残月 ―― 八子の里
夜明け前、弥子は屋敷を抜け出して、裏にある竹林へ向かった。薄暗い竹林の中に馬に乗った人影が見える。
側に行くと一番顔を見たくない人物が顔を上げた。
「こっちへ参れ。しかと顔を見せよ」
弥子は、そっぽを向いた。惟光も随身たちも、驚きはしない。
「まあ、よいわ。鷹」
「はっ」
随身が手綱を手繰り寄せた。芦毛の馬が弥子の顔にすり寄り、撫でろと催促する。以前、八子の里へ行くときに乗せてもらった馬だ。
「そなたの馬だ。主が一向に姿を見せぬ故、厩で寂しくしておったわい」
「嘘っ、私の馬? 本当に? いいの?」
弥子の表情が、パッと明るくなった。
「そう申しておるでないか。早よう乗らぬか」
弥子は馬に飛び乗った。嬉しくてしかたない、そんな弥子の気持ちが馬にも伝わっているのか、足取りが軽い。
竹林を抜け、清流を見下ろしながら進む山道。まもなく八子の里が見えてくる頃、弥子の心が急く。火災の起きた寺院から脱出した後、帝との距離を取っていたため、かよとも会わずにいる。村の人々も気にかかっていた。
「弥子、どちらが早く村へ着くか、賭けをしよう。私が勝てば、屋敷へ参れ」
「じゃあ、私が勝てば、今後一切、私に近づかないでね」
「よかろう」
二人の賭けを聞いて、惟光は慌てた。二人の馬は、どちらも名馬。自分たちの馬より、当然早い。
「な、なりませぬ」
惟光が止めに入ろうとしたが、間に合わず。二人は馬を走らせた。芦毛の馬に跨る弥子は、土埃を上げ、風神のように山道を駆けあがっていく。帝は弥子の背中を見て感心した。
「これは、見事な手綱さばき。まこと感心するわい」
帝は手綱を片手に持ち、鞭をひと叩き。漆黒の馬は雷神のごとく弥子たちを抜き去って行った。帝はニヤリと笑った。
「そなたに与えた馬は早い。だが、私の馬はもっと早い」
「ちょっと、ずるくない?」
賭けは帝の勝ちであった。当然の結果ではある。
「分かってて、言ったわね。これは無効よ、賭けは成立しない」
「私は、後から追いかけた。配慮はしてやったではないか」
むくれる弥子と笑う帝を見た惟光と随身は、にやにやしている。
「弥子さま」
かよの声がして、弥子が振り返る。かよが、家から飛びだしてきて、弥子に飛びついた。元気な姿を見ることができて、弥子も嬉しくて、幼い少女を抱きしめた。
「弥子さま、会いたかった」
「私も会いたかったよ」
慌てて老婆も飛び出してきた。その目には、涙が浮かんでいる。弥子のお陰で、攫われた孫や息子が帰ってきた。村中の者が弥子に礼を言いたいと思っている。
「かよ、皆を呼んでおいで」
「うん」




