残月 ―― 伝説
かよと老婆の家に、これでもかと人が集まってきた。皆、弥子と帝を前に平伏する。
「弥子さま、お礼を申し上げます」
「弥子さまは、わしらの守り神だ」
「皆が戻ってきたのも弥子さまのお陰です」
感謝と感動のあまり、泣き出す者もいた。戸惑う弥子に帝が耳打ちする。
「何か申してやれ」
「そんなこと言われても。私は何も……。結局、帝が助けたのに」
「私は、そなたを連れ戻しに行かせたまで。この者たちを救ったのは、そなただ」
弥子は両膝を着いて、村人を見渡した。自分は現代に生まれ育ってきただけで、どこにでもいる普通の女子大生だ。少しばかり、運動神経がいいというだけなのに。しかも薬は、父が出したもの。特別な存在のように崇められると皆を騙しているみたいで、申し訳ない。
「皆の笑顔が見たいから顔を上げて」
「弥子さま」
「暮らしはどう? 何か困ったことはない?」
「ありがたいことに、うちの村の腕が見込まれて、国府から官道整備用の土木工具を作るよう承りました。これで村は豊かになります」
「これも全部、弥子さまのお陰です。ありがたや、ありがたや」
国から仕事をもらったと聞いて、よかった、と弥子は、心からそう思った。
(でも、これも帝が発案者なんだろう。私はきっかけに過ぎない。全部、帝がフォローしてくれたんだよね)
「おがまなくていいから。私は神の子じゃないよ。大げさだって」
「そんなことないです。あの、私を覚えておられますか?」
一人の女性の声に弥子は目をぱちくりさせた。
「法師たちに暴行を受けて、動けなかった者です。弥子さまが薬を飲ませてくれたお陰で、あの後、すぐに動けるようになったんです」
かよが弥子の肩をとんとん叩いた。
「あのね、弥子さま。この村、前は『谷が裏』って名前だったんだよ。一番偉い人が『八子の里』って名付けたんだって」
「一番、偉い人……」
弥子は振り返って帝を見上げた。帝は扇で口元を隠している。
(ほんと、よく分からない人だ。でも……やっぱりいい人、なのかな)
「さて、あまり長居もできぬ。帰るとしよう」
「もう?」
「また、来ればよかろう」
帝が背を向けて歩き出す。
「じゃあ、また来るね」
弥子は帝の背中を追いかけた。そして追いつくと、帝の顔を覗き込んで、にっこり笑って見せた。
「ありがとう」
この笑顔が見たかった。どれほど貴重で豪華な献上品も、弥子の笑顔には敵わない。
「礼には及ばぬ」
「照れてる?」
惟光は嬉しくて泣きたくなった。
(仲睦まじいお姿を拝見できて、この惟光、感無量でございます。どうか、このまま弥子さまのお心が、帝に向きますように)
「ねえ、賭けしない? この先の杉の木まで、自分の足で走るの」
「せん」
「なんでよ」
「ふん。そなたの魂胆が透けて見えるわい。蹴鞠なら相手せんでもない」
「蹴鞠? サッカーみたいなやつ? 分かった。次は、それで勝負ね」
――八子の里には、古くから続く言い伝えが残っている。
昔々、この村には、八月の新月になると鬼が現れて村人を苦しめていた。ある日、村に、やこという若者が訪ねてきて、鬼退治をしてくれた。鬼がいなくなると、不思議なことにやこの姿は消え、空には月が浮かんでいた。やこは月の神の化身だったのだ。
八月の新月に夜空を見て祈ると、家に幸福が訪れると伝えられている。
「やこが守ってくれる。やこが幸せを運んでくれる」




