭けに……」
右大臣は、家司の問いに耳を傾けながら、池の畔をゆっくりと歩き出した。家司は立ち上がり、頭を低くしながら着いて行く。
「表に出てこず、噂だけが独り歩きする。石作皇子は帰ってこぬし、庫持皇子は身を滅ぼした。帝も幾分、興味を示しておられる。私は、それを恐れておるのだ」
考えるだけで溜息がでる。右大臣は大きく息を吐いた。
「あの女は、国を滅ぼしてしまうやもしれん。見えないものを想像し、手に入らないとなれば、我こそはと、手を挙げたくなる。そういうものだ。火鼠の皮衣を持っていけば、なんでも言うことを聞き入れると申したのだ。御簾から引っ張り出し、皆の前で、辱めてやる」
かぐや姫の噂話を信じている家司にとっては震える話だった。
(なんと恐ろしいことを仰るのか。右大臣は、ご存じないのであろうか)
「かぐや姫は神の娘です。煙のように、姿を消したという話も聞いております。神の娘を蔑ろにするなどと申されて、大丈夫でしょうか」
「神の娘? 信じるのか。あんなもの、ただの噂話だ。人が作った神話だ」
自分は右大臣の家司。主に従うほかないのだ。
「それと、頼まれてくれぬか」
「何なりとお申しつけください」
「帝の所に出入りしておる、目障りな鼠を一匹、始末してくれ」
「鼠、でございますか」
「帝の周りをちょろちょろと走り回っておって目障りじゃ。宮中を出たら、捕まえて、街道の宿場で放してやればよい。よいか、誰にも見られるでないぞ」
「はっ、お任せください。必ずや、鼠を仕留めてみせます」




