残月 ―― 使いの者
「火鼠の皮衣とな」
家司が怪訝な顔をする。
雲の上ほどの存在である右大臣に、手に入れることも難しい代物を持って来いと言うのだから無理もない。翁は恐ろしくて手も声も震えていた。
(家司の顔色をうかがいながら条件を伝える私の身にもなってほしい。多少の色をつけるのはいたしかたないだろう)
「もし、手に入れることができましたら、かぐやは、どのような願いでも聞き入れると申しております」
「まことか」
「はい、まことでございます。右大臣のお心を頂戴することは大変嬉しく思いますと、申しておりました。ただ、かぐやは身分の違う結婚があまりにも恐れ多く、心配しておるのです」
「ならば承知した。急ぎ戻り、主に伝えよう」
家司が帰っていく。
翁は、大きな溜息をついた。右大臣でも嫌と言うのだから、よほど結婚したくないのだろう。がっくりしながら重い足取りで家の中へ入った。
翌日、西の宮から弥子に贈り物が届いた。文もなく伝言だけ、ということは本当の送り主は帝だと察しが付く。
何をもらっても許すつもりはない。もう二度と利用されたくない。そう思っていたのに。
「鈴虫……」
「明日、また参られると申されておりました」
鈴虫の入った虫かごを下女から渡されて、思わず見入ってしまった。
弥子は休憩室で読まずに放置していた帝からの文を解いた。どれもこれも「そなたに会いたい」帝の声が聞こえてきそうな歌が詠まれている。
りりりり、りりりり、静かな秋の夜に、鈴虫の声が切なく胸に響く。釣殿で聞いた琴の音を思い出してしまう。
翌日、西の宮の使いの者が再び門を叩く。
「わざわざ来てくれた宮さまの使い、無下にはできないし、話を聞いてみる。鈴虫のお礼もしたいから」
弥子は離れの部屋で使いの者を待っていた。御簾の向こうで人の気配がする。そこに誰がいるのか、御簾の隙間からでもはっきり分かる。蔵人頭の惟光だ。
「鈴虫をお贈りくださり、お礼申し上げます。宮さまによろしくお伝えくださいませ」
弥子の口ぶりから明らかに怒っていると感じた。拒絶されている、思わず惟光は平伏した。
(いつもは、どなたにも親しく話されるお方が、このような言葉遣いをなさる)
御簾で作られた境界線、その向こうはまるで鉄壁の砦にすら思えてくる。
「偽りを申し上げたこと、どうか、お許しくだされ。このようなことをしたのも、我が主君のため。私の主に御身のお心を少しばかり頂戴したく、参上つかまつりました」
弥子は溜息をついた。
「先日、右大臣がきました。右大臣は唐の商人で筑紫にいる王慶から、大金を出して偽物の火鼠の皮衣を買うでしょう。私の話を信じるか、信じないかは、あなたたちの勝手だけど。騙されて大金を騙し取られる、それは大臣にとって耐えがたいことでしょうね」
惟光は驚いて言葉が出なかった。
(これまで何度も驚かされてきたが、ここまで見通しておるとは、末恐ろしい。姫が、神の娘であることは疑いようもない)
「話すことはもうないわ。私は忙しいの。どうぞお帰りください」
帰れと言われ、ハッと我に返った。
「姫君。私は、そのような話が聞きたくて、参ったわけではございませぬ。今しばらく、お付き合いくださらぬか」
このまま、すごすごと帰るわけにはいかない。
「明日、八子の里へ参りませんか」




